都忘れ

深茜 了

都忘れ

 人間はいつだって孤独なものだ。少なくとも、私は人生をそういうものだと思っている。


 私、真木藍子は生涯で友達というものができたことがなかった。もしかしたら幼い頃にはいたのかもしれないが、少なくとも学生になってからは特定の友人というものが存在した記憶がなかった。


話し掛けられればとりあえず応答はできるのだけれど、そこから会話が盛り上がるということはなく、当然相手と親しくなりようもなかった。

私には、人と親しくなるということがどういうことなのか全く分からなかった。

 

 私は自分ではあまり自覚はないが、容姿が整った方らしく、学校内の男子から言い寄られることもたまにあったが、付き合う付き合わないといった事柄にあまり興味がなく、加えて私の事務的な態度も相まって、高校三年生の二学期にもなると近付いてくる男子もいなくなった。この三年間そんな状態だったが、とりあえず高校にいる間はもう平穏に過ごせるのだと私は安心していた。

 

 ある程度学力レベルの高い学校に入学したせいか、私がこんなさまでも嫌がらせをしてくるような生徒はいなかった。しかし当然こんなとっつきづらい人間にわざわざ構ってくるような人物もいなかった。


高校三年の秋、今まではずっとそうだった。


 ある日登校して荷物を整理していると、私の斜め前の席の男子が突然私に話し掛けてきた。

その人物は土方礼という生徒で、私とは対照的に明るく爽やかな性格で、人付き合いが得意に見えた。いつも一人でいる私とは違って、休み時間は常に誰かと笑い合っていた。

「何?」

名前を呼ばれたので返事をかえすと、彼は困り顔を浮かべて私に言った。

「昨日の宿題やってきた?悪いんだけど見せてくれないかなー。下山をアテにしてたんだけど、今日休みだからさ。真木さん頭良さそうじゃん」

下山君とは彼の隣の席の男子だった。

「別に、いいけど・・・」

私は困惑しつつノートを渡した。こんな風に人に話し掛けられるのは久し振りだった。

「ありがと、助かる!」

ノートを受け取った彼は笑顔で言った。なぜ他の生徒ではなく、こんな私にわざわざ頼んだのかとても疑問だった。


 その日の放課後、いつものように一人で教室を出て、帰宅しようとしていた。私は読書が趣味だったので、今日は帰ったら何の本を読もうかと考えながら歩いていた。

 

 人気のない廊下にさしかかった頃、背後から私を呼び止める声がした。

「真木さん!」

叫びながら走って来たのは土方君だった。一体何事かと思い、立ち止まって息を切らす彼に「何・・・?」と私は尋ねた。

「いや、さっき宿題見せてもらって本当に助かったからさ、お礼にお茶でもどうかなと思って」

彼は屈託のない笑顔だったが、私はまたか、と眉をひそめた。久し振りなので朝は気付かなかったが、まだ私に言い寄ってくる男子がいたらしい。道理で私なんかからノートを借りたはずだ。言い寄るきっかけが欲しかったのだ。

私が不機嫌そうな顔をしていると、それを察した彼が続けた。

「何も下心があって真木さんをさそうんじゃないよ。ただちょっと仲良くなりたいだけ」

私の顔は怪訝な表情に変わった。今まで言い寄る以外に私に近付いてきた人間はいなかった。何が面白くて私と仲良くなろうというのか。

「私・・・人と仲良くなれないから・・・」

私がぼそぼそと言うと、彼は笑顔のまま言った。

「俺はそれでも構わないよ」

私は眉をつり上げた。彼の言う意味が分からなかった。仲良くなれないと言っているのに、それでも近付いてくるとはどういう思惑だろうか。

「でも、急にそんなこと言われても困るよね。お茶は今度にして、とりあえず連絡先だけでも教えてくれないかな?」

両手を顔の前で合わせて頼み込む彼を私は見つめた。


私は何かを期待したのだろうか。それとも彼の熱意に押されたのか。私は戸惑っていたが、ひとまず彼の要求を呑むことにした。


 その後土方君はいつも通り過ごしていて、学校で話し掛けてくることはなかったが、放課後や夜にしばしばメッセージが届いた。それはどれも他愛の無い内容で、猫の溜まり場を見つけただとか、新しい商業施設が完成しただとか、そんなものが写真付きで送られてくることもあった。

