第24話
「あんた、そんな妹の辛さも考えないで、こんなところでなにしてる?」
辛辣なミカエルの口調にルシフェルはなにも言わない。
ただきつく唇を噛むだけで。
「兄のことを思って心を痛める妹のことも忘れて、自分は主の契約相手を口説いてるって?」
「……そういうわけじゃ……」
否定しかけてルシフェルは言葉に詰まる。
さっきまでカイに欲情していたのは事情だから。
「悪魔王の契約相手に手を出すことは御法度。そのくらいあんたなら承知してると思ってたよ」
「天界が騎士王が悪魔王の契約相手だと認めてるとは思わなかったな」
嫌味にもならない軽い皮肉。
ミカエルは白けた眼で見返した。
「認めてるかどうかは別として、サタンが騎士王に惚れてるのは事実だろ。それを撥ね付けるのも騎士王の役目だ。唯々諾々と従う必要なんてどこにもない」
ある意味でサタンがカイを愛したことそのものも、騎士王の試練のひとつとも言えるのだ。
だから、神は手を出すなというのだろう。
これがカイの試練だから。
騎士王として生きるための。
だが、サタンだけでなく他の悪魔まで絡んできたとなると、さすがに騎士王の手には負えないかもしれない。
人間に受け止めきれる限界を越えている。
サタンだけでも手に余るものを、他の悪魔からも身を守れと要求するのは、さすがに酷だったので。
片方を拒絶して疲弊しているところを誘惑されたらひとたまりもない。
天使の刻印はある意味で悪魔への牽制となる。
これはそれが必要ということなのだろうか。
ミカエルとルシフェルが睨み合っているとそこへルナがエリルを引き連れてやってきた。
「ミカエル様っ!!」
名を呼ばれミカエルが振り返る。
ルナの様子からみて彼女はルシフェルの正体を知らないらしい。だが、妖精戦士エリルは知っているようだ。
ホッとした顔をしていたから。
もしかしてセラフィムに教えないように言質でもとられたんだろうか。
「いつ地上へ?」
「騎士王に逢いにたった今」
「そうですか。すみません。わたくしたちがついていながら騎士王様をとれなくて」
「ルナ王女のせいじゃない。むしろこの件で天界がなにも動いていないことを責められるべきだろうから」
「どうして動かれなかったのですか? わたくしはてっきりミカエル様がなにも動かれるものとばかり」
「俺も人間たちを処罰したかったけど神に制止されてさ」
ミカエルのこの発言にはルシフェルがムッとした顔をしていた。
これは悪魔的には助かることだが、騎士王の現状をみれば放置していて済む問題じゃない。なのに神は救いの手を差し出さない。
そういう 慢さがルシフェルはきらいなのだ。
「人間は失敗から学ぶ生き物だ。だから、一度の失敗でそう目くじらを立てるものじゃない。そういわれたよ」
ルシフェルを視界に入れながらそういわれ、彼はフイッと顔を背ける。
「確かに皇妃様や皇女様の態度は、あれ以来変わりましたけど」
「でも、二度目はない。今度は俺が許さないから安心してくれ」
「はい」
微笑むルナにミカエルは気まずくなって目を逸らす。
ミカエルのやろうとしていることは、彼女にとって歓迎できないことだ。
それでも事態がここまで進んでしまうと、ミカエルとしても無視できない。
ルシフェルはすでに演技に入っているのか、さっきまで見せていた悪魔の顔ではなく、人間の顔になっている。
そんな彼を苦々しく見てミカエルは、ややあって屈み込んでカイに声を投げた。
「カイ、カイっ!!」
肩を揺すられてカイがうっすら目を開ける。
だが、どこか焦点が合っていない。
やはり悪魔の術にかかっていたようだ。
「……あれ? ミカエル?」
「あれ、ミカエル? じゃないっ!! そんな身体でなんでこんな遠出してるんだっ!!」
「え? なんで……だったっけ? なんか頭に霧がかかったみたいで上手く考えられない」
カイはぼんやりとどこか遠くを見ている。
ルナには意味が通じていないが、フェルの正体を知るエリルには通じる。
彼がカイになにかしたのかと、じっとルシフェルを睨む。
「全く。困った事態を引き起こすのだけはカイは天才的だな」
「ひどいなあ」
「ひどいなあ……じゃないっ!! 俺の身にもなってくれ。余計な手間が増える」
「余計な手間って?」
カイはまだ状況を理解していないようだ。
ミカエルは迷ったが、ここでぼうっとしていても意味がないので、彼を抱き起こし腕の中に抱いた。
「ミカエル?」
カイがキョトンとしている。
「本当はしないつもりだったんだけど、どうやら状況が許さないらしいから」
「なんの話?」
「……先に謝っておくよ。ごめん」
それだけ言ってミカエルがカイの項に、それもサタンの刻印のない方に顔を埋めた。
ビクッとカイが反応する。
ルナも驚いた顔でミカエルを見ている。
強く甘噛みされ、肌をきつく吸われる。
その瞬間、物凄い衝撃がカイを襲った。
ミカエルの腕の中で反り返り、弱々しく彼を突き放そうとする。
それでも力の入らない手では無駄である。
どうしても突き放せないと知って、カイは消え入りそうな声で囁いた。
「ミカエル……苦しい……」
喘ぐような懇願する声である。
ルナは余程苦しいのだと知って、ミカエルを止めようとしたが、次の瞬間ハッとなって動きを止めていた。
