第3話
というのもこの国には皇位継承に関してひとつの決まりがあって、世継ぎの皇子が皇位を継ぐためには、聖剣エクスカリバーを抜くか、抜けないまでも動かすかしなければならないらしい。
だが、アンソニーは16になっても、まだ聖剣を動かすこともできない。
触れてもビクともしないのだ。
代々の皇帝でも聖剣を抜いた者というのはいないらしい。
聖剣を抜く。
それはすなわち騎士王となるということなので、それはあまり特別視されることではない。
騎士王以外には抜けない剣なのだから、動かせればいいのだ。
だが、アンソニーは16になっても動かせない。
父であるスタイン皇帝は10歳のころには動かせたというのに、だ。
そこへもってきて11年前に突然現れた余所者、つまりカイは父王にそっくりな顔立ち。
カイには聖剣に触れる権利もなければ、近づくことすらできないのだが、アンソニーは無視できないらしく、カイのことは毛嫌いしていた。
妹が懐くことも忌々しいと言いたげな様子である。
カイは皇帝と皇女にはウケがいいが、皇妃と皇子には毛嫌いされているのである。
そんな状態で宮殿にきたいわけがない。
できれば遠ざかっていたいのに、カトリーヌはなにかと理由をつけてはカイを招くし、彼女が動かない場合、あまり長く宮殿にあがらないと、皇帝から呼び出しがかかる。
カイにしてみれば「やめてくれよ……」の世界なのだった。
「また妹のわがままかい?」
「お招きされたので参上つかまつりました。これから陛下へのご挨拶です」
「父上も妹もきみにご執心のようだね」
嫌味を突きつけてくるアンソニーにカイはげんなりする。
自分から仕向けたことじゃないと、できれば言い返したいが、相手はこの国の世継ぎの皇子である。
グッと我慢するしかなかった。
「では失礼します」
これ以上嫌味を言われてはたまらないと通りすぎようとすると、背後からアンソニーの声が届いた。
「きみはこのままロズウェルの後を継ぐのかい?」
「……そのつもりはありません」
「ロズウェルはそのつもりのようだけど?」
「義父がどのような考えでいるかは、わたしの関知するところではありません。わたし自身にその意志がない。それは事実です。それが義父の事実と違うとしても」
世継ぎ相手でも譲らないその姿勢がアンソニーは気に入らない。
こんなとき、父王の面影をみるからだ。
カイはふとしたときに父王にとてもよく似てみえることがある。
顔立ちじゃない。
気性的な部分で、だ。
だから、アンソニーは彼が気に入らないのだ。
(彼は……いるかもしれないという兄なのだろうか?)
言えない問いが脳裏を巡る。
アンソニーには兄がいるらしいのだ。
噂だけだが父が母と結婚する前に付き合っていた女性が、どうやら父の子を、それも男子を産んだらしいと聞いている。
行方も知れない本来の第一皇子。
父は今もその行方を捜している。
だから、自分には聖剣は動かせないのかと、アンソニーは言えない悩みを抱えていた。
嘘だけだが兄の名は「ウェイン・ローズ」というらしい。
父がそう名付けたと聞いている。
逢ったこともない息子に名を与えたと。
そのせいだろうか。
父はアンソニーにもカトリーヌにも名は与えてくれなかった。
ふたりの名を名付けたのは母である。
父が名付けたのはいるかもしれない兄だけ。
カイの存在はその懸念を掻き立てる。
彼は考えたこともないようだけれども。
カイとアンソニーはしばらく視線を合わせていたが、やがてカイはペコリと頭を下げると、先導していたセラに合図して、また謁見の間を目指しはじめた。
(その左肩にアザはある?)
問いたくて問えない問い。
ローズの直系男子なら受け継ぐという皇家のアザ。
アンソニーにもあるアザ。
それがあれば彼は間違いなく行方不明の兄なのだ。
問えばわかる。
でも、確かめるのが怖くて問えない。
それは父や母も同じなのだろうか。
「カイ」という存在にだれもが行方不明の世継ぎの皇子の面影を重ねている。
その鍵は皇子だけに受け継がれるアザにある。
実際のところ、どうなのだろう。
問えないその問いだけが胸に重かった。
謁見の間に入ると皇帝が満面の笑みで出迎えてくれた。
「久しいな、カイ」
「お久しぶりでございます、陛下」
一礼すると皇帝は何故かいつも憂い顔になる。
その度にカイはなにか失礼な振る舞いをしただろうかと不安になるのだが、どうやらそういうわけでもないらしく、特に咎められたことはない。
ただカイが頭を下げる度に皇帝が憂い顔になるだけで。
「カトリーヌがまたワガママを言ったらしいな?」
「お招きいただいたのは事実です。どうもわたしはよほど暇なように見えるらしいですね」
「そういうわけでもあるまい? そなたは光の塔では引っ張りだこの腕前だと聞いている。事実ロズウェルが遠出するときに必ずそなたを連れていく、と」
「それは……」
まさかモンスターと話せるからだとは言えない。
「今日はカトリーヌと逢う前に、すこしわたしに付き合いなさい」
「え? あの?」
「今日はそなたの18の誕生日だろう? 贈り物を用意している。付き合いなさい」
「はあ。ありがとうございます」
頭を下げたもののカイは困り果てていた。
皇帝から贈り物を貰うなんて、ある種の名誉だと聞いている。
皇帝は贈り物をきらう人なので、自分の子供たちにすら、誕生日プレゼントはやっていないという話だった。
これがまた皇妃や皇子の耳に入ったら、疎まれるんだろうなと思うとため息しか出ない。
謁見なんてこれ以上やってられないとばかりに、皇帝に連れられて部屋を移動するとたくさんの衣装が用意されていた。
カイには縁遠そうな豪華な衣装である。
目をパチクリさせていると皇帝が嬉しそうに振り向いた。
「どうだ? これだけあればそなたの気に入る服がひとつくらいはあるだろう?」
「はあ。しかしまさかこれ全部だなんておっしゃいませんよね?」
「そのまさかだが、なにか不味かったか?」
真面目な顔で言われて二の句が継げなかった。
これ全部が贈り物……?
