第8話
気まずかったがミカエルは、彼の見ている前でそれを口に含んだ。
サタンが契約を半ばまでとはいえ行ったなら、これは大天使であるミカエルの役目だったので。
放心しているカイの顎に手をかけて開かせる。
意図を悟ったセラフィムは眼を見開いたが、相手がミカエルだったので止めることもなかった。
ミカエルが無言で唇を合わせる。
飲み込むにはすこし大きな粒を舌を使って無理にカイの喉に押し込む。
喉に詰まりそうになったのか、カイが噎せたがミカエルはそれでもキスするのをやめなかった。
ミカエルの唾液が粒に絡む。
するとそれに反応したように粒が溶け出した。
清涼な水となり、それはカイの喉を通っていく。
ゴクンとカイはそれを飲み干した。
次の瞬間、カイは正気に返った。
「っ!!」
ミカエルとキスしているという現実にカイがパニックになる。
落ち着かせるためにミカエルは、わざと深い口付けを与えた。
カイが身体から力を抜くまで。
抵抗が抵抗にならなくなって、ミカエルはようやく離れた。
「なにが……どうなって」
妙に気だるい身体。
熱っぽいし唇は熱く疼く。
カイの熱に浮かされたような瞳を見て、セラフィムは己の力の無さを悔いた。
「悪かった」
「ミカエル?」
カイが不思議そうな顔になる。
「サタンに契約されそうになってたんだ。半分魂を持っていかれていた放っておいたら闇に堕ちるところだったんだ」
「それで……なんでミカエルとあんなこと」
「天界の水を丸薬にした天界の秘薬を飲ませたんだ」
これはセラフィムも初耳で驚いてミカエルを見ていた。
「でも、あれは飲ませるだけじゃダメで、神かもしくは大天使の唾液が必要なんだ。それで化学反応を起こして天界の聖水になる。つまり口付けするしか方法がなかったということなんだ」
「悪魔の契約についてなら、ナーガに教わったよ。それでなんとかなるものなのか? ナーガは助かる方法はないって」
契約を一度結んでしまえば解放される手段はないはずだった。
心のない人形となる。
でも、カイには心がある。
今こうして話している。
サタンが現れてからのことも、徐々に思い出してきている。
契約ってこんなものなんだろうか。
それともミカエルの処置がよかったから助かった?
「たしかに契約が完了してしまっていたら、俺たちにも助ける術はない」
「完了? ただ口付けするだけじゃダメなのか?」
「ああ。契約の完了は互いの唾液の交換。それがお互いに喉を通って初めて契約が完了したことになるんだ」
恥ずかしいことを言われて、カイはさりげなく視線を逸らした。
ミカエルともキスしたのだと思い出して。
「俺たちが途中で割り込んだから、そこまでいけなかったんだな、たぶん。だから、契約は中途半端で俺にもなんとかできた」
「じゃあ俺助かったのか?」
「言いにくいけど……これは一時的な処置だ」
「ミカエル様?」
セラフィムの驚愕の声にミカエルは済まなそうな顔をしている。
「契約を結んだことは事実なんだ。効果を弱めることはできても、契約そのものを無効にすることは俺には無理だ」
「ミカエルには無理? それって他のだれかなら、なんとかなったってこと?」
「ランク付けっていうのかな。これがルシフェル辺りなら、俺にでも契約の解消はできたんだ。でも、相手は悪魔王サタン。サタンの契約を解消できるのはただひとり。神だけだ」
「神様?」
さすがに神には頼れないだろうとカイにもわかる。
つまり完全ではなくても、これがミカエルにできる最善の手だったということだ。
だってミカエルは表に出ない神の次ぎに位置する唯一の存在。
そのミカエルにもどうにもできないなら、本当に打つ手はないのだ。
こんな事態になっても神が表に出てくるとは思えないし。
「効果を弱めたって……俺、どうなるんだ?」
「方法はふたつ。契約の相手であるサタンを殺すか、騎士王自身が己の心で契約を打ち消すか。そのどちらかで契約は解消される。それ以外の結果になったときは、まあ時と場合に応じてって感じかな」
「時と場合って? 契約が実行された場合の結果ってひとつなんじゃ?」
「本来ならそうだけど、サタンって実は今までに契約を結んだって前例がないんだ。戯れか気まぐれかは知らないけど、これが本当に初めての契約なんだ。つまり本気で騎士王を欲しがった可能性があるということ」
「欲しがる? 俺を? どうして?」
「どうしてって……」
ミカエルが困ったようにセラフィムを見る。
彼は肩を竦めてみせた。
「彼を18だと思って接してはダメですよ、ミカエル様」
「そうなのか?」
「彼は実年齢より余程幼いです。皇女の問題でなにも経験できなかったので、そういうことについて疎いんです。おそらく初恋もまだなのではないでしょうか」
「なんでそんなこと知ってるんだよ!?」
赤くなってカイは怒鳴り、ついでに起き上がろうとしたが、射精したばかりで弛緩した身体では無理だった。
じっと睨む。
睨まれたセラフィムはなにも言わずうつむいただけだが。
「だったらわかりにくいかも知れないけど、要するに一言で言えば、騎士王がサタンを本気にさせた可能性があるってことだ」
「本気? どういう意味の?」
「えっと、その……男と女なら結婚を意識する関係みたいな?」
曖昧に告げてみたが、カイはきょとんとするだけだった。
これは通じてないなとミカエルは肩を落とす。
「理解しなくてもいいけど、サタンが本気になった可能性があるから、騎士王がもしもサタンを愛したら、まあ噂で聞いただけだから確証はないけど、心を失わない可能性も無じゃないってことだ。わかったか?」
「……愛する? でも、男同士だし? そもそも人間と悪魔だし?」
「あー。その辺はいつかわかるようになるから、今は言葉を額面通りに受け取っておいてくれ」
「? ? ?」
顔いっぱいに疑問符を飛ばしながら、カイはじっとミカエルを見ていた。
「とにかく俺にできる助言はひとつだけだ。これからサタンは何度でも契約を完了させようと迫ってくるだろうし、他の悪魔たちだってサタンの契約相手と知れば寄ってくるだろうけど、騎士王は毅然とした態度で拒絶してくれって。
特にサタンにも他の悪魔にも口付けを許したり、身体を許したりしないでくれ。でないと悪魔相手の場合は困ることになるから」
「拒絶……かあ」
「どうした?」
不思議そうなミカエルにカイは夢現に聞いた会話と、サタンの無表情に近い顔を思い出していた。
ミカエルの言い方を優しく言い換えるならこうだ。
サタンをきらえ、と。
きらいなら受け入れることもないから拒絶もしやすい。
そういう意味なのだが今になって思うが、あのやり取りを聞いていて、しかもはっきり憶えていたのはまずかった。
サタンをきらえそうにないからだ。
心を無視して人形にしようとしたと思えたら、きっと普通にきらえたのに。
「あの人……悪い人じゃないと思う」
「あのな。悪くない悪魔っていると思うのか?」
心底呆れ返ったらしいミカエルにカイはそれ以上言い返せなかった。
本心だったので。
これからカイの生活は大きく変わっていくのだろう。
それを思うとため息しか出なかった。
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