第37話

 だが、これではっきりした。


 魔法じゃないかもしれない。


 しかし彼は確かになにかの影響を受けている。


 大天使にすら見抜かせないような巧妙ななにかの影響を。


 本人はおそらく心当たりはあるのだろう。


 でなければここまではっきりと拒絶反応は示さない。


 答えが出かかっているのに、それを自分で制止するような真似も、自覚がなければできない。


 異変の原因に彼は心当たりがある。


 でも、それを教える気はないのだろう。


 無意識のレベルでそう決めてる。


 厄介だな。


 取り敢えず眠らせるか。


 たぶんだが彼はろくに眠ってない。


 眠っていても身体の方は休まってない。


 だから意識が飛ぶ。


 もしかしたらそれだけじゃないかもしれないが。


「カイ?」


 気を与えようとキスするとカイが全身を痙攣させて両手で身体を押し退けた。


「カイ?」


 本気で驚いた。


 こんな反応初めてだったから。


 しかも本人には半分意識がないはずなのに。


 脂汗を掻いて瞳を見開いたカイが驚いた目を向けてくる。


「あれ? 俺、今なにを……」


 もう一度確かめる意味でキスしようとすると、カイは条件反射といった感じで、椅子を倒して立ち上がり壁際にまで逃げていた。


 本人も理解できないと言いたげな顔をしている。


「……言ってみろよ。なにがそんなに嫌なんだ?」


「わからない。身体が勝手に動くんだ。なんで?」


「逃げる意志は全然ない?」


「逃げる意志もなにも逃げようって思考すらない状態で、身体が独りでにに動くんだ。理由なんて俺の方が知りたいよ」


 首を傾げながらもカイの顔色は悪い。


 自分でも理解できない反応に戸惑っているだけじゃない。


 おそらく身体を勝手に動かす「なにか」の影響を受けているからだ。


 そしてたぶん「それ」は「こういうこと」に反応する。


 逃げ場を封じた上で両手首を押さえ込み、抵抗を封じる。


 カイは青ざめて全身で拒絶しているが、その瞳には戸惑いしか浮かんでいなかった。


 やはりそうだ。


 こういう「行為」に反応して彼は無意識に「拒絶させられている」のだ。


 その自覚もない状態で。


 これでなんの魔法にも掛かってないって?


 そんなバカな話、あるもんかっ!!


