夕暮れ 3 


「――取引ですか?なんの?」


 私が教室に来てから、動こうとしなかった桜咲さんは、困惑する私のすぐ目の前までやってくる。


 目線が私と変わらないせいか、彼女の綺麗な蒼い瞳は私の顔を写している。


 顔の近さに少しだけドキドキしてしまう。


「恐らくだが――美吹教諭はこれからも、私が孤立しないように色々と手回しをしてくるだろう」


「それは、まぁ……そうでしょうね。あなたが孤立していると先生は困ってしまいますからね」


 だから、私が友達になりたがっているなんていう、デマを話したんでしょうし。


 他の生徒に、仲良くしてくれるように頼む可能性は大いにある。


「そして、私もその度に、君よりはマシだろうが、面倒なやり取りをしなきゃいけなくなる」


 桜咲さんは、やれやれと言いたげに、大げさなジェスチャーをする。


「面倒って……あなたが、人のことをいきなり変態とか言ってきたからなんですけど」


 そもそも、彼女が何も言ってこなければ、私は財布を回収して教室を出ていた。

 

 あんなやりとりの原因は間違いなく彼女でしょう。


「うるさいな、黙って聞いていろ。……ともかく、このままでは私はストレスだらけの生活を送ることになる。――そこでだ」


 ビシッと私を指差す。


「君には私と友人のフリをしてもらう。美吹教諭に私には友人がいるという事を認識してもらうためにな」


 桜咲さんは、ふふん、とドヤ顔をしながら、可愛らしくそんな事を提案してきた。


 ……一方の私は面倒くさいという感情でいっぱいになっていました。


「……えっ、普通に嫌なんですが……フリとは言ってもあなたと友人になるなんて、ごめん被りますよ」


 少し会話しただけで、こんな疲労感に襲われるような相手と友達になんかなりたくない。


 例えフリであっても。


「ふん、君が断るのはわかりきっている。言っただろ?取引をしないか、とな」


 取引。


 それはつまり――互いに利益を得れれるようにするという事。


 私にも得がある、というう事を彼女は言いたいのでしょう。


「仮に、あなたと取引をしたとして、私にメリットはあるのですか?」


 取引である以上、とても大切になる部分を確認しなければいけません。


 メリットを確認できなければ、承諾する訳にはいかない。


「ああ、勿論あるぞ?――この私と、フリとは言え共に過ごすことが出来る……――おい!待てっ!何処へ行く気だ!?まだ、話は終わっていないぞ!待て!」


 メリットどころか、デメリットでしか無かった。


 さっさと帰って、ユメッチとゲームでもしますか。


「そんな勘違いした人と一緒になっても、何も得られないと良くわかりました。取引は誰か別の人と、男子としたほうがいいと思いますよ」


 もしかしたら、恋人もゲットできるかもしれませんからね。


 私は心でそう思いながら、足早に階段を降りていく。


 パタパタと桜咲さんが私を追いかけてくる足音がする。


「はぁ……はぁ……待て……悪かった……だから、もう少しだけ、話を聞け……」


「……聞いてあげますが、さっきのような内容なら、走って帰りますからね」


 「わかった」そう言って、桜咲さんは息を整える。


「さっき言ったが、美吹教諭は色々な手回しをするだろう。そして――それは君にとっても無関係な事ではない」


「どういう事ですか?」


 美吹先生が私を使って企んだ事は、桜咲さんに聞かされたことで、もう破綻しています。


 一度失敗した以上、私に頼ってくる事はもうないと思いますが。


「簡単な事だ。何故なら……君にはこうして――私との接点が生まれてしまっている」


 む、確かに。


 お一人様宣言を聞いた人なら、わざわざ彼女に声をかけない。


 先生もそれがわかっているから、頼む人を選ぶでしょう。


 私に声をかけたのも、席が近いという接点があるからで。


 そして、もう一つ――


「――美吹教諭が私に伝えた、でっちあげ。あれは、私が君に対して、断ってやると思った段階で、既に君との接点を生み出している。断る為には、君と最低限、言葉を交わさないといけないからな」


「それだけで、他の生徒に比べたら、私にはあなたとのアドバンテージが出来ていると言いたいのですか?」


 少し、無理矢理な気がします。


「どんな切っ掛けであれ、君と私は言葉を交わした。それだけで、赤の他人から、少し話した事のある他人へと変化する。それは十分なアドバンテージだ。何せ、私は他人と会話する気がないんだからな」


 全く話したこともない相手と、僅かでも会話した相手とでは、印象は大きく変わる。


 もし、私がガチぼっちで、誰かに伝言を伝えないといけなくなったら、後者の人を選ぶ。


 いきなり知らない人に声を掛けるよりは、僅かにマシでしょうから。


「美吹先生は、私とあなたにきっかけが出来たと思い、私とあなたを何としても友人にしようとする、と言う事ですか?」


 先生は、絶対にそこまでは考えていないと思いますけど。


 でも、ないとは言い切れない。


「そうだ。だから、私と友人のフリをすれば、君も面倒な頼みごとをされずにすむだろう?」


「ですが……まだ、先生が私にまた頼ってくるとも、言い切れない訳ですし……」


 面倒だな、そう思った私は、それとなく断るための言葉を探す。


「それに、フリといっても、適当に挨拶をして、昼休みに一緒に食事をしてくれればいい。なんなら、給与を与えてもいい」


 給与。


 たった二文字のその言葉に、私の脳は素早く反応する。


「ちなみに……額は?」


 おずおずと尋ねる。


 私の言葉に、桜咲さんはゆっくりと手を上げ……


「一日、五千円」


 綺麗な手のひらを広げそう言いました。


 それを聞いた私は勿論――


「いいでしょう、受けますよ。その取引」


 迷うことなく、桜咲さんの手を握ったのでした。


「流石に一年間、現金を支払うわけにはいかないからな。友達ごっこの期間は二ヶ月くらいでいいだろう。あっ、一応言っておくが、休日と祝日は渡さないからな」


 二ヶ月……夏休みは除くとして、九月くらいまででしょうか?


 まぁ、バイトもせずに、日給五千円を貰えるならば、儲け物でしょう。


 五千円に思いを馳せていると……ふと――目の前の桜咲さんの頭の違和感に気がついた。


「ん?」


 少しだけ、嬉しそうに笑みを浮かべる、彼女の透き通るような金の髪の上に、なにやら盛り上がったモフモフが見え――そして。


「っ!?」


 そのモフモフはピコピコと可愛く動いた。


 まるで作り物ではない事をアピールするみたいに。


「何だ?私の頭をじっと見て?気持ち悪いぞ?」


 唖然とする私を訝しげに見る桜咲さん。


 彼女は気が付いていないのでしょうか?


 私は慌てて、彼女の頭を指差し。


「あ、あの、私の気のせいでなければ……桜咲さん。あなたの頭に――その、猫耳みたいな物がみえるんですが……」


 怪訝そうな彼女にそう伝えた。


 私の言葉を聞き、桜咲さんはゆっくりと頭に手を伸ばし、猫耳に触れると……一気に青ざめた表情をすると――


「……すまない……取引にもう一つ条件を加える」


「はい?」


「――私とキスをしろ」


 そう言って――桜咲さんは私の唇を、自らの柔らかい唇で素早く塞いだ。


「……――っんーーーー~~~~!?」


 突然、キスをされた私の頭は、今にも焼き切れそうな程に熱くなる。




 キスをする私達を、沈む夕日だけが静かに見ていた。


 

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