それに対して私はそうなんだ、とか、良かったわね、とか何とも素っ気ない返事しか送らなかったが、それでも土方君が幻滅してメッセージを寄越さなくなるということはなかった。それが私にはとても不思議だった。


 そんなやりとりが一週間ほど続いた頃、入浴を終えて携帯電話を見ると、土方君から今度の休みに喫茶店に行かないかという旨のメッセージが入っていた。この前のノートのお礼をぜひともしたいのだと言う。


私は少し戸惑った。一人で喫茶店に行くことはあったが、他人と行ったことはなかったからだ。そしてこれまでの経験から、土方君と喫茶店に行っても、相手を楽しませられるとは思えなかった。

しかし、今までのやり取りから、土方君が私に楽しい時間を求めている様子はなかった。

―それなら、行ってみてもいいだろうか。

私はちょっとした、人生初の決断をした。


 ある休日の午後、私は土方君に指定された喫茶店の前で足を止めた。

そこは繁華街からは外れた、目立たない場所にある落ち着いた喫茶店だった。

茶色っぽい外観の、個人経営の喫茶店だった。学校での土方君のイメージとはなんとなくかけ離れていた。

私はすぐにはドアに手をかけず、一度、深く深呼吸をした。

そして心を落ち着かせると、意を決して店の中に入った。


 店内には既に土方君が居て、こっち!と言って私に向かって手を上げた。

私は彼のいる席に辿り着くと、やや警戒して彼の正面に腰掛けた。

「せっかくの休日なのに呼び出しちゃってごめんね。どうしてもこの前のお礼がしたくて」

困った笑顔をしながら話す彼に対し、私は別に、と言った。

「あのくらい、大したことないけど・・・」

土方君への警戒が未だ解けない私は、いつも通り愛想があまりない口調で話した。

「まあ今日は好きなもの頼んじゃってよ。俺もガッツリ飲み物とデザート食べるからさ」

彼がそう言うので、私はお言葉に甘えてアイスティーとオペラを注文した。


彼は私と違って口数が多く、食事を待つ間とりとめもないことをぺらぺらと話していた。私はそれに適当な相槌を打ちながら、どうしたらこんなに話すことが思い付くのだろうと、少し羨ましくなった。


