第6話

「本当なら俺が付きっきりで導いてやりたいんだけどな。俺も大天使として忙しいんだ。なにしろ神がサボり魔でさ」


 なにをどう言い返せばいいのかわからなくて、この場に集まっている人間たちはだれひとり口を開かない。


 ミカエルが何故天界の問題児なのか、今の一言が証明しているような気がした。


 神を相手にサボり魔なんて言える者が、問題児扱いされないわけがない。


 そしてそんな不遜な発言をしても許される存在。


 それこそが大天使ミカエルなんだろう。


「だから、騎士王にはエルの、大天使次長ガブリエルの護衛、セラフィムを守護につける」


 声と共にバサリ、バサリと音がして全員が上空を見た。


 そこに戦装束を身に纏った天使が浮かんでいる。


 おそらく彼がセラフィムなのだろう。


 カイはどこかで逢った気がして、不思議そうに彼を見ている。


「もちろん天使が傍に控えていたら気になるだろうから、普段はわからないように護衛させるけどな。そういうわけだ。人間たち」


 ジロリとミカエルの視線が向かってきて、皇妃を始めとしてカイに良い感情を抱いていない人々が、神の天罰を恐れて青ざめる。


「たとえ見えなくても姿はなくても、俺たちは常に騎士王を見守ってる。もし殺そうとなんてしてみろ。どうするか……わかるよなあ?」


 ニヤリと笑って脅すミカエルは、たしかに金髪に青い瞳で天使らしい美青年なのだが、何故だか悪魔に見えて仕方がなかった。





「今日はゆっくり休みなさい。親子として積もる話もあるが、今日は色々あって疲れただろうから」


 皇帝はそう言って笑ってくれた。


 ミカエルが消えセラフィムも消えた後で。


 だれもが不満そうな顔をしていたし、素性がわかっても歓迎してくれているのは皇帝だけらしいとわかったので、できれば「ごめんなさい!! その気はありません!!」とでも叫んで逃げ出したかった。


 肩に回された皇帝の腕の震えが、それを危惧しているようで、どうしても動けなかったけれど。


 皇帝から部屋を与えられたカイは、慣れない豪華な寝台に横たわっている。


 目に映るものは天蓋。


 見慣れない物。


 寝返りを打つ。


 その感触も慣れない。


 それでも身体は疲れていたのか、カイはいつのまにか眠ってしまった。


 そうしてどのくらい眠っただろう?


 頬にだれかの手が触れていて、ふと意識を揺さぶられる。


 でも、起きれない。


 疲れていて。


 眠くて。


 それでもなんだか不穏な気を感じ、頑張って目を開けた。


「これが成長した騎士王か」


 ―――だれ?


 霞む目に映っているのは背中まで届いた長い黒髪に濡れたような黒い瞳。


 穏やかな印象を身に纏った美青年。


 ミカエルが快活な美なら、この青年は穏やかな秋を思わせる美だった。


 豊かさを感じさせるのにどうしてだろう?


 瞳には寂しさが浮かんでいる。


「この細い手でわたしにトドメを刺せるのか?」


 腕を手首からゆっくりとなぞられる。


 ゾクッとして身を縮めた。


 腕を辿った手がそのまま首筋をなぞり、やがて襟首を開いた。


 開いた首筋に鎖骨に彼がキスをするのが見える。


 その度に震える。


 おかしい。


 意識はあるのに起きれない。


 ここまでされたら普通は起きそうなものなのに。


「っ!!」


 胸元にキスされて背が反り返る。


 それを待っていたように背中に腕を回され、服を一気に脱がされた。


 ひんやりとした風が素肌に当たる。


 ヤバイ!! と頭の中で警鐘は鳴るのに、どうしても起きれない。


「もしかして……初めて?」


 首を傾げた青年が呟く。


 放っておけと言いたいのに言えない。


 長い髪が肌に当たっていてくすぐったい。


「ずいぶん青ざめている。もしや口付けも経験がない?」


 これ以上は御免なのに、やはり抵抗はできないし、そもそも起き上がれない。


「初めてなら契約も可能……か」


 意味がわからない。


 背中に腕を入れられて無理に抱き起こされる。


 首が反り返り顎を固定される。


 なにをされるかわかるから、身体が強ばってしまって動けない。


「サタン様、ダメですって。騎士王が未経験だからって、どさくさ紛れに契約しようなんて」


(サタン!? 悪魔王サタン!? この人が!?)


