キス!?


 人のいなくなった体育館。


 バレーボールの授業で使った、ネットや支柱の片付けで遅くなった私と桜咲さくらさきさん。片付けも終わり、後は着替えて教室に戻るだけ……なのですが……


 ――私達は今、体育館倉庫にいました。


「おい、あまり近づくな!臭い!」


 金色の頭の上に可愛らしい猫耳を生やしながら、桜咲さくらさきさんは鼻を抑え、とても嫌そうな顔をしている。


 本当にめっちゃ失礼ですね、この人は。


「ちょっと、臭いとは何ですか!臭いとは!女の子に対して言ってはいけない言葉ですよ!」


 そもそも、私は一度着替えてからしようと桜咲さんに言った。でも、彼女は一秒でも早く消してしまいたいのか、無理矢理私を連れてきたのだ。


 そのせいで汗に対する後処理は何も出来なかったのだから、文句を言わないで欲しい。


 あと、美少女は臭くありません!絶対に臭くありませんからね!


 むしろいい匂いがしますから!


「大体、私が臭いなら、あなたも臭いんですからね!」


 私の言葉を受けると、小馬鹿にするような表情で。


「はっ!そんなはずはない。私はこんなに優れた容姿をしているんだぞ?むしろ、芳しい、いい匂いがするに決まっているだろうが!」


 と、ドヤ顔で私が思っていた事と全く同じことを言い出すお嬢様。


 他人が言っているのを見ると、コイツなに言ってるんだ?となりますね。


 ……まぁ、私は臭くありませんけど。


 その後、お互いに相手の方が臭いと言い合っていると、予鈴が鳴ってしまう。


「はっ!?もう次の授業が始まってしまいます」


 十五分あった時間は、もう一分もありませんでした。


 このままでは遅刻してしまう……いえ、遅刻は確定しているのですが、これ以上遅れるわけにはいきません。


「仕方ありません。もう臭いのは我慢しますので、さっさとキスしますよ!」


「おい、その言い方だと、私が臭いみたいだろ!訂正しろ。私は臭くない!」


 時間がなくて、焦る私とは違い、まだ匂いについて不満げな桜咲さん。


 自分でいい匂いって言っておいて、まだ気にしているんですかこの人は。


「うるさいですね!もういいでしょ。ほら、早くしてください!早く!」


 鬼気迫る表情の私に急かされ、桜咲さんは仕方なさそうに、目を瞑る。


 まぶたを閉じ、キスを待つ桜咲さんの顔は何度見てもドキドキしてしまう。


 コレがそう言う行為・・・・・には当てはまらないのだとしても、顔が熱くなる。


 ぐぬぬ……口が悪くても美少女。


 同性であっても、思わず意識してしまいます。


 ……少しだけ、変なところを触ってもいいのでは?