注文した商品が運ばれてくると、土方君の前にはコーヒーとチーズケーキが置かれた。

「甘いものを食べるのね。男の人って、あまり好きじゃないのかと思ってた」

私が素直な感想をもらすと、土方君は、いや、と言って笑った。

「大して好きではないよ?でも俺がデザートも頼めば、真木さんも頼みやすいんじゃないかと思って」

私は眉をつり上げた。

「そんな・・・そこまでしてもらわなくていいわよ」

「いや、へーきへーき。いつもそうして他人に合わせてきたから、このくらい大したことないって」

土方君は相変わらず笑ってはいたが、ふーっと一度溜息をついた。

「学校でもさ、本当はあんな馬鹿やって騒ぎたいわけじゃないんだけど、孤立すんのも嫌じゃん?それで皆と調子合わせたり、行きたくもないゲーセンに行ったり・・・

髪も別に染めたい訳じゃないんだけど、なるべく皆とオソロイにしておきたい訳。・・・ほんと、疲れるよ」

私は驚いた。いくら周囲とうまくやっていく為とはいえ、土方君は完全に自分を殺していた。そこまでのことが普通の人間に可能なのだろうか。


私は少し、彼のことを恐ろしく感じた。

私が黙っていると、土方君は再び笑顔を浮かべた。

「だから真木さんの黒くて綺麗な髪、ほんとに良いと思うよ。大事にした方がいい」

「・・・私に近付いたのは何の目的?前にも言ったけど、私と居ても何も楽しくないと思うし、付き合うとかそういう意味で近付いたのなら・・・私は間に合ってるわ」

私が言うと、土方君は違う違う、と笑った。

「ほんとに下心があった訳じゃないよ。・・・それに、楽しくないなんてことはないよ」

「ずっとあなただけ話してて、私は何の気の利いたことも言ってないじゃない」

「真木さんはそのままで良いんだよ。・・・俺にとっては」

依然として彼が言っていることの意味は良く分からなかった。

しかし、私というものが肯定してもらえたような気がして、少しだけ嬉しく感じた。

「真木さんは普通の人と違うから、気を遣って馬鹿を演じる必要がないんだ。他の奴らといる時よりも、とても楽に感じるよ。・・・だからさ、真木さんさえ良ければこれからも仲良くしてくれない?」

そんなことを言われたのは初めてだった。彼が私に何を求めているのか相変わらずよく分からなかったが、もしかしたらこの縁をきっかけに何かが変わるかもしれない、と私は思った。

これが、私と彼との友情とも分からない奇妙な関係の始まりだった。


 喫茶店での出来事以降、相変わらず土方君の何気ないメッセージと、私の可愛げのない応答のやりとりは続いていた。しばらくはメッセージを送り合うだけの関係だったが、久し振りに再び土方君から呼び出しを受けた。

今度の休日一日つきあってほしい、なるべく動きやすい恰好で来るようにとのことだった。

趣旨が全く分からなかったが、大した用事も無かった私は了承することにした。


 当日、指定された駅に向かうと、先に待っていた土方君は喫茶店の時と同様、やあ、と手を上げた。彼はカーキ色の上着に黒いズボンを履いていて、学校での印象とは違って地味だった。

かくいう私も紺のトップスに黒のズボンと、鞄の茶色を除けば暗色だった。私には明るい色の服を着ようという考えはなかった。


 そこから私達は都心とは反対方向の電車に三十分ほど乗った。車中で土方君は読書を始めたため、私達の間に会話は無かった。


電車を降りると、そこは人の少ないさびれた駅だったが、そこから更にバスに乗った。

「どこまで行くつもり?」

さすがに不安になった私は土方君に尋ねたが、彼はもう少しだから、と言って答えてくれなかった。

車中、乗り物酔いを懸念してか土方君は読書をやめたため、

「本を読むのね。学校では見たことなかったから、意外だったわ」

と聞いてみた。

「学校で本読んでたら浮くからさ、家でしか読めないんだよ。真木さんは堂々と読んでるから羨ましいよ」

私は雑談をする友人がいない為、学校での休み時間はいつも本を読んで過ごしていた。


 しばらくしてバスを降りると、更に人気は無くなり、車道はあったものの車はたまにしか通らない、両脇に木々がそびえる場所に私達はいた。

ここに来ても土方君からは何の説明も無く、一人で山道の方に入って行ってしまった。

私は慌てて追いかけたが、不安は増すばかりだった。

「ねえ、本当に、何なの・・・?」

先を行く彼に問い掛けたが、返答はない。私はいよいよ、彼は私を殺して埋めるつもりなのではないかと思ってしまった。そう思えるくらい、山は人気が無く、うっそうと木々が生い繁っていた。


もう帰った方がいいのではないかと思った頃、やっと土方君が足を止めた。

「この辺かな」

そう言って、彼はそのまま草の上に腰をおろしてしまった。だから何がしたいの?と私は言いかけたが、ふと視線を上げると、目の前には川が流れていた。辺りを見回すと、周りは緑に囲まれていて、鳥のさえずり以外は何も聞こえない。

「こういう静かな場所に来たかったんだ」

気づくと、土方君は完全に寝そべってしまっていた。仰向けになり、両手を頭の後ろで組んで、目を閉じている。確かに、私達の住んでいる場所は都会ではなかったが、普通の都市ではあったため、このような俗世と隔離された空間とは無縁だった。


