第39話

「あのミカエルが子供を産むとはね」


 少なくとも天使だった頃に知っていた彼ならあり得ない。


 確かに天使には性別はないが、どちらに近いかの区別はあって、自分もミカエルも男性的だと思っていたから。


 だれかの子供を産むなんてあり得ないよなあと、笑って会話したのを覚えている。


 あの王城はミカエルが本調子ではない間は、神の監視下に置かれるらしく、今も監視もままならない。


 サタン様も手出しできないと忌々しそうに言っていたのが思い出せる。


 それなのに何故そんな情報を知っているか?


 答えは簡単だ。


 神の結界は確かに綻びはないが、中で護られている者が綻びを作れば、それが弱点となる。


 そう。


 王女カトリーヌの禁じられた呪い騒ぎだ。


 しかも禁忌を侵そうとした相手はよりによって守護の対象でもある騎士王。


 それにより中の様子が覗けたのだ。


 知った事実にすこし悩んだ。


 サタン様は知っているのか否か。


 知っていて今は黙認しているのかどうか。


 色々考えたが最終的にサタン様が今は黙認しているとしても、騎士王を諦めたわけではないのだろうとすぐに結論付けた。


 あのときから胸に燻り続けている小さな焔。


 騎士王が欲しい。


 その欲望はずっと途切れることなく胸にある。


 勿論カミュエル共々もう抜け駆けなどするなと、サタン様にクギを刺された身だ。


 今度抜け駆けして騎士王に近付いたら、温厚なサタン様と言えど許しはしないだろうとわかっていた。


 諦めなければならない。


 それもわかっている。


 しかし奪った相手がミカエルというのは、なんだか無性に腹が立った。


「あのヤロー。人に偉そうに説教しておいて、自分は騎士王とよろしくやってるって?」


 あの騎士王が同意しているとは思えない。


 騎士王の近くにいたからわかるのかもしれないが、今の騎士王はそういう感情とは無縁の存在だ。


 まだだれかに恋愛感情を抱いたことはないのだろう。


 それでだれかを抱くということは考えられない。


 この場合、仕掛けたのはミカエルで天界の総意による無理強いの結果と捉えるべきだった。


「人間を利用する。それは天使も悪魔も変わらないさ。ミカエル。おまえが認めなくても、この結果がそれを証明してるぜ?」


 寧ろ純粋な恋情だけで相手を欲する分、悪魔の方がマシじゃないかとすら思う。


「ふむ」


 時々霞む映像を見ながらルシフェルは思う。


 ミカエルの真意を確かめることは、天界の出方を探るために必要なことかもしれないと。


 ガブリエルを解放してやりたい。


 それを妹が望んでいなくても。


 神が傲慢でいるかぎり、自分は天界には存在価値がないと判断する。


 ミカエルが神の次ぎに位置する大天使らしく、天界に染まっているというのなら、子供すらそのために利用するというのなら。


「王女カトリーヌの呪術事件か。なんとか利用できないか?」


 騎士王に揺さぶりを掛けることでミカエルを誘き出す。


 その手を考えて目を閉じた。





 カトリーヌが意外な事件を引き起こした翌日、ミカエルは自室で配下のセラフィムと逢っていた。


 というのもあの事件が原因で神の結界に綻びが生じたことを、彼はとっくに見抜いていたからだ。


 神がそれに気付いていないとは思えない。


 気付いてなにもしないということは、一度ミカエルに戻ってこいと、暗黙の了解で命令してきているということである。


 そのこともミカエルは見抜いていた。


 そしてミカエルが天界に戻る場合、ミカエルの子供と紹介されているふたりも連れ帰る必要があるということで、必然的にカイが無防備状態に置かれることになる。


 神の加護が危うくなっている現在にだ。


 それに関して指示を出すためにセラフィムを自室に招いたのだった。


「天界にお帰りになるのですか、ミカエル様?」


 配下の問いにミカエルは渋い顔で頷く。


「現状で神が動いていないということはだ。暗黙に俺に戻ってこいって言ってるんだよ。なにか今回の事件のことで俺に対して言いたいことがあるんだと思う」


「そうですか。しかし現状でミカエル様の守護がないということは」


「そう。カイにとって危険だってことだ」


 それを承知で戻ってこいと示しているということは、わかっているなら自分で凌げるだけの手を打っておけということだ。


 そういうところは神は甘くない。


 天使を甘やかしてはくれないのだ。


 それでカイに危害が及んだ場合、自分のせいにしないで回避できなかったミカエルに非があるという意思表示。


 わかっていて手は抜けない。


 打てる手が少ないとしても、それは言い訳にはならないから。


「現状で俺たちに打てる手は少ない。セラが想像している以上に」


「でしょうね。手薄になっているとはいえ、神が結界を張っている城です。そこで敢えて問題を起こし騎士王に害を与える。それは生半可な相手ではないという証拠ですから」


