第26話


 カイが宮殿に戻ってきたときには、彼の首筋にあったサタンの刻印は消えていた。


 しかし今度は大天使の刻印があったのである。


 刻まれた刻印が大天使の紋章であることを知っている者はほとんど居なかったが、それでもカイの身になにかが起きていることはだれもが知っていた。


 カミュエルはルシフェルから、ミカエルが刻印を刻んだことを聞かされ、迂闊に手を出せば消滅することを知らされた。


 そのことから一時的にカイの身柄は安全になるかと思われた。


 しかしその夜。


 ひとり静かに眠っているカイの下に人影が現れる。


 闇の中でも光る金髪。


 ミカエルである。


 ミカエルは天界に戻るフリをして、ずっと地上にいた。


 サタンが動かないかどうか確認していたのだ。


 隠密行動のために使ったのは、自らの配下セラフィムの部屋である。


 まさか一騎士であるセラの部屋に大天使がいるとはだれも思わず、ミカエルの滞在がバレることはなかった。


 ミカエルの刻印とサタンの刻印は対極のもの。


 刻まれて生き延びるかどうかは賭けるしかなかったのだが、カイは生き延びた。


 とんでもないその衝撃にも耐えたのだ。


 サタンが放っておかないことは明白だった。


 誘拐を視野に入れる可能性もある。


 もちろんルシフェルのことがバレても、それは起きる可能性のあることだったけれど。


 それを阻止する方法はひとつ。


 カイの身体が魔界に馴染まないようにすること。


 魔界に馴染まない肉体の持ち主となれば、カイに惚れているサタンなら、おそらく誘拐は断念するだろう。


 少なくとも魔界に連れていける状態になるまで、絶対に無理に連れていこうとはしないはずだ。


 だが、そのためにミカエルがしなければならないことが気が重く、今まで様子を見るという名目で迷っていたのだった。


 身体が自由にならないカイは夜は眠っていることが多いと聞く。


 その間はエリルも付き添わないという。


 夜くらいゆっくり眠らせてやりたいという動機から、皇帝スタインもカイには近付かない。


 それはミカエルには好都合だったが、やはりここまできても迷う。


 こんなことをしていいのだろうか?


 例えカイのためでも、こんな意思を無視するようなこと。


「迷うなってことなのか? 神がこの方法を示唆したってことは」


 神は確かにミカエルが刻印を刻めばカイは助かる、と言った。


 サタンと競ってミカエルが勝てばカイは自由になれる、と。


 だが、その前にサタンが行動に出る可能性も、神はきちんと神は把握していた。


 そしてそれを阻止する方法をミカエルに示唆したのである。


 それは天使であるミカエルには非常に重要な内容で正直あり得ないっ!! と即座に反発していた。


 まさかそのすぐ後にこんな事態になるとは思わずに。


 もしかしたら神はすべて承知していたのかもしれない。


 ミカエルにそれが必要になるということを。


 そしてミカエルが大天使である以上、騎士王の誘拐などを許すことができないことも、神にはお見通しだったのだろう。


 迷いながらカイの頬に触れる。


 しかしまだ感覚の麻痺が治っていないのか、それともそれだけ深く眠っているのか、カイは目覚めない。


「できるなら目覚めるなよ、カイ。俺も……こんなことをしてる姿見られたくない」


 それだけを呟いて迷いを振り切るように自らの衣服を脱ぎ捨てた。


 寝台に上がり込み、カイの衣服の間から手を滑り込ませる。


 カイが僅かに眉を寄せた。


 だが、それだけだった。


 ホッとしてゆっくり肌に指を這わせる。


 首筋をなぞり上半身を脱がせる。


 そうして項に顔を埋めた。


 己の刻印のある方へ。


 丹念に愛撫を繰り返す。


 その度にカイの息があがっていった。


 カイの肌のあちこちに赤い花が散っていく。


 ミカエルが口付ける度に。


 微かに動けたのか、カイが首を反らして悩ましい吐息をついた。


 躊躇っていたから下半身は脱がせていない。


 だが、迷っていても仕方がないと手を下肢に滑り込ませた。


 カイが大きく仰け反る。


 荒く息をする。


 その肩が震える。


 ミカエルが下肢に顔を埋める頃になって、ようやくカイの瞳が開いた。


(な……に……? 熱いっ)


 この感じは覚えがあった。


 サタンにされているとき、ちょうどこんな感じだった。


(まさかサタン!?)