土方君のやりたかったことを理解した私は、彼と少し距離を置いて腰をおろした。

「おにぎり食べる?」

いつの間にか上体を起こしていた土方君は、自分の荷物から握り飯を一つ取り出し、私に差し出した。私は少し迷ったが、「・・・ありがと」と言って受け取った。

私が受け取ったのを見ると、土方君は更にもう一つ握り飯を取り出し、私達は並んでそれを食べた。

「あなた、変わってるのね」

握り飯を半分くらい食べると、私は口を開いた。

「それを言うなら、真木さんもじゃん」

土方君は前を向いたまま、無表情だった。

「それは、そうだけど・・・、私は自分を殺したりしないわ」

土方君は依然として無表情のまま、握り飯を咀嚼していた。

「・・・気味が悪くなった?」

「いいえ、でも、やっぱり普通ではないと思ったわ」

「もう俺と関わりたくない?」

「・・・そんなことはないわ。家族以外でつき合いがあるのはあなただけだし・・・むしろ、なんであなたが私にそこまで執着するのかがわからない」

もう土方君の手に握り飯は残っていなかったが、彼は目を細めたまま、こちらを向こうとはしなかった。

「・・・それは、前にも言ったじゃん。学校のやつらとは出来ないことをしたい。やっと見つけたんだよ、真木さんみたいな人」

その告白を聞いてもやはり私には彼の考えは分からなかったが、下心でも、ましてや害意があるわけでもないことは一応理解できた。

「・・・じゃあ、私で良ければ、あなたのしたいことに付き合うわ。私はいつも一人で、暇だから」

私がためらいがちに伝えると、ようやく彼はこちらを向き、にっこりと笑った。

風に草がそよいで、緑に囲まれた山の中は少し肌寒かった。


 秋が深まってきて、土方君との付き合いが始まってから三週間程経っていた。

相変わらず学校で話すことはほとんどなく、しかしとりとめのないメッセージのやり取りは続いていた。


 ある日彼から届いたメッセージを確認すると、県の東端の方に気になる廃墟がある。行ってみたいが真木さんは平気かという内容だった。

それを見てまず私が思ったことは、前回の山歩きの時もこうやって事前確認を取ってくれなかったものだろうかと思った。今回はさすがに敷居が高かったから確認を取ったのか、それとも前回の私の様子を見て考えを改めたのかはわからなかった。


 その次の休日、私と土方君は朝から待ち合わせをし、県東部へと向かう電車に乗った。車中でやはり土方君は読書を始めたので、私も本を読むことにした。

そのまま会話は無いかと思ったが、急に土方君が「これ」と口を開いた。

「ある男が、何人もの人を殺してバラバラにして、その体をホルマリンに浸けてコレクションしてる話なんだけど、男に好きな人ができて、本当にその女性のことが好きだったんだけど、予期せず女性が男の家に入ってしまって、人体だらけの部屋を見つけてしまう。仕方なく男はその女性を殺して、彼女のこともホルマリン漬けにするんだ。一見悲劇のようだけど、仮に彼女とうまくいって家庭を持ったとしても、もうホルマリンの部屋は作ることができない。それは耐えられない。だったら、彼女ともずっと一緒に居られて、自分の趣味も放棄しなくていい、これが最良の結果だったんだと男は納得するんだ。異常な自分は、結局こういう風にしか生きられないんだと悟るんだね」

長く語った後、土方君は目をつむっていた。

「・・・だいぶ、センセーショナルな内容なのね」

「そう。だから、学校のやつらにも家族にもこんな話できないから、ちょっとスッキリ」

そう言って、土方君は半笑いをした。何故だか、泣きそうな顔をしていた。

「真木さんは何の本読んでるの?」

話題を変えるように、土方君が言った。

「私は・・・普通の本よ」

そう言って私は明治時代の有名な作家の作品名を挙げた。

「難しい本を読むんだね」

「ずっと読書くらいしか、することがなかったから」

私が溜息まじりに言うと、土方君が茶化すように口を開いた。

「じゃあ俺が毎週デートにさそっちゃおうかなあ」

「もう既に毎週のように私を連れ出してない?」

「・・・そうなんだよね。そろそろクラスの奴らともつるんでおかないと、付き合い悪いとか言われちゃうな」

そこで土方君は大きな溜息をついた。

何でそこまでして遊びたくもない人達と遊ぶのか、私には不思議だった。それと同時に、私にもそんな器用な真似ができたらいいのにと、ほんの少し思ってしまった。

それぞれが暗い顔をしていると、ちょうど電車が目的地の駅に着き、私達の話はそこで終了した。

 

