第23話
ここしばらくカイと逢っていなかったので、近況を確かめる意味もあって、ミカエルは地上へ降臨しようとしていた。
そんな彼に気付きガブリエルが近付く。
「ミカエル。地上へ降臨するのですか?」
「エルか。そのつもりだけど?」
ミカエルはすでに白い翼を広げ、今にも飛んでいきそうだ。
そんな大天使に大天使次長は憂鬱な顔を見せる。
「どうしたんだ、エル? そんな顔をして」
「いえ。わたしの気のせいならいいのですが、地上から……ルシフェルの気配を感じて」
ガブリエルの発言にミカエルは眉を寄せる。
ルシフェルに関して1番詳しいのはガブリエルである。
何故ならルシフェルとガブリエルは魂の双生児だからだ。
天使に血の繋がりはないが、魂で繋がった兄弟が時々だが誕生する。
ルシフェルとガブリエルは同じ魂を宿して産まれた関係だった。
ガブリエルは彼の妹的存在で彼もガブリエルをとても可愛がっていた。
その彼が天界への謀叛を企んだ理由もまたガブリエルである。
あの日。
ガブリエルが神の恩寵を受けたあの日がすべての始まり。
ルシフェルは神のやったことが許せなくて、どうしてもガブリエルを穢されたとしか思えなくて、彼は堕天した。
神がガブリエルを寵愛することを彼は受け入れられなかったのだ。
ガブリエルにその気がなかったことも、彼の怒りを煽ったのかもしれない。
それは天使としては当然なのだが。
天使に性欲というものはないし、神に選ばれた場合は否応なしなので。
わかっていても、そしてやがてはガブリエルがそんな境遇を受け入れたとしても、ルシフェルは許せなかったのだ。
ガブリエルからも離れて神と敵対するほどに。
そんな彼だから同じ神に対して複雑な気持ちを抱くサタンに寵愛されたのだろう。
結果として彼もガブリエルと同じ道を歩いていたのだ。
相手が神からサタンに代わっただけである。
当時、彼の辿った末路を知って、ミカエルはこれが魂の双生児というものかと感慨深く思ったものだ。
そのルシフェルの気配をガブリエルは地上に感じている。
それはルシフェルが今現在、天界の管轄下にある騎士王に深く関わっているということだろうか?
「いつから感じていた、エル?」
首を傾げて問われてガブリエルは唇を噛む。
道を違えても、それは自分のためだと知っているガブリエルである。
エルはルシフェルに関してだけは甘い。
わかっていることも黙っていることが多かった。
答えられないガブリエルに答えを知るミカエルである。
これはかなり前から感じていたな、と。
ミカエルが地上へ降臨する気配を感じなければ、おそらく今も黙っていたのだろう。
地上で遭遇した際にルシフェルと戦闘にならないようガブリエルは止めにきたのだ。
かといってミカエルとしては、騎士王にルシフェルが関わっているなら、尚更地上へ降臨する必要があるのだが。
「ルシフェルを……放っておいては頂けませんか、ミカエル?」
「できない相談だな」
「ミカエル」
「エルがルシフェルを傷付けたくないと思い詰める気持ちはわかるつもりだ。
でも、あいつはもう堕天したんだ。もう悪魔なんだ。それもサタンの第一の側近にまで上り詰めてる。俺たちとはもう敵なんだぞ?」
「……わかっています」
唇を噛み締めるガブリエルにミカエルはため息をつく。
「わかってないよ、エルは」
「だってルシフェルはわたしの兄です。道を違えたのもわたしのせいで。なのにっ」
「違うよ、エル。あいつが道を違えたのは自分のためだ」
「そんな言い方」
「だってそれが天界の決まりなんだ。それに従えないからとエルの元を去る。それじゃあ本末転倒だろ? 本当にエルを護りたかったなら、エルを支えて傍に居るべきだったんだ」
これは当時から感じていたミカエルの感想である。
ルシフェルは許せないという自分の感情に負けたのだと。
「神には従うことが天界の決まり。それに従えない奴は堕天使となる。結局ルシフェルは自分に負けたんだ。それによりエルがどれだけ泣いたか。だから、俺はあいつが許せないんだ」
裏切られた自分の痛みももちろんある。
だが、それ以上に自分のために堕天したと気に病んで泣くガブリエルを見ていたから、尚更許せなかったのだ、ミカエルは。
確かにあの当時、ミカエルだって突然神がガブリエルを寝台に招いたことで、多少は憤っていた。
そんなことはしたくないと駄々をこねるガブリエルを説得するのが辛かったほどだ。
だが、後にそのせいでルシフェルが堕天して、そのことに傷付いて泣くガブリエルを見て、どちらがガブリエルにとって辛いのか、ようやく自覚した。
そうして神の相手をすることを嫌がっていても、それに逆らわないからガブリエルは天使のままで、それに逆らったからルシフェルは堕天使となるのだと理解した。
神はそうすることで、もしかしたら天使たちを見極めているのかもしれない。
真に天使となるべき者か、それとも堕天使となるべき者かを。
それに最も相応しい者が神の寵愛を受け天使たちを動揺させる。
おそらくそうなのだろうとミカエルは思っている。
その証拠にガブリエルは最近では神の寝台の相手はやっていない。
寵愛は変わらないが寝台に招かれることはほとんどなかった。
だから、あの当時本当はミカエルも神に言われたことがあるのだ。
『わたしはそなたも堕天するかと思っていた』