ミカエルが顔を埋めている方とは反対側のカイの項に、なにかがうっすらと浮かび上がっているように見える。
(あの力の波動はお父さま? どういうこと? 一体なにがどうなって……)
やがて一瞬だけだれの目にも見えるほどハッキリとそれが浮かんだ。
悪魔王サタンの紋章が。
その意味はルナでも知っている。
信じたくない現実に声にならない。
ズルリとカイが崩れ落ちる。
その頃には刻印は見えなくなっている。
それでもルナはあれが錯覚などではないことを理解していた。
「ミカエル様。どういうことなのですか?」
震えるルナの声にミカエルが振り向く。
その腕にカイを抱いたまま。
カイは半分意識がないようだった。
喘ぐような息を繰り返して、必死になって呼吸しようと頑張っているように見える。
ミカエルが離れるとさっきまで彼が顔を埋めていたカイの項に、今度は大天使ミカエルの紋章の刻印があった。
大天使クラスになると専用の紋章を得られるのだ。
ルナはそれを父親の妖精王から聞いていた。
「ミカエル様……その刻印……」
「……さっきの紋章見たんだろ? その意味は知ってるはずだ」
「はい。でも、それとなんの関係が?」
「サタンが狙いを定めたのなら、それを解消できる可能性を秘めているのは神か、もしくは大天使だけなんだ。
そして神は人間のことには関知しない。何故なら独立を認めているから。
自主性を重んじるから、こんな事態になっても動かない。なんとかできるのは俺だけなんだ」
「だから、所有の刻印を刻んだのですか? 事後承諾で?」
これではミカエルとサタンの間で、カイが奪い合われるようなものだとルナは思う。
しかもおそらくサタンも同意を得ていない。
悪魔がああいう刻印を刻む場合に同意を求めないことはルナも聞いている。
つまりこのふたつの刻印について、カイはいつも事後承諾ということになるのだ。
カイ自身の意思は関わってこない。
憤ってはいけないと思いつつも、ルナは納得できない。
これではまるで人間が天使と悪魔に利用されているようで。
もちろんミカエルはあくまでもカイを救おうとしているだけなのだろうとは理解しているが。
「……そんなに睨まないでくれないか? 俺だってやりたくてやったわけじゃない。
神にこの方法を暗示されたときは、騎士王の身が心配だったし、なによりもサタンと同じ結果になりかねないことを気にしたよ」
「でしたら何故?」
「現状がそれを許さなかった。意味は通じないだろうけど、そういうことなんだと理解してくれないか? 悪魔たちにとって大天使の刻印は一種の牽制になる。騎士王にはそれが必要だったのだと」
ミカエルはルナの目を見ないでそう言った。
それは彼にも後ろめたいところがあるからなのか、それとも単にルナが相手だから気まずかったのか、それはルナにもわからないけれど。
「う……ん」
カイが魘されたような声を出してふっと目を開けた。
「ミカエル?」
「目が覚めたのか? 悪かったよ、乱暴な真似をして」
「……なにをしたんだ? 首筋がチリチリと痛い。この感じって」
サタンに刻印を刻まれたときと同じ。
そう言いかけてカイは口を噤んだ。
この場にルナとフェルがいたので。
カイは知らないのだ。
ミカエルがサタンと同じ行動に出たことで、さっきハッキリとサタンが刻んだ刻印が浮かんだことを。
だから、口を噤んだのである。
まだ彼女が気付いていないなら、できれば気付かれたくなかったので。
「彼女に隠したいのなら無駄だよ。彼女はもう知ってるから」
「え……?」
カイが唖然としてルナを見るとルナは泣き出しそうな顔でカイを見下ろしていた。
それで事実なのだと知る。
苦い想いが胸を占める。
「カイ様、どうして隠されていたのですか? わたくしに」
「……ルナに心配を掛けたくなかったんだ。できればルナには笑っていてほしかった。
それに一度刻まれてしまえば、神でもなければどうしようもないことなんだ。そんなどうにもできないことで、ルナに心配を掛けたくなかった。でも、ごめん。きっとショックだったよな」
「お父さまに頼られたのですね?」
「うん。他に頼れる人がいなかったし」
父も自分に隠す方に回っていたと知って、ルナは苦い気分になる。
教えてほしかったと訴えても、たぶん父も困るだろう。
父にしてもルナの心を守りたかったのだろうし。
「お父さまの下へカイ様をお連れしたのはエリルですか?」
「済みません。ルナ様に心配を掛けたくないと騎士王に言われたので、とても断りきれなくて」
ここでもルナを心配する言葉。
ルナはこの憤りをどこにぶつければいいのかがわからなかった。
全員がルナの心を気遣って隠す方に回ったのだ。
けれどルナは傷付いても隠されたくなかった。
カイのことだから隠されたくなかった。
ふとそう思って首を傾げる。
隠されたくなかったと憤るこの感情は、どこからくるのだろう?
カイに対して権利を得ようとする行動に出たミカエルに対して怒っているのは何故なのだろう?
そんなルナを見てミカエルは感じるところがあったのか、未だに理解していないらしいカイに呆れた目を向ける。
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