 その廃墟は最寄りの駅から三十分程歩いた場所にあった。元は何に使われていたのか分からないほど朽ちていて、コンクリートの壁には枯れたツタが絡まっていた。


私がぼうっと見上げていると、土方君は携帯電話を取り出し、写真を撮っていた。そして何枚か撮り終えると、土方君は中に入ろうと私を促した。


そこは三階建ての建物で、一つのフロアに三、四ほどの部屋があったが、どの部屋も空だった為、中に入ってもやはり何の建物だったのかは分からなかった。

「ここはね、元々小規模な宿泊施設だった所だよ」

私の想いを読み取ったかのように、土方君が口を開いた。

「だいぶ荒れてるのね。全くそんな形跡は無いわ」

「使わなくなってから、もう何十年も経っているんだよ」

そう言って、土方君はコンクリートの壁をなぞった。

「ちなみに何で廃墟になったと思う?」

壁に指を這わせたまま、彼は私を振り返った。

「分からないわ」

「大量殺人が起きたからだよ」

私は一瞬黙り込んだが、すぐに口を開いた。

「何があったの?」

「宿泊客の一人に自殺願望のある人間がいて、他人を巻き込みたかったみたいでさ、他の宿泊客とか従業員とかを何人も殺して、最後は自分も死んだ」

そう話す間、土方君は再び壁の方を向いてしまったので、表情は分からなかった。話し方からも彼の思考は読み取れなかった。

「・・・迷惑な話ね」

内容がやや衝撃的でコメントに困った私は、やっとそれだけの言葉を絞り出した。

土方君も土方君で、泣き笑いのような表情で「そうだね」と私を振り返っただけだった。

「あとどれくらいここに居るつもり?」

「やっぱり気味が悪い?」

「そうね、さすがに人が死んだ所に長時間は居たくないわ」

私が腕をさすりながら答えると、土方君は頷いた。

「分かった、もう少ししたら出よう。あと数枚だけ写真を撮らせて」

そして土方君は室内全体の写真や、床の写真を何枚か撮った。


その様子を眺めながら、確かにこんな所にはクラスの友人は連れて来れないだろうと思った。おそらく、普段の彼の教室での様子から考えると、このような趣味があることさえ知られたくないに違いない。


私は彼を器用な人だと思っていたが、彼は彼なりに相当な生きづらさを抱えているのだろうと感じた。そのような人間に生まれ落ちた彼を、私はいくぶん哀れだと初めて思った。上手くやっているかいないかの違いで、生きづらさという点では私とあまり変わりないのではとまで思った。そう思わせるほど、今日彼から見せられた彼の嗜好はいくらかの特異さをはらんでいた。


それから私達は廃墟を出て、土方君は自分の撮った写真をチェックしていた。季節のせいか、建物が醸し出す雰囲気のせいか、少し寒気を感じた私達は、最後に一度だけ振り返った後、呪われた廃墟を後にした。


 街の空気もだいぶ冷えてきていた。近頃土方君は学校を休むことがしばしばあり、今まではそのようなことはなかったため、私は気がかりだった。

土方君からのとりとめもない連絡もほとんどといっていい程途絶えており、さすがに何かあったのだろうかと思った私は土方君に連絡を入れてみた。


この頃学校を休みがちだがどうしたのかと送ってみると、何時間も経った後に、最近家族内でやや問題が起きている。心配かけてごめんといった内容の返信が返ってきた。私はそれ以上立ち入ったことを聞いていいのかわからず、その時のやり取りはそこで終了した。


