第38話


 今日はきちんと話をしよう。


 カイはそう決めていた。


 出ていけと言ったときのミカエルの顔。


 見たくなかったけど見えていた。


 凄く傷付いた顔をしていた。


 あんな顔させたいわけじゃなかったのに。


 心配されていることも、そこに邪な意図がないことも理解していた。


 でも、言えるはずがない。


 心当たりがカトリーヌだなんて。


 だから、きちんと話をして今日を終わらせる。


 そう決意していたはずなのに……。


 ユラユラと揺れる小舟のようにカイの意識は揺れていた。


 カトリーヌがやってきて、いつものようにお茶を淹れると言われたが、今日はそれより話を優先したいからと言ったのだ。


 そこまでは記憶にある。


 だったら淹れながら話すと言われて、いつものお茶の香りが立ち込めて、そこから記憶がない。


 そう言えばいつもそうだ。


 カトリーヌが手ずから淹れたお茶。


 あのお茶を飲むと記憶が途切れて朝になる。


 今夜は香りだけで意識が途切れて記憶がとんだ。


 でも、今夜は飲んでいないせいか、うっすらと意識がある。


 だれ?


 だれかの腕に抱かれてる。


 女の人?


 でも、女性化したミカエルじゃない。


 ミカエルだったらわかる。


 何度も身体を重ねてきたから。


 その腕も胸の感触もミカエルのものじゃない。


 だれ?


「カイ。今夜が1週間目の満月よ? 待っていたわ。この夜を」


 この声。


 カトリーヌ!?


 気持ちは焦っているのに身体は言うことを利かない。


「さあ。今夜も契りましょう? 今だけはあなたと血が繋がっていることを感謝するわ。わたしにはこんな方法があるんだもの」


 契る?


 現実味のない言葉だ。


 そう思うのに薄く唇を開かされて、なにかが押し当てられた。


 温かいなにかが流れ込んでくる。


 甘い味がする。


 知ってる味だ。


 でも、なんで鉄の味がする?


 まるで血を飲んでるみたいな。


 身体が芯から暑くなる。


 魘されると抱き締める力は強くなった。


「今夜は満月。あなたから血の契りを貰えば呪いは完成よ」


 血の契り?


 あっ。


 この瞬間すべてが理解できた。


 じい様に習ったことがある。


 最も強力で最も厄介で最も原始的な恋の呪い。


 1番確実なのが血の契り。


 1週間を掛けて互いの血を交換して飲むことで成立する呪いだ。


 血が繋がっていることを前提とした方法だから、これは禁忌だと言っていた。


 あのお茶……たぶん睡眠薬が混じってたんだ。


 しかも今夜は拒絶されることを念頭に入れて、香りだけでも眠らせる物を選んでいた。


 どうして気付かなかったっ!?


 でも、どうして彼女がこんな手段に出たんだ?


 そこまで嫌われていた?


 嫌いだからってそこまでするか?


 兄だとわかっている相手に。


 悩んでいて彼女の様子を確かめるのを忘れていて急に唇に痛みを関した。


 傷でもできたみたいなヒリヒリした傷み。


「ごめんなさい。痛いでしょう?」


 どうやらカトリーヌに傷付けられたらしい。


 ヤバい。


 ということは血は流れてるはずで。


 なんとかしないとっ!!


 キスでもされたら最後だっ。


 気持ちは焦るのに、やっぱり身体はまだ眠ったまま。


「9年待ったのよ?」


 9年?


「あなたに恋して9年経ったわ」


 恋?


 カトリーヌが?


 驚愕に心が支配されていく。


「こんな形で成就させたくはなかったけれど、これしか手段がないの。あなたは妹だとわかったわたしに恋はしてくれないでしょう?」


 悲しい声だった。


 こんな手段に出ているとは思えない恋する少女の声。


 無意識に唇を噛み締める。


 拒絶しないと。


 自分たちは実の兄妹なんだから。


 そう思うのに。


 顎を持ち上げられ唇を開かされる。


 どうなるかわかっているのに、それでも。


 諦めと悲しみが心を支配する。


 唇が重なっていく。


 その瞬間。


「やめろっ!!」


 聞き慣れた声がしてカイは床に身体をぶつけて意識を取り戻した。


 霞む目を開く。


 カトリーヌがミカエルに取り押さえられていた。


「離してって!!」


「バカがっ。幾ら好きだからって、こんな手段に出てもいいって、どうして思えるんだっ!?」


「あなたになにがわかるのっ!?」


 振り向いてミカエルを睨む瞳は涙が溢れている。


 カイはなにか言いたかったが声が出ない。


「この呪いは神によって禁じられてるっ!! 成立してたら魔界へ堕とされるっ!! カイまで巻き添えにする気だったのかっ!?」


「ふたりで居られるなら、そこが魔界だって構わないっ!! この気持ちを否定する神なんていらないっ!!」


 そう叫んだカトリーヌの頬をミカエルが思い切り叩いていた。


 自分の方が痛そうな目をして。


「悲劇の主人公ぶるな。それって結局はただの自己満足だろうが」


「……あなたになにがわかるのよ?」


「わかりたくもないね。そんな身勝手な愛情。ただのエゴだろ」


「じゃあカイに無理強いするのはあなたのエゴじゃないの?」


 痛いところをつかれたのか、ミカエルは黙り込んだ。


「無理強いして子供まで得て権利を得たと思ってた? お父様まで味方につけて?」


「カトリーヌ」


「なにがエゴでなにが純粋な愛情か、あなたに決められたくないっ!! 9年も待って待ち続けて愛していた人なのよっ!? 今更実の兄だなんて言われても……納得できるわけないじゃないっ!!」


