第25話

「薄々そうじゃないかなとは思ってたけど、カイって鈍いんだ?」


「なんでそうなるんだ、ミカエル?」


「いや。わからないならいいんだけど」


 言いながらミカエルはどこか遠くを見ている。


「それよりなにをしたんだ? この感じはサタンに刻印を刻まれたときと同じだ」


「ああ。うん」


 ミカエルはどう答えようか迷ったが、ここは隠しても仕方がないと覚悟した。


「実はさ、サタンが刻んだ刻印をなんとかしてもらおうと、俺も神に問いかけたりして方法を模索してたんだ」


「でも、どうにもならないってエリルは」


「確かに普通はどうにもできません。神以外はその契約をなかったことにはできない。けれど大天使だけはその可能性を秘めています」


「どうして?」


 口を挟んできたエリルに不思議そうな顔を向ける。


「だから、神を別格とするとサタンと俺は全くの同格なわけ」


「同格? つまり扱いが同じ? それとも立場が同じ?」


「この場合、力や与える影響が同じ、と言うべきかな」


「でも、普通はサタンを神と同格に見ていないか? 少なくとも地上では」


「それはサタンが悪魔王だからであって、実際にはサタンでも神には勝てない」


「へえ」


 意外だった。


 でも、それが本当ならどうして神ならサタンの契約を解除できるのか、それも理解できた。


 サタンが神と同格ではなく大天使と同格の存在なら。


 神の方が力や立場が上だから、サタンの力も無にできるのだ。


「この世に神と同格の存在というのは事実上存在しないんだ。サタンでも敵わない。それでもサタンが特別視されるのは、サタンが神に次ぐ位置にいるこの俺、大天使と同格の存在だからだ。それはある意味でサタンもまた神に次ぐ位置にいる証明だから」


「なるほど」


「つまり、ですね? ミカエル様はこの世でただひとりサタンと同じことのできる存在、という意味になります」


「サタンと同じこと? でも、天使と悪魔なのに?」


 エリルの言葉に首を傾げるとミカエルが苦々しい顔で答えてきた。


「確かに同じことをやっても結果は多少違うよ。でも、サタンが刻印を刻んだ場合、それを無にできるのは俺しかいない」


「だから、なんで?」


「飲み込み悪いなあ、カイは」


「ミカエル、酷い」


「いや。だってここまで説明したんだ。すこしは気付いてくれよ。つまり俺が大天使でサタンが悪魔王で、しかも同じ真似ができると仮定したら? まだわからないか?」


 幼い子供に言って聞かせるようにミカエルが顔を覗き込む。


 言われたことをすこしの間考えた。


 天使と悪魔。


 元は同じ存在。


 けれど、今は対極の存在。


 ただふたりに許された特別な手段。


 その影響。


「え? まさかミカエルが大天使だから、サタンと同じことをミカエルがやって、ミカエルが勝った場合にかぎり、俺はサタンの刻印や契約から解放される……なんていうんじゃ」


「……当たり」


 苦い笑みを見せるミカエルにチリチリと痛みを訴える項に手を添えた。


 青ざめる。


 その可能性はわかっていても認めたくなくて、だから、飲み込みが悪かったこと。


 責められないことはわかっていても、笑顔で「ありがとう」とは言えない。


「本当はする気はなかったんだ、俺も」


「ミカエル」


「そんなのカイにしてみれば事後承諾だろうし、否応なしなんていくら助かるためでも、実情はサタンと大差ない。だから、やらない気だった」


「だったらなんで」


「よくわからないだろうけど。あんたさ。自分がどれほど貴重な存在か、すこしくらい自覚してる?」


「騎士王だから貴重なのはわかるけど」


「騎士王だからじゃなくてカイ自身が貴重なんだ」


 わからない。


 騎士王じゃないカイなんて存在価値がない気がするが。


 そもそも騎士王じゃないカイなら、おそらく臣下たちももっと派手に殺そうとしてくるだろうし、存在価値がないから今頃生きていたかどうかわからない。


 なのにミカエルはカイ自身が貴重だという。


 騎士王ではなく。


 本当にわからない。


 そこまで言われるほどカイが特別だとは思えないのだが?


「あのサタンを相手にイヤだと言える人間。サタンの誘惑を退けて嫌悪を示せる人間。それだけでカイは悪魔たちにとって貴重なんだよ」


「そんなの屁理屈だろ。捜せばいくらだって」


「いや。この件に関してカイが貴重だっていうのは俺も同意見」


「そんな」


「普通の人間ならサタンに誘惑されたらひとたまりもないって。それどころか誘惑されることを無理強いと受け取って嫌がるなんて、普通の人間にはできないよ」


「……」


「だから、悪魔たちの眼にはカイは特別に映る。悪魔王を受け入れない契約相手なら、自分が手に入れてみたい。そう思わせる程度には」


「まさか俺の傍に悪魔たちがひしめいてるなんて言わないよな、ミカエル?」


 さすがにそれは遠慮したいと顔に書いて訊ねると、ミカエルは気の毒そうな顔になった。


「やめてくれ。サタンを受け入れない人間だからって興味をもたれても喜べないよ」


「いや。喜ぶ喜ばない以前の問題だろ。相手は悪魔なんだし」


 どこかズレたカイの反応にミカエルが呆れている。


「さすがにサタンに対しては、普通の悪魔ほどの効果はないと思う。でも、俺がカイを選べばカイに刻印を刻めば、普通の悪魔は手出しできない」


「ミカエル」


 そのために?