 それから数日後、その日も土方君は学校を休んでいた。

私は放課後になると日用品を買いに街をうろついた。その日は空気が乾燥していて、そろそろハンドクリームを買おうと私は考えていた。


買い物を終えて歩いていると、立ち話をしていた主婦二人の会話から、「土方さん・・・」「家が燃えて・・・」という話が聞こえてきた。

当然最初は聞き間違いかと思った。何かの偶然の可能性もあったが、私は二人にかけ寄ると、「土方さんの家がどうしたんですか!?」と問い詰めた。

主婦達は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに土方さんという家で火災が起きていると教えてくれた。

私は二人にお礼を言うと、全速力で駆け出した。何かの偶然で、別の土方さんの家だと思いたかった。


しかし私の願いは無視され、土方君の家に辿り着くと、周囲には人が集まっていて、土方君の家は炎に包まれていた。その家の前で、土方君が立ち尽くしている。

家のすぐ前なので熱さを感じているはずだったが、その表情は虚ろで、遠くに避難しようともしない。

「土方君・・・!」

私が叫ぶと、彼はゆっくりとこちらを向いた。私は人混みをかきわけ、駆け寄った。

「早く避難しないと・・・!消防車は・・・!」

私は彼の腕を掴んだが、彼は微塵も動こうとせず、「いいんだ」と言った。

「い、いいって・・・!?」

「こうしないといけない。もう・・・、駄目なんだ」

「何言って・・・!早く離れないと・・・!」

「いいんだ、いいんだ、真木さん」

彼はまたそう言うと、私を突き飛ばした。そして私が体勢を立て直しているうちに、更に家の方へと移動する。もう近付ける状態ではなかった。

「土方君!どうするつもり・・・!?」

私が大声で叫ぶと、彼はまた振り返った。

「こうしないと、完成しないんだ・・・。ごめんね、真木さん。君のこと、他の人間よりは好きだったよ」

そう言うと、土方君は燃えさかる家の中に入って行ってしまった。私はそれを呆然と眺めるしかなかった。


途方に暮れた私をよそに、遠くからサイレンの音が近付いてきた。


 あの後到着した消防車によって消火活動が行われたが、家は全焼、土方君の家族は土方君含め全員が死亡したとのことだった。


 私はしばらくの間呆然としていた。土方君の態度から見て彼が家に火をつけたことは明らかだったが、動機が分からなかった。家族との関係がうまくいっていないとは聞いたが、詳しいことは誰も分からなかった。


 しばらくして気持ちが落ち着いてくると、私は初めて土方君と二人で会った喫茶店に足を運んだ。ケーキと紅茶を注文し、運ばれてきたものを口にしながら、私は土方君のことを考えた。


結局彼のことを深く知ることはなかった。他の人よりかはある程度内面を見せてくれていたようだったが、彼はどんな気持ちで殺人鬼の本の話をしたり、大量殺人のあった廃ホテルを訪れたのだろうかと思った。常人とは違う心を持った彼らに、自分を重ね合わせることもあっただろうか。


 それから私は高校を卒業し、大学に進学した。

土方君と親しくなった影響なのか、彼を除いて初めての友人が出来た。


私は今でも彼を思い出す。

向こうはどれ程私に親しみを感じていたかわからない。私も特別な感情は抱いていなかった。

それでも、私の人生に多少なりの影響を与えたのは確かだろう。いささか平常ではない魂を持った少年だったが、私の初めての友人だった。

君との時間は、孤独な私にとって貴重な体験だった。


春のうららかな陽気を感じながら、私は大学の敷地を歩く。モンシロチョウが飛んでいて、心地良い日差しに私はとても穏やかな気持ちになる。


あんな別れになってしまったけど、共に過ごした時間は、少なくとも私にとっては無駄なものではなかったと思っている。

私を見つけてくれてありがとう。これからも私は苦労するかもしれないけど、君の分まで懸命に生きてみせます。

短い間だったけど本当にありがとう。そして、永遠にさようなら。



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都忘れ 深茜 了 @ryo_naoi

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