 泣き叫ぶカトリーヌにミカエルもなにも言えないようだった。


「カトリーヌ」


 初めてカイは彼女の名を呼び捨てにした。


 その声に反応して彼女が振り返る。


 驚愕に瞳を見開いて。


 カイは苦しそうに彼女を見ていた。


「今まで気付かなくて……ごめん。でも、いけないよ? こういう真似は」


「……カイ」


「好きとか嫌いとか、そういう感情って自然な感情の発露であるべきだろ? 無理強いして愛されても、それこそ意味がない。ただのエゴだ」


「あなたまでそんなことを言うの?」


「カトリーヌの気持ちがエゴだって言ってるんじゃない。選んだ手段がエゴだって言ってるんだ」


 この一言にはカトリーヌも反論できなかった。


 気持ちを肯定されてまで反論できるはずがない。


「自分を貶めるのはよくないよ、カトリーヌ。そんな姿は見たくない」


「……兄の言葉ね」


「カトリーヌにとっての俺が男でも、俺は……兄だからね」


 ハッキリとした拒絶だった。


 ミカエルはこんな修羅場で彼がハッキリ断るとは思っていなかったので、あんぐりと彼を凝視してしまった。


「泣いていいよ。俺が抱いてるから」


 無理をして近付くとカイはしっかりとカトリーヌを抱いた。


 焦がれ続けた胸に抱かれて、カトリーヌは泣いた。


 泣き続けた。


 それは幼い日から想い続けてきた恋が終わった瞬間だった。


「お父様っ!!」


「大丈夫、父上っ!?」


 セラに連れられてやってきたふたりに、カイは苦い笑みを浮かべる。


 その様子からミカエルは間に合ったらしいと、ふたりはホッと安堵した。


「セラ」


「なんだよ?」


「悪い。カトリーヌを部屋に連れ戻してくれ。できれば鎮静作用のあるお茶でも飲ませてやってほしい」


「わかった。だから、言ったんだ。カイは鈍いって」


「……セラ」


「気付いてなかったの、当事者のカイくらいだと思うぞ?」


 彼の揶揄いなどの言葉の意味が、今初めて理解できてカイは言葉を失った。


 セラに連れられて去っていくとき、カトリーヌは最後までカイを愛しそうに見ていた。


 その瞳に最後の愛情を込めて。


 だから、黙って頷いた。


 わかっているからと。


 ふたりの姿が扉の向こうに消える。


 そこまでがカイの限界だった。


 グラリと身体が傾く。


「カイ!?」


 ミカエルが慌てて抱き止めて、ふたりの子供たちも駆け寄った。


「最後だけ……助かったよ、ミカエル」


 気絶する瞬間、カイはそれだけをミカエルに告げてくれた。


 責められてなにも言えなかったミカエルは、ただ気を失った彼を抱いていることしかできなかったけれども。


「間に合ったんだねえ。よかったあ」


「ガウェイン」


「ミカエルが間に合わなかったら、どうしようかと思ってた。さすがに騎士王が魔界へ堕とされたら笑い話じゃ済まないし」


「でも、本当に危機一髪だったみたいね。お父様の唇、血がついてる」


「ああ。たぶん斬られたんだろ。これだな、たぶん」


 そう言ってミカエルは床に転がっているナイフに目をやった。


「女って思い詰めると怖いなあ」


「ミカエル」


「ミカエルってぼくらの母親だって自覚あるの?」


「あー。どっちかっていうと父親?」


「しっかりしてよ。子供を産む父親がどこの世界にいるの?」


「まあいいや。今夜は家族で団欒に浸ろうか。カイの様子も見ていないといけないし」


「そういえばお父様の部屋って初めて来るかも」


「人前だとまだ親子だって名乗れないからね、ぼくも」


 ふたりはキョロキョロとカイの部屋を見回している。


 今更のように間に合ってよかったと、ホッと安堵するミカエルだった。





 その日の夜、カイはふっと意識を取り戻した。


 だれかの腕に抱かれて寝ていたようだ。


 視線を向ければミカエルだった。


 ミカエルがしっかり両腕でカイを抱いて寝ている。


 その両側にはふたりの子供たちが寄り添って寝ていた。


 ああ。


 終わったんだと今更のように噛み締める。


 まだ身体が熱い。


 ミカエルに制止されて最後の一線は越えずに済んだが、逆から言えばそこまでは成立していたのだ。


 まずいことになったなと、カイは内心でため息を漏らす。


 おそらくカイはサタンには好都合な状態に戻されたはずだ。


 ミカエルとの事情によって高められていた天界の気も、おそらく今回の事件で魔界の気が強くなっている。


 サタンは……動く。


 近い将来絶対に動く。


 それは覚悟しないといけないようだった。


 そういえば子供たちの能力ってなんなんだろうとカイは思う。


 騎士王と大天使の子として、ふたりには特別な能力があるはずと、神が言っていたらしいのだ。


 だが、今のところその片鱗らしきものは覗かせていない。


 問題は山積みだなとため息をついた。

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