第17話

(気付いていない?)


「……なにがあった?」


「なにがって?」


「感覚が麻痺している。これでは顔中触られても気付かないはずだ。現にさっきから腕をつねっているが気付いていないだろう」


 ギョッとして身体を起こそうとしたが、やはりできない。


 その様子にサタンは「やはりな」という顔をする。


「感覚が麻痺しているから、身体を意思通りに動かせないのだ。まだ症状は軽いようだが、完全な感覚の麻痺だ。放っておいたら動けなくなる。なにがあった?」


 サタンに正直に殺されそうになったと打ち明けるのも躊躇われた。


 でも、知っているはずじゃあ? と、思って言ってみる。


「言わなくても知ってるはずじゃないのか? 夢に出てきたくせに」


「たしかに一度死にかけたことは知っているが、なにがあって死にかけたかまでは知らない。そんなことまで探るほど、わたしも暇ではないのだ。それにあれに気付いたのは、死の領域がわたしの領分だからという理由もある。他意はないのだ」


 なるほど。


 自分のテリトリーの問題だったから気付いただけで、カイのことをいつも見張っているわけではないらしい。


「……毒を盛られた」


「なるほど。おそらくその毒の影響で感覚が麻痺したのだろう。治療は受けたのか?」


「受けたよ。ただ治療を受けている間は、毒が抜けきっていなかったから、そのせいで感覚が鈍いんだと思っていて、この症状を教えなかったんだ。治ってないのに完治したと言われて、ようやく気付いたほどで」


「そなたそこまで危険な場所に何故居続ける?」


「え? それは……」


 名を呼んで微笑んでくれる父の笑顔が浮かぶ。


 だれよりも純粋に愛してくれる人。


 あの人がいるからカイはあそこにいる。


 生命を狙われても疎まれても。


 でも、そこまでする価値があるのかと言われると、その理由は言えない気がした。


 親に頼りすぎだと言われそうで。


「わたしなら……そなたを危険な目には遭わせない」


「サタン」


「わたしに心を渡すなら、そなたがわたしを愛するなら、その感覚の麻痺も治してやろう。どうする?」


「御免だね」


「強気だな」


「身体がどんなに危険な状態にあっても、助かるために心を売ったりしない。それに本当に愛した人なら、そういう交換条件いらないはずだろ。それは愛してるとは言わないよ」


 気高いその心に触れてサタンは目を見開く。


 今初めて騎士王という青年の本質に触れた気がして。


 愛するときも拒絶するときも心の全てでする。


 それが騎士王なのだと知って。


 そういえば騎士王を呪縛せずに話すのは初めてかもしれないと、サタンの脳裏に浮かぶ。


 その必要がないからだが、自由な騎士王はこんなふうに話すのかと意外な気分だ。


 呪縛されているときは、いつも悔しそうな顔をしていたから、普段の騎士王がどんな青年か知らなかったのだと気付いて。


「そうだな」


「なに?」


 急に笑ったサタンにカイが怪訝そうな顔になる。


「わたしはどうやらそなたのことをなにも知らなかったらしい」


「そんなの今頃納得する話じゃないだろ。あんたは俺のことはなにも知らないよ。ただ一方的に仕掛けてきただけで」


 その通りだとサタンは頷いた。


 あまりに素直でカイは薄気味悪くなる。


 なにか良からぬことを言われそうだと、ようやく警戒しはじめる。


 そんなカイにサタンは初めて無邪気とも言える笑顔をみせた。


 屈託のないその笑顔はどこかミカエルに似ていた。


 神に最も近い位置にいるミカエルに。


(もしかしてこの人、天使だった頃は神に1番近い位置にいたんじゃあ?)


 そんな疑問が浮かぶ。


「そなたと契約を結ぶことばかり考えていたが気が変わった」


「そりゃ助かる。俺もいつも気を張っていたら疲れるから」


「そなたの魂ではなく心を手に入れることにしよう」


「は?」


 キョトンとする。


 魂ではなく心?


 どういう意味だ?


「わからないか?」


 サタンの手が頬に触れる。


 触れられている感触はわからないが、見えているから触っていることはわかる。


 動けないのがもどかしい。


 拒みたくても拒めない。


「そなたに愛されたいと言っているのだ」


「愛される? 俺に?」


 それってカイが自発的にサタンを愛するという意味か?


 考えて「あり得ない!!」とすぐに脳内で否定した。


 確かにサタンのことはキライじゃない。


 だが、それはセラを嫌わないように、その人柄がキライじゃないという意味なのだ。


 好悪の感情で分けるなら、別にキライではない。


 その程度の意味しかない。


 決して恋愛感情ではないのだ。


「その顔はあり得ないと否定しているのか?」


 ほとんど表情が動かなくても、サタンはきちんと読み取るらしい。


 見抜かれて迷ったがカイは小さく目を伏せる。


 その仕種が肯定を意味していた。


「ではその確信を崩してみせよう」


「……できるわけないだろ。なんで男同士で。おまけに人間と悪魔だし」


「そうか? 誘惑は悪魔の専門だ。異種族間の婚姻だってないわけじゃない。わたしの配下も人間を妻や妃に迎えたことのある者は少なくない」


「まさか」


 思わず否定していた。


 人間が悪魔と結婚する?


