第5話
「あとは騎士王」
突然、振り向かれて、それまで傍観に徹していたカイは、不思議そうに彼を見た。
「非常に言いにくいんだけどな。騎士王は特別な御身だ。竜王に育てられたせいで、人間の常識には疎いと思う。でも、騎士王が伝説扱いされている英雄であることはわかっているはずだ」
「一応……それなりに?」
頼りないカイの発言に父としてスタインは、彼を育てていくのが難儀そうだとわかってため息をつく。
ミカエルも大天使として、あまりに無垢な騎士王に不安を覚えた。
「騎士王が1番にこなさなければならない重大な責務。それは次期竜王を探しだして、人間の守護を引き受けてもらうこと」
「そんなこと頼まなくても」
「どこまで天然なんだ?」
呆れ顔のミカエルにカイは「天然って」と拗ねる。
「竜族は慈善事業をやってるわけじゃない。その力が強大だからこそ、周囲には関わらないように生きているし、なによりも高等生物であることから、下等生物とみなしている人間の守護なんて、進んで引き受けてくれる竜族なんていないんだよ」
「でも、ナーガは俺を育ててくれたし愛してくれた。別に見下されたことなんて」
「だったら竜王が健在だった頃、他の人間に近づくことを一度でも許可されたことがあったか?」
「それは俺が狙われていたからで」
「違う。養い子の騎士王は特別でも、他の人間なんて大した価値がないと思っていたから、養い子が人間に染まることを恐れて近づけなかったんだ。どんなに気さくに振る舞っていても、相手は偉大なる竜王。絶対に気高い存在だったはずだ」
絶句するしかないことを言われ、カイは言葉をなくす。
ミカエルはナーガを直接には知らない。
ミカエルだって大天使としての責務があったし、なによりも騎士王が誕生するまでは、地上への干渉を最小限に止めなくてはならなかった。
そのせいで騎士王を育てている竜王とは、面識の持ちようがなかったのである。
でも、竜族に詳しいミカエルだからわかる。
竜王がどれほど気さくにカイに接していても、特別なのはあくまでも養い子の彼だけ。
他の人間なんてチリ同然にしか思っていなかったことが。
それでも母親のことについて触れなかったのは、竜王なりの優しさであり、また彼の狡さだとミカエルにはわかるけれど。
自分のために母親が死んだ。
それを知ることは、カイにとって辛いこと。
だが、同時に生命を代償にして育て守護することを誓ったことを知られれば、竜王がカイにきらわれる恐れがあった。
だから、彼はそれには触れなかった。
それはたしかに竜王ナーガの狡さだが、同時にそこまで(きらわれたくないと思い詰めるところまで)情が移っていたことの証明でもあるのだが。
「別に竜族が冷酷だって言ってるわけじゃない。むしろ逆で竜族は一度守護を誓えば、それを破ることは生涯ない。逆から言えばだからこそ、簡単に守護なんて引き受けられないんだよ。引き受けてしまえば、一生その誓いに縛られるんだから」
「俺はナーガに愛されていたよな?」
「それは掛け値なしに断言できるよ」
保証されてカイがホッとしたように息をつく。
「ただわかっていてほしかっただけなんだ。竜族にそれもまだ若い竜王に人間の守護をさせるなんていうことが、思っているほど簡単じゃないってことを」
「でも、俺も一応ナーガの養い子だし」
「先代の情けにすがるっていうのは、正直な話、期待できない」
「どうして?」
「竜族っていうのは血統主義じゃなくて実力主義だから。つまり先代の竜王と当代の竜王のあいだに、ライバル心はあっても血の繋がりはないんだ。むしろ先代の竜王の養い子の言うことなんてだれが聞くか!! そう思われてると思った方がいい」
竜王を守護役とするということの難しさを教えられ、カイは難しい顔になる。
「ただ先代に育てられたからこその武器もある。そうだろ?」
ニヤリと笑ったミカエルがなにを指摘しているのか、それはカイには理解できた。
おそらくナーガに育てられたからこそ身に付いた最たるもの。
モンスターやドラゴンと会話できる能力。
たしかにドラゴンを守護役にしなければならないなら、その能力は必須となるだろう。
ナーガに感謝するべきだろうか。
「竜王を守護役にできれば、騎士王はほぼ役目を果たしたと思っていい。竜王が生きているかぎり、人間をモンスターが襲うことがなくなるし、なによりも魔物による被害がなくなれば、人間だって普通に生きられるだろうから」
