37.何のせい?

6月23日(木)


それはドロっとした沼のように、まるで自分が何かに包まれてしまったようなそんな感覚になるときがあります。


それはある時ふと、突然漠然とした「消えたい」という気持ちに苛まれたときに現れるものです。


気分屋な私は、何かに心を奪われたり友達と話していて、ただただ楽しいと思っていたのに、そんな日の帰り道にふとそう感じるときがあるのです。いつなんどき、その感情に支配されるのかは私にだって分かりません。


私って幸せ者なんですよ。甘ったれていて、ぬるま湯につかれている。ある程度お金がなくても時間が無くても、全うに生活出来ていて土日には友人にも会えて、家に引き込もれて。幸せ者なのです。それなのに私はどこか自分は不幸だと思い込む節があります。


所詮自分はこんなもんだから。頑張れないのだから。可愛くはなれないのだから。本気で人を愛すことも自分を愛すことも出来ないのだから。人生をかけて、やってみたいと思うことがあってもどうせそれは叶わないのだから。どうせ、どうせ。私の人生はこんなものなのだから。


それでいて利口にも息だけはしているんです。こんなにも「消えたい」などと思って目が腫れるくらい泣いてしまうほど苦しいのに、それでも明日を迎えるんです。ケロッとした顔で。何も無かったかのように会社に向かうのです。友人に会うのです。


自分の価値とか存在意義とか、そういうのを考えるだけ無駄です。私も同じように結局は他人に興味を持てるほど、時間はないのですから。それなのに、どうしても思考が止まらないのです。考えたくもないのに自然とそれを考えてしまう。


愚痴ばっかで先も真っ暗で、自分が何をしたいかもなんで生きているのかも分からない。どうせ無理だと諦めているはずなのに、それなのに夢とか希望とか期待をどこか捨てきれずにいる。素直になれずにいる。理想を追い求めている。せめて将来の自分が頑張って良かったと思えていたらいいとか、幸せだと感じられていたらいいとか、そんなことを望んでしまっている。


そんな自分に酷く疲れました。これも何もかも心も体も労わらなければ、やっていけない自分の弱さのせいにすればいいんでしょうか。それとも全てこの湿気った空気のせいにすれば気が済むんでしょうか。


そうすれば、いつかこのどろ沼から抜け出せたと思えるときが来るんでしょうか。

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