「そう。可能になった場合、俺がいない現状では防げない確率の方が圧倒的に高い。それで打つ手を考えても意味はない。それは事実なんだけど」


 神の力が多少の弱点を得てしまって弱まっていても、それでも天使に太刀打ちできる力ではないのは確かだ。


 それを可能にする相手しか、この現状で城に手は出せない。


 つまり防げない相手しか行動を起こせないということである。


 かといって打つ手がないからと指を咥えて見ているというのも、ミカエルのプライドにかけてできないし。


「セラにはとにかくカイを見張っていてほしいんだ」


「見張る? これまで以上にですか?」


「そう。露骨にベッタリするくらい見張っててほしい。なにか動きがあるとしたら間違いなくカイだから」


「それは確かにカイはわたしのことを幼馴染みだと思っていますから、多少ベッタリ傍にいてもなにも言わないでしょうけど」


 というかミカエルがカイと面識を持つまでは、唯一身近にいたという理由から、セラフィムは毎日のようにカイを訪ねていってベッタリしていた。


 それでもカイは嫌味を時々口にするくらいで、特に抗議したことはないが。


 しかし気心が知れている分、文句を口に出しやすいというのも事実である。


 ベッタリされるのが嫌な場合、カイはそれをハッキリ口に出す。


 そうしてそういうとき、セラは長く円満に付き合っていくために文句を言われたときは距離を置くという付き合い方をしていた。


 それはミカエルと知り合ってからも変わらない。


 つまりベッタリしろと言われても、カイに嫌がられたらできないのである。


 カイにだってひとりになりたいときはある。


 それを知っているから敢えて息が詰まるような付き合い方は避けていた。


 困ってしまうセラフィムにミカエルはため息をひとつ。


「甘い顔するなよ、セラ」


 図星を刺されセラフィムは黙り込むしかない。


「俺が天界に戻っている間というのは、おそらくだけどそんなに長くないはずだ。どんな理由があるにせよ、現状で俺に長くカイの傍を離れるように仕向ける神じゃない。だから、その程度の時間、強引に付きまとえなくてどうするんだ?」


 それはそうなのだがセラが、いつまでこの任務をやっているかはわからない。


 ミカエルとも立場が違う。


 ミカエルはおそらくもう生涯彼と共に過ごす覚悟があるのだろう。


 でなければ彼の子供を産んで平然と傍にはいられない。


 今も一緒にいるということは共に過ごす覚悟があるということだ。


 友達として付き合うセラフィムと恋人、或いは妻的な関わりで彼と付き合っていくミカエルとでは、当然だが付き合い方が変わってくる。


 多少深入りしてワガママを言っても許されるのがミカエルの立場なら、友達だからこそ相手のことを第一に考えてワガママを慎むべきなのがセラフィムの立場だ。


 友達なんてなにが切っ掛けで離れていくかわからないのだから。


 友情と恋愛の違いって難しいなと、ミカエルが深くカイと関わるようになってから、セラフィムは感じるようになっていた。


 少なくともカイはミカエルの前で見せる顔は、セラフィムの前では見せない。


 無意識の彼の区別である。


 ミカエルに見せてもいい顔。


 セラフィムにしか見せられない顔。


 彼はそういうところハッキリしている。


 心の距離はどちらが近いなんてないのだろうが、少なくとも優先順位はミカエルよりもセラフィム、いや、セラの方が低い。


 それは認めざるを得なかった。


 その代わりミカエルの問題で相談されたり、違った意味で優遇されているのもセラフィムなのだが。


 大天使の恋愛問題なんて相談されても、セラフィムとしても答えられないのに。


 カイは知らないとはいえ、セラは大天使ミカエルの直属の配下セラフィムなのだから。


 主について相談されても否定なんて返せるわけがない。


 しかし悩んでいるカイに肯定的な返事もできないし、セラフィムも無駄に疲れる立場なのだ。


 ミカエルはそういうところ、綺麗に無視してくれるけれども。


「とにかく動きがあるとしたらサタンか、或いは」


「或いは?」


 すこしだけ間を空けてミカエルはセラの問いに答えた。


「ルシフェルのどちらかだ」


「ルシフェル様ですか」


「その癖、抜けないな、面識はないはずなのに」


「ガブリエル様の兄君だと知ってしまいましたからね。天界での禁句ではあるのでしょうが」


 あのとき、サタンと共にいてセラとが剣を交えた相手がルシフェルだったと後に知らされて、実はセラはひとり青ざめたことがあったのだ。


 彼があのガブリエルが今も慕っている兄だと知って。


 警護を担当していた関係から、セラはガブリエルからルシフェルの話は何度も聞いていた。


 ガブリエルもセラしか話し相手がいなかったのか。


 ルシフェルの話題はセラにしか振らなかったから。


 親しかったという意味なら1番話しやすい相手はミカエルだと思うのだが、一度「ミカエル様と思出話でもされてはどうですか?」と言ったら、酷く悲しげな顔をされてしまったのだ。