「それだけで英雄扱いされるのもなあ」
「あのなあ。それだけって……どれだけ軽く考えてるんだよ?」
「だって」
呆れ返るミカエルに言い返すと、彼は更に呆れた顔になった。
「まず竜王の元に辿りつくまでに、相当の年月を費やすだろうし、なによりも魔の誘惑と戦い、数々の難関を乗り越えていかないといけないと思う。そこで屈するようなら竜王に耳を傾けてもらうことなんてできないんだから」
「つまり言葉にすれば簡単だけどだれにでもできることではない?」
首を傾げて問いかければ、ミカエルはようやく理解したかと言いたげな顔になる。
「結果を言えば竜王を守護役として人間を護らせる。それだけだけどな。それは常人にはなしえないことなんだ。だから騎士王にはエクスカリバーが必需品なんだよ」
「必需品?」
手にした剣をじっとみるとミカエルが苦笑いした。
「言い方が悪かったら謝るけど、要するにそんな特別な剣が必要になるほど苦難の道を歩くのが騎士王だってことなんだ。ただ人間に、世界に平和を与えるためだけにな」
「それを断ったら?」
「あんたは断らないよ」
「なんでそう言えるんだ?」
「断るような人間なら、そもそも騎士王としては産まれない」
断言されて言葉をなくす。
すべてが仕組まれているようで納得できないが。
「それから助言をひとつ」
「助言?」
「悪魔たちの言葉には耳を貸すな」
「悪魔?」
「騎士王を護り導くのが俺たちの仕事なら、騎士王を誘惑し墜落させるのが悪魔たちの仕事。これから騎士王は悪魔たちから、ひっきりなしに誘惑されると思う。でも、それを撥ね付けてほしいんだ」
「そんなこと言われても……悪魔だって天使だって同じだろ」
「一緒にするなっ!!」
ミカエルに怒鳴られてカイは一歩下がる。
「確かに……天使も悪魔も元を辿れば同じだよ。でも、生きる道が違う。生き方が違う。一緒にするんじゃないっ!!」
「天使の言葉には耳を傾け、悪魔は耳を貸すななんて、そんなこと言われても……」
カイが言い返すとミカエルがその場に踞った。
「あのぅ?」
「こうなるんじゃないかと思ったんだ。下手に竜王に育てられたから、魔物にも耐性があって受け入れるだけの器も持っている。そのせいで悪魔は危険だって言われても納得できないんじゃないかって」
「だって天使だろうが悪魔だろうが、だれの言葉に耳を傾けだれの言葉を無視するのか、決めるのは自分自身だろ? 種族で差別するべきじゃない」
「そうじゃないってわかったときには遅いんだ。はっきり言ってやるよ。あんたサタンにまで狙われてる身なんだぜ?」
「悪魔王サタン?」
「エクスカリバーは不死身のサタンに止めをさせる唯一の剣。つまりあんたはサタンにとって驚異なんだ。唯一の、な」
「唯一の驚異? 俺が?」
信じられなかった。
親もなくひとりで生きてきて、養い親がいなければ、そもそも生きていけなかったカイが、あの悪魔王サタンの唯一の驚異となるなんて。
「その驚異を驚異でなくするためにはどうすればいいか? 答えは簡単だ」
そういって立ち上がったミカエルがカイに近づいてくる。
圧倒される雰囲気にカイの身が強ばった。
その頬に手が触れて耳元で微かな声がささやく。
「誘惑し墜落させ自分のものにすればいい。騎士王を」
「ちょっ……」
ゾクッとして思わずカイが飛び上がった。
ミカエルのらしくない妖艶な雰囲気に押されていたスタインが、慌てたように息子の傍により肩を抱く。
庇うようなその仕種にミカエルが元の屈託のない笑顔をみせた。
「このていどの誘惑にさからうどころか、怯えて逃げ出すようじゃあ、サタンに逆らうなんて死んでも無理だ」
「ウッ……」
言い返せないカイにミカエルは、これだから騎士王になれたんだろうし、だからこそ、どちらに転ぶかわからないという不安定さも持っているのだろうと感じた。
神の意に従う相手は、こういうどちらに転んでもおかしくない人間なのだろう。
でなければ天使と悪魔なんて元は同じでありながら、対照的な存在なんてできるわけがない。
そのどちらの要素も持っているのが人間なら、その象徴的な存在こそが騎士王なんだろうから。
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