 そう思って無理に下を向こうとして、微かに目に入ったのは輝く金髪だった。


(?)


 サタンなら黒髪のはずだ。他の悪魔だって大抵黒髪だった。


 だったらだれだ?


 霞む目を凝らす。


 やがて下肢から顔をあげたのはあり得ない人物だった。


(ミカエル!?)


 苦渋に満ちた顔をしていたがミカエルである。


 間違いない。


 ミカエルが裸身を晒してカイの下肢に顔を埋めていたのだ。


 信じられなくて硬直する。


 あまりの衝撃に萎えたカイ自身を見て、ミカエルはすべてを悟る。


 目覚めてほしくなかったのにカイが目覚めたことを。


「目が覚めたのか、カイ?」


 さっきまでの行為の余韻か、ミカエルにしては艶かしい声だった。


 もとよりさっきまでされていた行為の余韻もあって声は出ない。


 それになによりも話せるほどの余裕がない。


 だが、ミカエルは容赦なかった。


 萎えたカイ自身をまた口に含む。


 あまりの衝撃に身を捩る。


 カイは人と比べられるほど経験豊富じゃない。


 でも、知っているサタンと比べたら、ミカエルのやっていることは子供の遊びに等しかった。


 たどたどしくて慣れていないことがすぐにわかる。


 もしかしてミカエルもイヤなんじゃないかと、そんな感じも受けた。


 それでもされていることは現実だった。


 たどたどしくて子供の遊び程度の稚拙さではあったが、ミカエルは懸命にカイを感じさせようとしている。


 カイの受けている衝撃の方が強すぎて、口だけではダメだと悟ると、その両手も使い丹念に愛撫してくる。


 拙いながらもカイは次第に感じはじめた。


 絶え間なく襲ってくる快感にたまらない射精感が押し寄せてくる。


 息が弾んできたのを確かめて、ミカエルがホッとしたように息を吐き出した。


 その小さな吐息にさえカイは感じてしまう。


 射精しそうになったのを感じたのか、ミカエルが急に射精を塞き止めた。


 その手で根元を握り締めてイケないようにして、カイが眦に涙を浮かべて顔を背けると徐に体勢を変えた。


 なにをするんだろうと考える暇もない。


 カイはイキたくて、それしか考えられない。


 涙で霞んだ視界にミカエルの顔が見える。


 泣き出しそうだと思う。


 そうして深く躯を沈めていった。


 突然襲ってきた圧迫感にカイが目を閉じる。


 なにが起きているのか感じることもできない。


 わかっているのは男の本能と言うべきもの。


 肉を貫く感触と狭いその感覚。


 抜き差しされる回数。


 すべてがカイにとって初めての感覚だった。


 カイは身体が自由にならない。


 だから、動けない。


 でも、動けたらおそらく腰を使っていたことだろう。


 それが男の本能なのだとわかる。


 そのとき、小さな声が聞こえてきた。


「さすがに……痛い、な。自分で……やったから文句は言えないし……はあっ。文句を言いたいのは、きっと……カイの、ウッ。方、なんだろうけど」


 動きたくても動けないカイの代わりに馬乗りになって、躯をスライドさせていたのはミカエルの方だった。


 彼が自分でカイを受け入れている。


 天使は男でも女でもないはずだから、実際にはどうなっているのかは、カイにもわからない。


 だが、今確かにカイとミカエルはひとつに繋がっていた。


 カイは息を殺し眉を寄せて、ひたすら押し寄せる快感に耐える。


 それしかできなくて。


「カイ……ごめん。イヤ、だよな? だから、せめて……感じてくれ。俺を……感じてくれ。それくらいしか与えられるものはないから」


(イヤなのは……ミカエルの方だろうに)