 言えない問いが脳裏に浮かぶ。


 今はそれを認められても素直に「ありがとう」とは言えないだろうから。


「サタンの刻印と俺の刻印。ふたつの影響から普通の悪魔では手出しできなくなる。サタンだってなにもないときほど簡単には手が出せないよ。幹部クラスの悪魔だって消滅覚悟でないと行動には出られない。」


 最後の一言を告げるときだけ、ミカエルの視線は黙って立っているルシフェルを捉えていた。


 カイに手を出したときがおまえの最期だ、と。


 ルシフェルは顔色を変えない。


 そもそも彼はサタンの代理として動いていただけだし、カミュエルがカイに手出しできなくなるのは、ルシフェル的にも助かることだから。


 でも、胸のモヤモヤとした感じは消えなかった。


 カイの首筋に刻まれたミカエルの刻印をみて。


「それでもイヤだよな?」


 顔を曇らせて問いかけるミカエルにカイは答えられない。


 イヤだと言えたら楽なのに動機を聞いてしまえば言えない。


 ズルイなと思う。


 これだけ詳しく説明されたら怒られないではないか。


「それにただでさえ体調が良くなかったのに、きっと苦しかったよな。ごめん。責任は取るから」


 言葉の意味を問おうとしたときには、ミカエルは再びカイの項に顔を埋めていた。


 唇が肌に触れるのがわかる。


 ルナに見られているのが気になって赤くなったが、やはり逃げることは今のカイではできなかった。


 さっきほど強引でも乱暴でもない。


 柔らかく唇が触れている。


 そこからなにか温かいものが流れ込んでいた。


 不思議と身体が楽になっていく。


 驚いて横目でミカエルを見た。


 自分の項にキスをしているミカエルを。


 チリチリと感じる痛みに重なる柔らかく優しい感触。


 徐々に身体も心も落ち着いてきてカイは大きく息を吐いた。


 そこでようやくミカエルが顔をあげる。


「なにをしたんだ、ミカエル?」


「なにって生気を送り込んだんだよ。天使ってあんまり人を癒したりしないし、本当になんていうのか、神の御使いらしいことをなにもしないけど、それってできないんじゃなくてしないんだ」


「しない? つまりやろうとしたら人を癒せる?」


「天使の持つ癒しの力はそう簡単に使ってはいけない力なんだ。それは人にとって奇跡の力だから。だから、普通は使うことを神に禁止されてる」


「よかったのか? 今使ってしまって」


 ミカエルが責められることを案じるカイに、心配されたミカエルは「お人好しだなあ」と内心で苦笑する。


 気遣うなんておかしい。


 ミカエルの本意ではないとはいえ、ミカエルはカイに無理強いした関係なのだから。


 でも、そこがカイのいいところだよなと苦い気持ちで思う。


「紋章もちの天使の場合、紋章を刻み生涯の伴侶と決めた相手のみ癒すことが許される。それに今のって癒しというより、紋章の刻印から俺の、大天使の生気を送り込んだだけだから心配はいらないよ。そもそもこの方法があるって暗示してきたの神だし」


「なんていうかサタンと逢っていたときにも思ったけど、サタンやミカエルって神を特別扱いしないよな」


「あー。まあな」


 認めながらもサタンと同列に扱われたミカエルは不機嫌だ。


 サタンと同列の存在である。


 自分で明かしたが、実はこの事実はミカエルにとって1番気に入らない事実だったりした。


 あんまり指摘してほしくないなと内心で頭を抱えていた。


「それに……あのとき一度だけ逢った悪魔、確かルシフェルって言った」


 いきなりカイの口から自分の名が出て、ルシフェルが意外そうにカイを凝視する。


 彼があの出逢いを憶えているとは思わなくて。


 ミカエルが不機嫌そうに見上げていたが、ルシフェルは演技することも忘れて、じっとカイを見ていた。


 今にも寝てしまいそうなカイを。


「すこし悲しそうだけど……優しい眼をしてた。サタンと同じ悲しみと優しさを秘めた眼を」


「カイ。悪魔に同情するなって前にも……おい。カイ?」


 ミカエルが何度も腕の中にいるカイを揺さぶる。


 だが、カイはスヤスヤと寝息を立てていた。


 身体が楽になって眠くなったのだ。


 呆れる無防備さにミカエルは黙ってカイを抱き上げた。


「ミカエル様」


 ルナが複雑そうな声を投げる。


「言い訳はしないよ。責めたいなら責めてくれ。でも、カイには関係ない。無理強いなんだから。だから、カイには憤りをぶつけないでやってくれ。頼むから」


 そう言ってくるミカエルにルナはなにも言えず唇を噛んだ。

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