第16話
あの毒のせいでカイはしばらく寝たきりだった。
そのあいだに色々なことが変わった。
例えば皇妃から謝罪された。
家族として迎えたいと言われたのだ。
これは自分のせいだからと。
自分が意地を張っていたせいでカイに害が及んだから、それを償いたいと言われて。
カイは正直戸惑った。
罪滅ぼしで優しくされたいわけではないのだ。
カイが殺されそうになったことに皇妃が関係していても、皇妃が望んだわけではないし命じたわけでもない。
それで責任を感じて受け入れたいと言われても、カイには喜べなかったのだ。
本心ではない気がして。
しかしそんなカイにルナが口添えした。
「騎士王様。戸惑うお気持ちはわかりますが、今は素直になられた方がよろしいですわ」
「でも」
「人は意地を張っているとき、素直になるために切っ掛けを欲します。これはよい切っ掛けではありませんか?」
素直になるために切っ掛けが欲しくなる?
そう言われればそんな気もして、カイは戸惑いながらも皇妃の申し出を受けた。
他に変わったことと言えばカトリーヌだ。
兄と呼んでくれることはないが、彼女も態度を変えたのだ。
カイの素性がはっきりする前と同じ態度に。
そんな彼女にカイはホッとしたが、父は何故か憂い顔だった。
どうしてだろうとカイは思ったものだ。
カイが寝込んでいるあいだ、カトリーヌはよく見舞いにきてくれたが、エリルの治療を受けるため、ついでに付き添っているルナとよく揉めるのが、このところのカイの悩みの種だった。
「どうしてカトリーヌ様はルナ……王女と仲良くしてくれないのかな?」
ルナと呼び捨てにしそうになって、慌てて王女と付け足すカイに、ルナが複雑そうに笑う。
「騎士王様はすこし鈍感な御方のようですね」
クスクスと笑う彼女にまで鈍感と言われ、カイはムスッとふくれる。
「そんなに鈍感ですか、ぼくは?」
「ええ。とても。そうやってらしくない一人称を使うところなんて鈍感な証拠ですわ」
コロコロと笑ってそう言われ、カイは言葉を飲み込む。
「本当はそんな一人称ではないのでしょう?」
「……どうしてバレたんですか?」
「ぎこちないですよ?」
ぎこちない……確かに。
公式な場面で「わたし」という一人称を使うのは慣れているが、「ぼく」という一人称はほとんど使わない。
そういう意味でぎこちなく聞こえたのかもしれない。
でも、彼女には「わたし」という一人称を使って他人行儀に振る舞いたくなかったのだ。
あのとき、サタンから助けてくれた緑の光の暖かさ。
それを知ってから彼女には素顔で接したいと望むようになったから。
だけどカイはまだ皇子という身分に慣れていないし、なによりもルナはただの王女ですらない。
緑の妖精王の王女なのだ。
それで気さくに「俺」という一人称は使えなかった。
そのせいで「ぼく」を使っていたのだが、どうやららしくなかったみたいである。
「普通に話してください」
「でも」
「わたくしはあなたとは素顔で話したいのです」
「ルナ王女」
「ルナとお呼び捨てください」
ここまで言われるとカイとしても無視はできない。
ぎこちなく「ルナ」と彼女の名を呼んだ。
受けて彼女が嬉しそうに笑う。
「早く元気になってくださいね。今度はわたしくお肉料理に挑戦してみます」
「無理しなくていいですよ。いや。無理しなくていいよ」
言葉遣いを改められルナが頬を染める。
「妖精は動物たちと親しいから肉類は食べない。それは俺も知ってることだから」
「騎士王様」
「カイでもウェインでも好きな方で呼んでくれて構わない。俺もルナって呼んでるんだから」
「じゃあ」とすこし悩んで彼女はこう言った。
「カイ」と。
ウェインという名は使いたくなかった。
それは皇帝スタインの皇子の名。
騎士王の名だ。
彼を騎士王だと意識はしたくなかったのである。
まだ騎士王と緑の妖精王の王女としては触れ合いたくない。
その名を呼ぶのは運命が動き出してから。
そう思ったから。
カイはニッコリと笑ってみせた。
彼女に名を呼ばれて。
カイが全快したのは半月後のことだった。
全快してからの食事の席でも変わったことがあった。
皇妃とカトリーヌが食事の席に同席するようになったのだ。
そして本来、家族で使っていた食堂を使うようになったとかで、カイは今までとは違う食堂を利用するようになった。
いないのはアンソニーだけである。
皇妃もカトリーヌも彼を誘ったらしいが、彼は頑なに拒み、結果として彼の方が違う食堂へ移動する形になったのだ。
噂によれば彼はずっとひとりで食事しているらしい。
彼からすべての家族を奪ってしまったみたいでカイは心苦しいが。
無音で食事が進んでいく中、カイはビクビクしながら食事を続けていた。
カイだけがカチャリ、カチャリと時折音を立ててしまう。