 快感に飲まれそうになりながら、カイはそんなことを考える。


 カイを受け入れて何度も躯をスライドさせるミカエルの顔が苦痛に歪んでいる。


 泣きそうなその顔が、彼の意思ではないと物語っていた。


 いつだったか男友達が言っていた。


 男は好きな相手じゃなくても抱ける、と。


 身体さえその気になれば別に不可能じゃない、と。


 でも、女は好きな相手に抱かれたがる。


 好きでもない相手を受け入れる辛さは男にはわからない、と。


 そのときはなにを言われているのかわからなかった。


 でも、今はわかる気がする。


 自分でカイを受け入れながら苦しそうで泣きそうなミカエルの顔を見ていると。


 これも天使の責務なのだろうか。


 カイが悪魔にサタンに狙われているから、それをかわすために大天使であるミカエルにしかできないことなのだろうか。


 キスは……好きな相手としかできない。


 楽しめない。


 屈辱でしかない。


 そんな話も聞いた。


 もしこれがカイを救うためにミカエルにできる唯一のことだとしたら、カイはどうしたら報いてやれる?


 腕を……動かせるか?


 一瞬でいい。


 腕を動かせて力を込められたら……。


 そう思いながら頑張って動かそうと努力した。


 何度も身体をスライドさせ、カイに快楽を与えようと必死になっているミカエルの肩を掴む。


 ミカエルは怯えたように瞳を開いた。


 だから、その身体を押さえ付けて肩を抱き寄せた。


 深く身体で受け止めたのか、ミカエルが苦しそうな顔をする。


 抱き寄せた肩から力が抜ける前に素早くキスをした。


 ミカエルが硬直している。


 初めて自分からだれかにキスをした。


 それしかミカエルに報いるものがなにもないと思ったから。


 いつか好きな相手ができたら後悔するかもしれない。


 でも、今必要だと思った。


 自分を傷つけてもカイを救おうとしてくれるミカエルを救うために。


「カイ」


 キスの合間にミカエルが名を呼ぶ。


 もう限界。


 寝台へと戻っていく合間に囁いた。


「恨まないから」


 朝になればミカエルから事情説明はあるだろう。


 でも、それがどんな内容であれ、カイを傷付けるのが目的であるはずがない。


 わかっているからそう答えた。


 カイに抱かれたことで傷ついているミカエルには、それしか言えなくて。


 どちらにとっても初めての性体験。


 カイは生まれて初めてだれかを抱いて、今は精根尽き果てて寝ている。


 気絶していると言った方が正しいが。


 それはカイの身体の上に倒れているミカエルにしても同じだった。


 天使とはいえ男を受け入れる痛みは女性と同じ。


 負担も衝撃も、そして辛さも。


 これでミカエルが女性化でもすれば、カイの子供を身籠れる程度にはミカエルにとっても一大事だった。


 そっと上半身を起こしてカイの唇に触れる。


 キスなんてしたこともなかったはずのカイなのに、あのとき確かに自分からミカエルにキスしてくれた。


「カイは……正真正銘のバカだよ。傷付けた俺にまで優しくしてくれる。そんな価値、俺にはないのに」


 泣きそうだった。


 天使の責務と諦めたつもりだったのに、清純なカイを傷付けた。


 苦しめた。


 天使には縁のない行為に出た。


 そのこともミカエルを苦しめる。


 でも、その痛みは思っていたよりずっと軽かった。


 嫌悪もあるだろうと思っていた。


 騙して性行為に及んだことで、きっと嫌悪感も抱いて、カイに対して傷付くのと同じくらい、天使としての矜持が傷付いてミカエルは苦しむだろうと思っていた。


 なのに……不思議なほど心が軽い。


 ミカエルが傷付いていることをカイは悟ってくれた。


 だから、気にしていないとミカエルの本意ではないとわかっているからと、自分からキスをしてくれることで慰めてくれた。

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