第9話


 翌日、カイは皇帝に誘われて朝食を一緒に摂ったが、その場には皇帝以外の皇族はいなかった。


 場所も本来の食堂ではないらしく、カイのためだけに用意された場所のようで、カイは「やっぱり歓迎されてないのかな」と心持ち沈んでいた。


 皇妃やアンソニーが歓迎してくれないのはなんとなくわかる。


 というより当たり前だと思う。


 元々アンソニーは世継ぎとして育ってきて、そのために皇妃が言っていたように努力もして、皇帝になるために生きてきた。


 なのにある日ひょっこり現れたカイのせいで、すべてが御破算になってしまったのだ。


 これで息子として兄として歓迎してほしいと望むのは傲慢というものだ。


 カイがアンソニーの努力のすべてを無駄にして、彼から未来を奪ってしまったのだから。


 おまけに皇妃にしてみれば、正妃である自分以外の女性が産んだ子供が、夫の後を継ぐ現実を受け入れなくてはならないのだ。


 ここまでの条件が揃っていて、ふたりが喜んでくれるとはカイも思わない。


 逆にいなくなればいいのにくらい思われていそうだと、カイにだってわかる。


 皇妃はともかくとして半分とはいえ、血の繋がっているらしい弟に、そう思われているのは辛いものがあるけれども。


 でも、あれだけ慕ってくれていたカトリーヌでさえも、どうやら喜んでくれてはいないらしいと悟ると、さすがに辛いものがある。


 この場に彼女がいないということは、彼女もカイが実兄だったことを喜んでくれていないということだろうから。


 カイの食事が進まないのを見て、皇帝スタインが不安そうな声を投げた。


「食事が進まないようだが、どうかしたのか、ウェイン?」


「いえ、別に」


 一言だけ否定してから、カイは気になっていたことを訊ねてみることにした。


 ミカエルと初めて逢って彼が消えてから、皇帝はカイのことを今までのように「カイ」ではなく「ウェイン」と呼ぶようになったからだ。


 身に覚えのない名前なので、実はずっと気になっていたのである。


「あの……」


「なんだ?」


「どうしてわたしをウェインとお呼びになるのですか?」


 まだ敬語を直してくれないとため息をつきつつも、皇帝は優しい笑顔でカイの疑問に答えた。


「そなたは知らぬだろうが、それがわたしがそなたに名付けた名だ」


「陛下の第一子のお子さまのお名前?」


「ウェイン。それでは他人事のようだぞ? そなたの名だ」


「すみません」


 どうしても自覚をもてないカイは、頭を掻いて謝罪する。


 いきなり騎士王だとか、皇帝の第一子だとか言われてもついていけないというのが本音なのだが。


「まだ信じられない……か?」


 答えるのにためらったが、最後は頷いていた。


 皇帝が実の父で彼が皇帝だからこそ、重責を背負わされる運命にあるのなら、彼には知っておいてほしかったから。


「生まれたときからひとりでした」


「ウェイン」


「父、母という概念もなく育ちました」


「だが、昨日そなたは竜王から母は琥珀の瞳だと聞いたと言っていなかったか?」


「正確にはわたしを預けた女性が琥珀の瞳だと言っていたのです。それをははという教えられましたが、言葉の意味が母親を意味すると知ったのは爺様と出逢ったあとです」


「そうなのか」


「いないものは仕方がない。自分を嘆いて惨めに感じても意味がない。ずっとそう思って生きてきました。それでなんの不自由もなかったし、特に自分を惨めだと感じたこともないんです。

 ですがこのお話が本当なら、わたしは伝説の騎士王となるべき身。そして皇帝陛下の後を継ぐ身ということになる。聖剣を抜いてしまった以上、それは避けられないのでしょう?」


 腰に下げた聖剣を叩いて言えば、皇帝は苦い顔で頷いた。


「聖剣エクスカバリーは皇帝位の証。そなたがそれを抜いた以上、そなたは皇帝にならねばならぬし、動いただけではなく抜いてしまったことから、そなたこそが騎士王となる身であることも事実だ。そのことは大天使にも保証されているから、今更だれも反論できまい」


 いや。


 反論することを大天使が認めないと言っていい。


 考えてみればカイは大した守護天使を持っていたようだ。


 三大天使がカイの守護役についている。


 サタンに契約を無理強いされたことは言うまい。


 今更だがそう思った。


 この人に不安を与えたくないから。


「そしてわたしの母が皇妃さまではない以上、わたしはおそらく陛下の私生児という存在になる。違いますか?」


「違うぞ、ウェイン。周囲がどう思っていようと、わたしはそなたの存在を認知しているし我が子と認めている。決して私生児ではない」


 ムキになったように否定する皇帝に、カイは苦い気分になる。


「でも、現実にわたしの母は皇妃さまではない。陛下の正式なお妃様ではない。それも事実です」


「ウェイン……」


「周囲にとってわたしは私生児でしかない。望まれない存在でしかない。それは家族であっても例外はない。そうでしょう?」


 空席の目立つ席を見渡すカイに皇帝もなにも言えないようだった。


「望まれない存在。望まれない立場。それでもついてくる重責。それが……辛いんです」


「そうか。だが、それがそなたの宿命。負けてはならぬぞ、ウェイン。わたしも父としてできるかぎり力になるから」


 自分だけは味方だと言ってくれることが嬉しくもあり辛くもあった。


 皇帝が父として味方してくれるほど、他の家族はカイの存在を疎むのだろうから。


 ここでのカイの立場は微妙だ。


 どうやって上手く立ち回るか。


 それを思うとため息しか出なかった。


「とりあえずウェイン」


「はい?」


「父に対してその敬語はやめなさい」


「あ……」


 言われて初めてずっと以前通りの話し方をしていることに気づいた。


 ミカエルに父としての皇帝の気持ちを考えていないと言われたことを思い出し気まずくなる。


 うつむくカイに皇帝は苦笑いした。


「それから今日からみっちりと勉学の予定を組むから」


「え?」


 意外なことを言われ青ざめた。


 勉学?