その度に周囲を見てしまうが、周囲はカイが慣れていないだけだと判断しているのか、特に視線を向けることはない。
視線を向ければカイが気にすると思ったからだ。
そうと知ってカイはホッとする。
その日の食事はとてもゆっくり進められた。
カイがどうしてもゆっくりしか食事できなかったから。
食べ終わる頃にはスタインが気掛かりそうに息子に声を投げたほどだ。
「まだ本調子ではないのか、ウェイン?」
「すこし」
「そうか。無理せず今日は休んでいなさい」
「そうします」
苦笑してそう言っておいた。
そのあいだエリルがじっとこちらを見ていたので気が気ではなかったが。
食堂から出ていったのもカイが1番最後だった。
最後まで席を立たなかったのだ。
不自然に思われないように、ゆっくり果実酒を飲んだりして、カイは表面上は普通に振る舞っている。
全員が出ていって立とうとしたが、何度も断念した。
「クソッ。気のせいじゃなかったのかっ!?」
思わず小さく毒づく。
治療しているときから、なんとなくだが異常は感じていた。
だが、そのときはまだ完治していないからだろうとしか思わなかったのだ。
完治して完全に毒が抜けたと保証されてからも続くとは、そのときは思わなかった。
とにかく部屋に……いや。部屋はダメだ。
さっきからエリルに注視されていた。
治療に当たっていたのは彼なのだ。
異常を見抜くのは早いかもしれない。
すこし休めば治るかもしれないし、今はとにかくゆっくりしたい。
どこかのんびりできるところ。
考えても一ヶ所しか浮かばなかった。
「つ……疲れた」
いつも薬草集めにきていた野原までくると、カイはぐったりと身体を投げ出した。
地面に寝そべって深い息を吐く。
のんびりできて人目のないところなんて、ここくらいしか思い浮かばなかった。
城の中だとどこに行っても人目があるし、なによりもバレない保証がない。
バレると父の過保護に拍車がかかりそうだし、なによりも毒物を盛られた件で、未だに気に病んでくれている皇妃を、義母を追い詰めそうだから。
これ以上自分のせいだと責めてほしくない。
そのためには隠すしかないかなとカイには思えた。
全快していないと判断されているときならいい。
全快したと判断されたときまで、こんな状態だったら気にするなと言っても、たぶん無理だろうから。
寝転んで片手を上に翳してみる。
なんとかそれはできる。
でも、指を1本1本動かそうとしたら、ゆっくりしかできない。
これが食事のときに食器で音を立ててしまった理由だった。
上手く食器を操れなくて、つい物音を立ててしまったのだ。
決してテーブルマナーに苦戦していたからではない。
ロズウェルはそういうところは厳しかったから、カイは礼儀作法は身に付いている。
テーブルマナーも然り。
だから、物音なんて立てるはずがないのだ。
今まで皇帝とふたりきりで食事していたときから、そしてルナたちが増えてからも音を立てたことはない。
今日はなんとかごまかせた。
でも、昼も治ってなかったらどうしよう。
一時的なものなら昼までには治ってほしい。
そもそも歩くのにすら苦戦する状態だ。
そんな状態で長くごまかせるだろう。
あの後食堂から去るのにどれだけかかったか。
それを思うとカイはため息しか出なかった。
自由にならない身体をもて余して、のんびり過ごしていると、いつの間にかカイは眠ってしまったようである。
身体が自由にならないのだから、眠ることくらいしかすることがなかったのだ。
やがて寝息を立てるカイの頬にだれかが手を当てた。
でも、カイは起きない。
感じないのだ。
頬に触れられているということが。
調子に乗っているのか、その人物はカイの顔をあちこち触りまくる。
それでもカイは起きない。
さすがに怪訝に思ったのか、その人物が声を出した。
「……そんなに無防備に眠っていると、襲ってくださいと言っているようなものだぞ、騎士王?」
「え?」
突然の声にカイが眠い目を開けた。
目の前にはサタンのアップ。
ギョッとしたが相変わらず身体は自由にならない。
固まっているように見えたので、サタンは気付かない。
「今日はずいぶん無防備だな。顔中触りまくったが起きないし。襲われるのを期待していたとか?」
「どうしてそうなるんだ?」
カイはどんよりと俯いてイジけたいところだったが、あいにく一度寝てしまったせいか、身体が余計に自由にならない。
意識して動かそうとしているときの方が、とっさに動けるようである。
長いあいだ動かないと動けなくなるようだ。
さすがにここまで変だとサタンも異常に気付く。
さりげなく見えないように腕をつねってみる。
だが、カイはなんの反応も見せない。
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