 信じられない。


「良い事を教えてやろう」


「良い事?」


「初対面のときにルシフェルが色々言っていたが、正確にはわたしが契約を結ばなかった理由は、相手を不老不死にしてしまうからだ」


「不老不死?」


 驚いて瞳を見開いた。


 サタンの契約相手は不老不死になる?


「もちろんだれでもかれでも契約すれば不老不死にできるわけではない。相手と愛し愛された場合に限り、わたしは生涯に一度だけ人間を不老不死にできる。だからこその悪魔王の称号だ」


「……人間を不老不死にできるから悪魔王を名乗れる?」


 悪魔王という称号にそんな意味があったなんて。


 ナーガも教えてくれなかった。


 ミカエルだって。


 もしかして広く知られた事実ではないのだろうか。


「悪魔にするわけでもなく、ただ人間として不老不死にしてしまう。それは人間としては不幸と紙一重の現実だ。だから、わたしは敢えて契約は結ばなかった。それに相手を不老不死にしてしまった後で悔いても困る。だから、契約を避けてきたのだ」


「どうして俺を相手に契約しようと思った?」


 問われてサタンは困ったような顔になる。


「あれはそなたが悪い」


「どうしてっ」


 憤るカイにサタンがその手を下肢に忍ばせた。


 カイが身を強張らせる。


 だが、幸いというべきか感覚が麻痺しているせいで、サタンの手の感触は感じない。


 なにをされても感じない。


 それが救いだった。


「あのときはあんなに可愛い反応を見せたのに、感覚の麻痺とは野暮なものだな」


「……関係ないだろ、あんたには」


「ある。あのときつい契約に及んでしまったのは、こうしたときのそなたがとても可愛かったからだ」


 サタンの手が執拗にカイをなぶる。


 感じないはずなのに、それでも微かに感じるのか、吐息が上がってくる。


 頬を紅潮させるカイに気付いて、サタンは嬉しそうな顔になる。


「感覚が鈍いだけで一応感じてはいるのか。相変わらず可愛いな、そなたは」


 微かに首を傾けて気を逸らそうとするのだが、感じないはずの手の感触を、その動きを感じてしまって、吐息の乱れを止められない。


 あのときは半分夢の中だったから実感はなかった。


 今だってはっきりとは感じていない。


 だが、人に愛撫されるとはこんな感じかと自覚して、余計に恥ずかしい。


 感覚が麻痺して萎えていたはずのカイ自身が、サタンに刺激されて大きくなっていくのを感じている。


 それが無性に悔しい。


 サタンの愛撫に感じる自分が許せない。


 好きでもないのにどうしてっ。


 サタンはカイの反応を楽しんでいるのか、高めかけては手を離し様子を見るようにカイの顔を覗き込む。


 カイの吐息は途切れそうで、サタンに瞳を覗き込まれまいと逸らしているので、彼がどんな顔をしているかは知らない。


 でも、愛撫されるほど感覚が研ぎ澄まされていくのがわかる。


 麻痺していたはずの感覚が戻ってくる。


 一部分にだけ。


 それが余計にカイを乱れさせた。


 野草を握る手が震え、無意識に草を千切ってしまう。


 イキそうでイケないというのが、こんなに辛いものだとカイは今まで知らなかった。


 カイが今までしていた自慰はなんだったのかと自分に問いかけたいほどだ。


 人にされているせいもあるだろうが、同時にサタンが巧みなことも自覚した。


 的確にカイの弱いところを突いてくる。


 サタンの動きは淫らで執拗でカイを狂わせる。


 イカせてと口走りそうな唇をきつく噛み締める。


 ただ耐えた。


 サタンが諦めるのを待って。


「強情だな。一言だけ訴えれば幾らでもイカせてやるのに」


 御免だと言いたいのに声にならない。


 カイの理性は切れそうだ。


 ただきつく閉じた瞼の裏で赤い光がスパークする。


 血の色だ、と、カイは感じていた。


 イキそうでイケないこの地獄は血の色だ、と。


「では罰だ。自分がどれほど淫らか、自分で思い知るといい。男にされても感じるものだとな」


 その言葉の意味は知りたくない。


 そう思うのにサタンの魔の手から逃げられない。


 下肢にサタンが顔を埋めるのが見える。


 逃げたいのにすでに力の抜けた身体では、そもそも抵抗ができない。


 それ以前に感覚が麻痺している状態では、抵抗のしようもないのだが。


 焦れったかった快感が濃厚な快楽に変わる。


 声を上げそうになるのを必死になって我慢した。


 それでも高める手を休めないサタンに、激しい愛撫を施されカイは絶頂を迎えた。


 それも一度や二度じゃない。


 何度も何度も高められ、焦らされない快楽に絶頂を迎える。


 そんなことを繰り返された。


 それまで焦らされ続けた躯には、耐えきれない快楽だった。


 逃げようにも逃げられない。


 サタンの愛撫に溺れていく。


「そなたの負けだ」


 遠くサタンの囁く声を聞いていた。


 快楽の波に飲まれて意識を失う瞬間に。

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