 今更?


「帝王学すら知らぬ身だ。皇帝となるために欠けている知識はあまりに大きい。そなたは人の何倍も努力しなくてはな」


 笑いながら言われて、どうやらこれから大変そうだと自覚した。


 逃げる隙もなさそうな皇帝の笑顔に、カイはこっそりため息をつくのだった。





 あれから1週間。


 カイは毎日勉学に追われ、皇帝とふたりきりで食事するという日々が続いている。


 他の家族とは顔も合わせていない。


 どうやら皇帝も同じらしく、カイは父の立場を気にしたが、彼は気にするなとしか言ってくれない。


 息をする暇もないほどのハードなスケジュール。


 カイは久々に息抜きしようと、勉学の合間を塗って城を抜け出していた。


 正直な話をすれば期待しないでもない。


 一度城を出たら戻らなくて済むんじゃないか、と。


 父に対する裏切りになるかもしれない。


 でも、望まれない皇子なんていない方がいいんじゃないかと、カイにはそう思えて仕方がないのだ。


 あの城での自分の位置を見付けられない。


 存在するべき場所があの城にはないのだ。


 ナーガの傍にいたときもロズウェルに育てられていたときも、カイには自分の居場所があったのに、あの城にはそれがない。


 唯一の居場所は父として愛してくれる皇帝の傍だった。


 父が傍にいてくれるときだけ、自分はここにいてもいいんだと思えて、カイはホッとするのである。


 どんどん彼に依存しそうで正直に言えば怖い。


 自分がダメな人間になりそうだという理由と、父を孤立させかねない自分の存在の危険性が。


 カイは今までだれかに依存することで生きてきた。


 両親さえいないと思って生きてきたから、生き抜く術なら心得ている。


 でも、それは居場所を提供してくれる人がいて、初めて成立することだと今更のように知った。


 元々居場所がなかったから、カイは自分の居場所を欲する。


 それを自覚したのだった。


「どこに行こう?」


 城を出てしばらく歩いて途方に暮れる。


 もうロズウェルのところには戻れないだろう。


 カイが城にいないと知った皇帝が、1番に捜す場所が彼のところだからだ。


 彼に迷惑をかけたくなければ、もう彼の元には行けない。


 セラもダメだ。


 セラは城仕えの騎士。


 発見されれば連れ戻されるのがオチだから。


 とりあえず人のいなさそうなところを探すべきか。


 そう思って遠くに見える森を目指して歩き出した。





 そこはとても神秘的な森だった。


 どこか生まれ育った山を思わせるとても深い森。


 息を吸えば心地好い空気が胸いっぱいに入ってくる。


 すこし歩くともう背後にあるはずの城が見えなくなっていた。


 どんどんと歩を進める。


 小川が見えて近づいて跪き、その水を手で掬って飲んだ。


「うわっ。美味しいっ!!」


 初めて飲むような美味しくて、とても冷たく澄んだ水だった。


 鳥の声が響いて辺りに視線を向ける。


 すると声が聞こえた。


「人の子よ。そんなところでなにをしている?」


 振り返ればひとりの男性が、ひとりの少女を連れて立っていた。


 どちらも長い金髪に緑の瞳をしている。


 現実を忘れるほど綺麗なふたり。


 じっと惚けたように眺めていて不意に理解する。


「ああ。すみません。もしかしてここ妖精の森でしたか?」


 妖精の森は人間の立ち入りを拒むため、人間たちには魔の森と呼ばれ忌み嫌われている。


 だが、カイは知っている。


 それは妖精たちがやっていることではなく、人間たちが彼らの領域を汚すから、自然と立ち入りを拒まれているだけだと。


 邪心のない人間なら立ち入ることはできるのだ。


 自分に邪心がないとはカイは思っていないが、人間以外の種族だからといって偏見の目で見たり、利用するような下心がないことは自覚している。


 だから、立ち入れたのかなと、なんとなく考えた。


「妖精の森と知らずに立ち入ったのか。不思議な子だ。透明な澄んだ気を放っている」


「えっと。わたしはカイ……というようなウェインというような」


「どちらなのだ?」


 苦笑した男性に問われて、カイは迷ってこう答えた。


「父から与えられ最近知った名はウェイン。育ての親から与えられ、最近まで名乗っていた名はカイと言います」


「なるほど。ややこしい背景に産まれたようだな、人の子よ」


「お父さま」


「どうした?」


 名を呼ばれ振り向いた男性が柔らかな声で問う。


 へえ。


 親娘だったのかとカイは意外な気がした。


 美しい少女の外見はせいぜい人間でいう15、6くらい。


 男性の方はせいぜい20代前半といった外見だ。


 これで親娘とは妖精は人間とは成長の仕方が違うらしい。

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