 悪魔との口付けは契約を意味する。


 特に生まれて初めての口付けの相手が悪魔である場合は、身も心も魂までもその悪魔に奪われるという、契約の証になるとナーガが言っていた。


 だから、絶対に悪魔とは口付けを交わすなと。


 本当に身を護りたいなら悪魔に狙われる前に、初めての口付けくらいは終わらせておくべきだと、どこか複雑そうに言っていた。


 だが、カイはあれから一度も、だれとも口付けを交わしていない。


 小さい頃からカトリーヌに執着されていて、経験することができなかったのだ。


 カトリーヌが慕っているカイを誘惑するような娘も令嬢もいなくて、カイは経験したくてもできなかった。


 だから、未経験なのである。


 カイはカトリーヌのもの。


 だれもがそう思っていて告白してきたり、付き合ってくれるような、そんな奇特な少女はいなかったから。


 逃げないと……そう思うのに、やはり身体は動かない。


 薄く開いた瞳にもうひとりの青年が見えた。


 サタンの背後に立っている。


 彼がサタンを止めてくれたようだ。


 だが、髪や瞳の色、そして彼を「サタン様」と呼んでいるところからみて、彼も悪魔なのだろう。


 それでどこまで庇ってくれるかは謎なのだが。


「ルシフェルか」


「様子を見てくるだけという約束だったんじゃなかったですか? エリエルが泣きますよ」


「わたしはあれを愛人にした覚えはない」


「いや。向こうはそう思ってますから、サタン様。いやならきちんと拒絶されればいいんですよ。まあそれでも自認することをやめるかどうかは責任は持てませんけど」


「何故止める、ルシフェル?」


「何故って」


「これは我々にとっても好機だろう? 騎士王が未経験なら、わたしと口付けを交わせば、騎士王は身も心も魂までもわたしのものになる。そうすれば天界の者たちがどれほど慌てるか。なのに何故止める?」


「後でサタン様が後悔されるからです」


「後悔、か」


 どこか不思議な色の宿った声だった。


 サタンはまだ上半身裸のカイの背を撫でていて、カイはその度に反応してしまう。


 優しい触れ方なのだが、経験のないカイには初めての体験で、どうしても反応せずにはいられないのだ。


「サタン様が何故今まで契約を交わそうとなさらなかったか、俺は知ってるつもりです。想い想われていないからだと」


「そのようなことには拘ってはおらぬ」


 そう言いながらも、その声には抑揚がない。


 感情が籠っていない声だから、却ってルシフェルの指摘が当たっていることを証明していた。


「騎士王の心はサタン様のものじゃない。それで人形にしてしまって、サタン様は嬉しいんですか? サタン様に人形で遊ぶ趣味があるとは、俺は思っていないんですが?」


「想い想われての契約であれば、初めてであっても心は失わずに済む。とんだお伽噺を信じていたものだ。ルシフェルともあろうものが」


(両想いなら心は失わない? つまり悪魔に魂を奪われずに済む? そんな話、聞いたこともない)


 でも、悪魔を本気で愛した段階で、魂は奪われたようなものではないのだろうか。


 それともだからこそ、魂を奪われずに済むのだろうか。


 心を自ら悪魔に渡すから。


 この人はその事態にならないからと契約せずにきた?


 この瞳に浮かぶ寂しさは孤独?

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