 ガブリエル曰く。


『ミカエルは確かにルシフェルとは親友でした。ですが親友だったからこそ、ルシフェルが墜天したことが許せないらしく、少しでもルシフェルの話題を振ると、もう忘れるように言うんです。それ言わせるのが辛くて』


 そう言われ、言われるのが辛いの間違いではないのかと、セラが問いかけるとガブリエルは穏やかに笑ったものだ。


 そう口に出すミカエルの方が傷付いているはずだと。


 それほど似た者同士だったからと。


 ミカエルにとって堕天したルシフェルの姿は堕天した自分の姿と重なるのだろうと、そのときガブリエルに言われた。


 それ以来セラフィムもミカエルにはルシフェルの話題は振らないようにしている。


 そのミカエルが現状でルシフェルの名を出したということは、名実共にサタンの次に位置する実力者が、そのルシフェルしかいないということだ。


 さすがはガブリエルの実の兄君。


 そして大天使ミカエルが唯一親友と認めただけのことはある。


 まあそんなことをミカエルに言えば責められるのだろうが。


 ルシフェルを認めない。


 それが大天使としての、いや、天使としてのミカエルの譲れない矜持なのだろう。


「あいつがなにを考えてるのか、俺が1番知りたいよ」


「ミカエル様」


「少なくとも他の悪魔たちとは違う感情をカイに向けてるのは確かだ。だから、この好機に行動を起こす可能性も無じゃない。腹立たしいけどな」


「そのどちらもわたしの実力で太刀打ちできる相手とも思えませんが?」


「それでも護れ。それがセラの役目だろ」


 譲らないミカエルに「甘えるな」という叱責が見え隠れする。


 実力で敵わないからと負けを自分から認め手を拱いてただ見ているだけ。


 その無様さをミカエルは指摘している。


 セラフィムは深々と頭を下げた。


「申し訳ありません、ミカエル様。弱音を吐きました」


「わかっていればいいんだ。ただ打つ手を与えてやれない俺が、一方的に責めるのも間違っているけどな」


「いいえ。ミカエル様がいらっしゃらない。ただそれだけの事実を補えないわたしの力不足です。ミカエル様のせいではありません。わたしのせいなのですから」


 セラフィムは確かに戦いに秀でている。


 しかし以前にミカエルに指摘されたように、それにのみ秀でるあまり天使としての能力には欠けている。


 それが隙になることが多々ある。


 そういうことである。


 戦うだけならセラフィムだけでもなんとかなる。


 しかしサタン、ルシフェルレベルになると天使としての力も必要とされるのだ。


 対等にやりあうためには。


 ミカエルはセラフィムよりも戦いに秀でている。


 なのに天使としての力も最強。


 ミカエルが大天使にまで登り詰めることができた所以である。


 三大天使と言われながらセラフィムが、ミカエル、ガブリエルに及ばず、ガブリエルの護衛を主にこなしていた理由もまたそれだった。


 ガブリエルは滅多に自分では戦わないが、その実力はセラフィム以上。


 それで何故護衛としてセラフィムが必要かというと、ガブリエルはあまりに優しすぎて、どれほどの実力を所持していようと戦いには向いていないからである。


 例えば悪魔を相手にしたとき、知己であるないに関わらず、ガブリエルは止めをさせない。


 却ってその優しさのせいで窮地に陥ることが多い。


 過去にそういうことが度重なり、彼を溺愛する神の命令により、二大天使の一員であるセラフィムが、彼の護衛をするようになったのだった。


 自分にもう少し天使としての能力が備わっていたら。


 そう思い唇を噛み締める。


「とにかく現状でできることといえば、カイをひとりにしないこと。これに限るんだ」


「そうですね。常に傍にいればなにか起きたときにすぐにミカエル様に救援を願えますし」


「ああ。だから、気を抜くなよ、セラフィム。カイを頼む」


「承知いたしました」


 一礼してセラフィムはミカエルの真摯な口調から、自覚しているかどうかは知らないが、彼のカイへの愛情は、どうやら本物らしいと感じていた。


 でなければあんなに真剣な声は出せない。


 大天使として命じたのなら、もっと威厳に満ちていただろうから。


 ミカエルはすぐにでも天界に戻る。


 セラフィムの重責は増す。


 それでもやらないといけないのだ。


 幼馴染みとしても彼は護りたいから。


 二度も同じ過ちは繰り返さない。


 それだけを心に刻んで。

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