「安心しろよ。俺にその意思はないから。ただ確認しただけだ」


「確認?」


 全身でミカエルを拒絶するカイを見ているのは辛かったから、黙って手首を解放した。


 カイは大きく安堵の息を吐いている。


「あんた……だれかに恋の魔法掛けられてないか?」


「恋の魔法って所謂おまじない? そんなの使っても効果あるのか?」


「100個中1個くらいなら効果のあると思うよ。なんの効果もないおまじないも確かにあるけど」


「でも、効果のあるおまじないなんて掛けられてたら、ミカエルが真っ先に見抜いてるんじゃ」


「俺だってそうだって断言したいよっ!! 大天使としてのプライドがズタズタだっ!!」


「……ミカエル」


「今確認した限りじゃ、これ、どう考えても恋の魔法に掛かってるとしか思えないんだ。あんた無意識にそういうこと拒絶させられてるから」


 今の自分の反応を思い出すと否定もできないのだろう。


 カイはなにも言い返さなかった。


「でも、普通ならどんな微弱な呪いでも、だ。大天使の目を誤魔化すことなんてできない。どういうことだ? 普通の恋の魔法じゃないのか?」


 ミカエルがぶつぶつと悩んでいるのをカイはじっと見ていた。


 その脳裏に浮かんでいるのはカトリーヌである。


 この状況に彼女が絡んでいるとは思いにくい。


 なにより彼女は半分とはいえ血の繋がった妹だ。


 それでこんなのおかしい。


 でも、異変の心当たりと言えば、それくらいしかなかった。


「あんたには異変の心当たりはあるはずだよな?」


 なにも言えないカイをミカエルがきつく睨んでくる。


「これ以上呪いが効果を発揮してからじゃ手遅れになるかもしれない。黙秘しないで言えよっ!!」


 怒鳴られても言えるわけがなかった。


 異変の心当たりと言えるのが、実の妹のカトリーヌしかないなんて。


 口を噤むカイをミカエルはただじっと睨んでいた。





「あの頑固者!! もう知るもんかっ!! 人……って天使が心配してるのに足蹴にしてっ!!」


 バンバンと長椅子にクッションを叩き付けるミカエルを子供たちが見ている。


 今時刻は夜。


 あれからミカエルとカイは喧嘩別れしていた。


 ミカエルがどう言ってもカイは口を割らなかったのだ。


 それどころか「うるさい。出ていってくれよ」と顔を背けて言われた。


 これには頭にきた。


 嫉妬も確かにあったかもしれない。


 邪に邪魔してやろうって魂胆がなかったと言えば嘘になるかもしれない。


 だが、純粋にカイが心配だったのも事実なのだ。


 あの「呪い」はタチが悪い。


 本人にも気付かせない間に心に侵食している。


 あのまま放っておけば本人に自覚がないままに心を乗っ取られる恐れがあった。


 だから、心配で。


 だから、なんとかしたくて問いかけたのに返礼が「うるさいから出ていけ」だなんてあんまりだ。


 一通り暴れるとミカエルはクッションを抱き込んで絨毯の上に座り込んだ。


 その目は半泣き状態だ。


 カイに拒絶されたのがショックだったのである。


 出ていけという言葉は思っていた以上にミカエルを傷付けていた。


「ミカエル。お父様を放っておいていいの?」


「あの頑固者が出ていけって言ったんだ。知るもんか」


「なんでわからないかなあ。父上が出ていけって言ったなら、それは傍にいられたら困るから。逆から言えば父上の傍にミカエルがいるだけで父上を護れるって証拠なのに」


「ガウェイン」


 驚いて見上げれば少し背が伸びたガウェインが大人びた笑顔を浮かべていた。


「確証はないよ? ただ父上が犯人を庇おうとしてるなら、ミカエルを追い出したことが、そのまま犯人を護ることに繋がる。そう思ったんだ」


「確かに……そうとも取れるけど」


「お父様……お優しいから犯人とミカエルの板挟みだったんじゃないかしら。たぶん今頃後悔しているわ。犯人を庇うためとはいえ、ミカエルを傷付けたから。そこで後悔しないお父様じゃない。そのことはミカエルが1番よく知っているわよね?」


 確かに普通は目を見て話すカイが、ミカエルに「出ていけ」と言ったときは顔を背けていた。


 カイが相手の目を見ないときは真実を口にしていないときだ。


 自分でも理解できないままにミカエルを拒絶させられたときだって、カイは真っ直ぐにミカエルを見ていた。


 なのにあのときは目を合わせず冷たい声で「出ていってくれよ」と言ったのだ。


 どうして気付かなかった?


 カイは本心じゃないことを言っていたから顔を見なかったのに。


「でも、出ていけって言われたのに行っても……」


「「ミカエル!!」


 ふたりの子供たちが息が合っているというのだろうか。


 同時にひとつの花瓶を持ち上げて、ミカエルの頭から水をぶちまけた。


 さすがにそんな目にあったことのないミカエルである。


 ずぶ濡れのままきょとんと見上げてしまった。


「弱腰にならないでっ」


「リーゼ」


「恋の呪いなんでしょうっ!? 本気でお父様を奪われても知らないからっ!!」


「父上がそこまでして庇う相手。ミカエルは心当たりがない? 父上のことならミカエルかセラフィム辺りが1番詳しいはずだよ。よく考えてみて」


 ふたりはカイの知らないセラの正体を知っていた。


 これはカイには秘密にしろミカエルに言われているから、ふたりともカイには言っていないけれども。


 そこまでしてカイを護ろうとしているのがミカエルである。


 そのミカエルが変な意地を張って後悔するのは、ふたりとも見たくなかった。


 咄嗟にミカエルは立ち上がっていた。


「セラ!! セラフィム!!」


 何度も自らの配下を呼ばわる。


 やがて焦ったようにセラフィムが駆け込んできた。


「どうされました、ミカエル様っ!?」


「嘘をつかないで答えろ。カイの身辺にそれも彼が庇わなければならないほどの立場で、カイに……恋心を寄せている者はいないか? 男でも女でもいい。いないか?」


 低い問いかけにセラフィムは苦い顔で俯いてしまった。


「いるんだな?」


「……はい」


「なんで言わなかったっ!?」


「いえ……その……カイの御子をお産みになられたミカエル様には言いにくかったと申しますか。その……」


「言えっ!!」


 低い声で命じられセラフィムは観念した。


「……カイの実の妹姫。カトリーヌ王女です」


「え? だって実の兄だよな? カイは?」


「本人は自分にもうひとり兄がいることは知りませんでした。その状態で皇帝にそっくりなカイが兄だと疑うとお思いですか?」


「……じゃあ兄だと知らずに?」


 震える声の問いかけにセラフィムは頷いた。


 天使にとっては絶対的な禁忌である。


 男同士とか女同士以上の。


「ヤバい。じゃああの呪いの意味って……」


 青ざめてミカエルは駆け出していた。


 その背をきょとんと見送るセラフィムである。


「セラフィム。今カトリーヌ叔母様がお父様を好きって言った?」


「ええ。まあ言いましたね、リーゼ様」


「確かロズウェルに習ったけど、恋の呪いでひとつ強力なのがなかった?」


 ガウェインは冗談混じりに受けた講義を思い出していた。


「なにか相手と深い絆で結ばれた物を利用して行う呪い」


「ああ。ありますね。相手に本気の恋をさせることのできる唯一の呪いです。ただあれは相当強力な絆がいるので、そんなに簡単には成功しませんが」


「じゃあそれが同じ父の血を引く血筋だったら? なにを利用すれば成功する?」


「そうですね。まあ野蛮な例えですが手っ取り早いのは血を飲ませることでしょうか」


「ちょっと待って。それって……」


 ガウェインが青ざめてリーゼがその続きを口にした。


「お父様……自分でも知らない間に叔母様から血を与えられていた?」


「なんのお話ですか、おふたりとも? それにミカエル様はこんな時刻にどこへ?」


「「セラフィム!!」


 突然ふたりに詰め寄られてセラフィムは狼狽した。


「「お父様(父上)のところへ連れていって!!」


 異口同音の声にセラフィムは今起きていることの一部始終を聞いて慌ててふたりを連れてカイの部屋へと向かった。

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