 思わず邪な事を考える。


 いやいや、そんな事をすれば、社会的に殺されかねない。


 私は邪念を振り払うと、いつものように顔をゆっくり近づける。


 彼女からするほのかな汗の臭いは、不快ではなく――むしろ、私を変な気持ちにさせてくる。


 心臓が早くなって、顔を見るのが恥ずかしい。


 頭が少しだけボーっとする。


 体の奥が熱くなるような不思議な感覚。


「……変ですよ……私」


 目の前の彼女に、聞こえないように小さくつぶやいた。


 そうして何とも言えない感情のまま、私はいつものように――桜咲さんにキスをした。



 ◇



 ――突然キスをされた。


「んっーーーー~~~~!?」


 頭は真っ白に焼き切れ、思考はぐるぐる回り、体は動かない。


 夕日が、窓から私達を見ながらゆっくり沈んでいく中、静かな校舎に――パァンッ、と乾いた音が響いた。


 白く、可愛らしい彼女の頬を叩いた私の手のひらは、彼女のの頬と同じように赤くなり、じんわりと鈍い痛みが広がっている。


 私に勢いよく叩かれた桜咲さんは――いつもとは違う、少しだけ申し訳なさそうな顔で「――すまない」そう言うと、私から顔を離した。


 私の唇に――柔らかいキスの余韻を残したまま。


「ちょっと、なんなんですか!?いきなり!――キッ……キス、するなんて!あなたこそ変態ではないですか!」


 唇をゴシゴシと乱暴に拭う。


 むぅ、いくら拭っても、柔らかい感触が消えてくれません。


「…………悪いが、私は帰る」


 桜咲さんはぶたれた頬を抑えたまま、帰ろうとする。


「帰るって……言い訳くらいしてくださいよ!嫌がらせだとしても――」


 意味が分からない。


 そう、口にしようとしました。


 ですが……


「……色々言いたいだろうが、明日にしてくれ」


 ――恥ずかしそうに真っ赤になった彼女の顔を見て、私は言葉を飲み込んだ。


 いえ、言葉を失ったというべきでしょう。


 頭のてっぺんまでのぼった怒りが消えてしまう程に――桜咲さんの顔は可愛らしかったのです。


 口が悪くて、絶対に友達になんかなりたくはない。


 でも……それでも、今の彼女はとても愛らしくて、思わず抱きしめたくなってしまいそうだった。


 ……絶対にやりませんが。


 何も言わず、ただ立ち尽くす私に「友人の件、明日からよろしく」そう言い残すと、桜咲さんはおぼつかない足取りで階段を下りていきました。


 フラフラ、スタスタといった感じで。


 そして、一人残された私は――


「これって――初めてには入りません、よね?」


 唇に触れながら、そんな事をつぶやいた。

 




「おかえり!刹那ちゃん!遅かった、ね……どうしたの?除菌シートで口なんか拭いて?」


 私の家で、母の代わりに家事を手伝ってくれていたユメッチの横を通り過ぎ、血が出る勢いで唇を拭う。


 ゴシゴシと口を拭く私を、ユメッチは不思議そうに見ていた。



 二階の自分の部屋で服も着替えないまま、ベッドに横になる。


 天井を見ながら、唇に触れる。


「……ちょっと、ヒリヒリしますね」


 何度も拭いた唇には、彼女の柔らかい感触はもうありませんでした。


 すっかり落ち着いた頭で、訳がわからないまま、キスをされたせいで忘れかけていた事を思い出す。


 仮の友人を演じる事を承諾した時に、桜咲さんの頭に生えていた物の事を。


「……猫耳……ですよね……絶対」


 あの形は絶対に猫耳だった。


 それも、頭につけている様子がない本物の。


 本当に生えている猫耳でした。


「あれは一体……なんだったのでしょう」


 キスをされたあと、桜咲さんの頭にはもう何もなかった。


 それに、猫耳の事を指摘してすぐに、桜咲さんは慌てた様子でキスをする事を条件に加えてきた。


 それも唐突に。


 まるで、キスをすればそれが消せると言いたげに。


「……」


 そんな事を考えていると、扉をノックする音が。


 ノックの主が誰なのかは分かりきっているので、だらしなく寝転んだまま「どうぞー」と返事をする。


 コレが母親だったら間違いなく注意されているでしょう。ウチの母は厳しい人なので。


 つくづく両親が揃って家をしばらく留守にしている事に感謝する。


 それと――今、部屋に入ってきた幼馴染にも。


「刹那ちゃん、ご飯できたけど……どうする?」


 可愛らしいひよこがプリントされたエプロンを着たユメッチが「先にご飯にする?やっぱりお風呂?」と私に聞いてくる。


 その質問はまるで新婚夫婦。


 それとも私?という選択肢がないのが原点ポイントですね。


「ん~少し、汗をかいたので、お風呂でお願いします」


 桜咲さんが帰った後、この事を一秒で早く忘れたくて走って帰ってきたので、少し汗をかいてしまった。


 六月とは言え、夏はもうすぐそこなんですね。


 ユメッチはにっこり笑い。


「うん、わかった。じゃあ、先にお風呂入ってていいよ。着替え、後で持って行くから」


 ゆっくりと扉を閉めながら「あっ、ちゃんと百まで数えてから出てきてね」と、お母さんのような事を言った後、ユメッチは部屋を後にした。


 パタパタと階段を降りる音が聞こえる。


 幼馴染とはいえ、すっかり家族のような距離に少しだけむず痒さを感じる。私よりユメッチの方が、この家に詳しい気がします。


「……ユメッチの事、妹のように思っていましたが……もしかしてお母さんなのでしょうか?」


 どうでもいい事を頭に浮かべるも、すぐにキスの記憶と感触が蘇り、上書きしていく。


 どんだけ気にしてるんですか、私!


「はぁ……色々考えるのは後にして、今はお風呂ですね」


 体を起こし、脱衣所へと向かう。


 重い足取りで階段を降りる私の頭の中は、桜咲さんでいっぱいだった。


 ……気になるとか、恋をしてるとか、変な意味ではなく、純粋に悩みの種としてですが。


 脱衣所で、夕食後になんのゲームをやろうか考えながら服を脱ぐと、胸のあたりに痣があるのに気がついた。


「こんなところ、ぶつけた覚えはありませんが?」


 触ってみても痛みはない。


 よく見てみると、鏡に映る痣は不思議な形をしていて……


 その痣は、どことなく……――猫の頭のようにも見えた。

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