ポツリとそう言われた。
ルシフェルが堕天使となった後で。
そこに神の悲哀を見てミカエルはなにも言えずただかぶりを振った。
神は天使たちを篩にかけることで、自らも傷付いていたのだと知り。
だから、ミカエルは思うようになったのだ。
ルシフェルが堕天したのは彼自身の望みが招いた結果だと。
逆から言えば彼はエルを妹をダシに使ったようなものなのだ。
いつまでもそのことを気に病んでほしくない。
ガブリエルはもう解放されてもいい頃だ。
「エル。もうそろそろ自分を解放してやれ」
「ミカエル」
「あいつはあいつの道を生きてる。エルも自分の道を歩いていい頃だ。昔の感情は捨てろ」
「……どんなに立場が変わってもわたしの兄はルシフェルです」
「頑固だな、エルは」
どこまでもルシフェルを庇うガブリエルにミカエルは苦笑した。
バサリ、バサリと翼をはためかせて、ミカエルは空を飛んでいる。
カイの気配を追いかけて。
「城にはいないのか?」
あの身体で城から出ているのだろうか。
満足に身体が動かないはずなのに。
人間たちへの報復を考えたミカエルだったが、それは神に制止されていた。
そう簡単に天界が介入していては、人間たちが甘える。
そう言われたのである。
だから今回は見逃すと決めたのだった。
もちろん二度目はない。
それに神にそう言われて制止された後で、カイの立場が大きく変わったことも知って、やはり神は大局が見渡せていると感じた。
間違いから学ぶものもある。
それを知って。
「あれはルナ王女?」
ふっと一直線に歩いている妖精族の王女を見掛けた。
怒った顔をしているが、なにを怒っているんだろう?
進む先を視線で追いかけて理解した。
「ふうん。騎士王が、カイが城を抜け出したから怒って迎えに行くところなのか」
緑の妖精は温厚だが責任感は人一倍強く、無謀な真似を嫌う一面もある。
こういう行動は勘に障るはずだった。
向こうからカイの気配を感じるから先に行ってみるか。
そう決めて騎士王の気配を感じる方へと飛んだ。
そうしてどのくらい先へと進んだのか、丘の上の大樹の根元で寝ころんでいる騎士王を発見した。
傍にはひとりの人間の騎士らしき青年がいる。
知らず眉がよる。
「あれは……」
一見して人間に見える。
だが、違う。
あの気配はよく見知っている。
思わず渋面になった。
セラフィムはなにをしてるんだと思ったが、ここまで徹底されたらセラフィムには見抜けないだろうとも思った。
これはもっと早く降臨するべきだったようだ。
翼をはためかせて降りていく。
傍に控えて騎士王を見守っていたらしい騎士が顔をあげる。
そうしてミカエルと同じように渋面になった。
お互いこういう反応は似ているんだから、いい加減腹が立つ。
地に降り立っても相手は据わった眼のまま反応を見せない。
ミカエルはチラリとカイを見たが、どうやら熟睡しているらしい。
それとも悪魔の術に掛かっているのだろうか。
そういえば……首筋にキスマーク?
服もすこし乱れている。
どうやら手を出した後らしい。
尤も。
騎士王はサタンの契約相手だ。
ルシフェルに限って本格的に手を出すことはないだろう。
つい魔が差したといったところだろうか。
「あんたは変わらないな」
「……おまえに言われる筋合いはねーよ」
「いい加減甘ったれるのをやめろっ」
ミカエルに怒鳴られてルシフェルがムッとした顔になる。
出会い頭になんで怒鳴られないといけないのかわからないのだ。
ミカエルはさっきまで彼のことでガブリエルと話し合っていたので、そのときの気分のまま彼と接していた。
それが彼への怒りを煽っているのである。
「あんたが裏切ったせいで、どれだけエルが泣いたと思ってる?」
「……エルのことは済まないと思ってる。でも、俺は許せなかったんだ、神が」
「それはあんたの事情だろ。エルは関係ない。なんでエルをダシにして堕天した?」
「ダシになんてしてねーよっ!! 俺は本気でっ」
「それがダシにしてるって言ってるんだっ!!」
どちらもが譲らない。
だが、ミカエルの気迫にルシフェルはすこしたじろいだ。
このことでミカエルと正面から話すのは初めてで。
「自分のせいで兄であるあんたが堕天した。そう思い詰めて自分を責めつづけてきたエルの辛さを、あんたは本気で考えたことがあるのか?」
エルの優しい笑顔が浮かんでルシフェルは答えるべき言葉を失う。
「堕天するなら自分の理由で堕天すればよかったんだ。エルをダシに使うからエルは未だに自分を責めて苦しんでる」
「エル」
ふっと目を逸らしルシフェルが呟く。
もうずっと逢っていない妹の名を。
「なんでエルが天界から動かないかわかるか? 神の寵愛を受けているからじゃない。
天界から出れば堕天したあんたと逢うかもしれない。逢えば大天使次長として戦わなければならないかもしれない。
だから、エルは天界から出ないんだ。あんたと戦わなくても済むように」
なにも言えない。
エルが表に出てこない理由なんて、ルシフェルは考えたこともなかったので。
いつの間にかルシフェルも悪魔として染まっていたようだ。
昔なら天使だった頃なら、エルの、妹の心を気遣うことを一度だって忘れたことはないから。
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