贈り物嫌いの皇帝陛下から?
恨まれるだけで済みそうにないと、カイは頭を抱えてしまった。
「とりあえずせっかく用意したのだ。着替えてもらおうか」
「えっ!? 陛下の目の前で、ですかっ!?」
無理無理とかぶりを振ったが、皇帝は取り合ってくれなかった。
両手を叩いて侍従を呼び、あっという間に着替えの準備を整えていく。
カイには拒否する隙もなかった。
抵抗する間もなく服を脱がされ裸にされる。
皇帝は何故かカイをじっと見ていた。
恥ずかしいのでとにかくなんでもいいから服を着ようと思ったが、なにを思ったかいきなり皇帝に左腕を掴まれた。
「陛下?」
マジマジと腕を凝視される。
「……ない」
「?」
なんのことかわからなくて首を傾げる。
皇帝は左肩の辺りをじっと見ている。
声をかけようとした瞬間、またあの痛みがぶり返した。
思わず左肩を押さえて踞る。
「カイ? どうしたのだ? そんなに青ざめて脂汗を掻いて」
「いえ。……時々、左肩が疼いて熱を持ったように痛むんです」
「……」
カイは無意識に左肩のある一定の場所を押さえていた。
それはよく見慣れた光景に見えた。
あの位置にあるべきものがなくて、皇帝はがっかりしたのにカイはそこに痛みを訴えている。
それはどう判断すればいい?
「とりあえず服を着なさい」
「はい」
青ざめながらも立ち上がって服を着た。
カイは知らなかったが、それは若い頃の皇帝スタインの衣装のひとつだった。
彼に着せるためにわざと探し出してきた一着だ。
彼にはよく似合っている。
カイはまだ脂汗を掻いていたが、もう左腕を押さえるようなこともなかった。
「左腕はよく痛むのか?」
「いえ。最近になってからです。もしかしたら」
「もしかしたら?」
「最初の養い親が亡くなったことと関係しているかもしれません」
「最初の養い親? そういえばロズウェルがそなたを引き取ったのは7歳のときだったな。それまでどこでどうしていたのだ? 両親は?」
「両親……ですか。いたのか、いなかったのか、わたしは存じません」
「……名も、知らない?」
コクンと頷くと皇帝は難しい顔つきになった。
「その琥珀の瞳は生まれつきか?」
「最初の養い親から聞いた話によれば、わたしの母が琥珀の瞳をしていたそうです」
「琥珀の……瞳……」
皇帝はわからないように握り締めた拳を震わせた。
「養い親が母からわたしを預かったとかで」
「どんなふうに?」
「さあ。その説明は聞いたことがありません。養い親はわたしが母のことに興味を持つことをきらっていましたから」
ここまで言ってから「ただ」と苦い笑みを浮かべて言った。
「ただ?」
「今になって言うのもマヌケですけど、養い親からは肌を人前でさらすなと、特に養い親が亡くなったら、絶対にさらすなと言われていたんですが、うっかり遺言を破ってしまいました」
そう言って屈託なく笑うと皇帝の顔からは、すべての感情が消えていた。
怪訝に思い眉をしかめる。
「陛下?」
「そなたの最初の養い親とやらは、もしかしたらロズウェルと匹敵するくらい、いや、もしかしたらロズウェルを超えるほどのなんらかの力の持ち主、か?」
「それは」
どう答えようか迷って瞳を揺らす。
「偉大なる……存在です」
「偉大なる存在?」
「人には計り知れないほどに偉大なる存在です。今では夢のようです。彼に育てられたなんて」
「カイ」
皇帝は苦い気分で彼の名を呼んだ。
人には計り知れないほどに偉大なる存在。
そして痛みを訴える左肩。
人には見せてはいけない素肌。
それらが導き出すのは、たったひとつだった。
「ウェイン」
「あの?」
カイが不思議そうな顔をする。
その左肩を皇帝は乱暴に掴んだ。
「陛下?」
カイが戸惑った声をあげるのを無視して引きずっていく。
その光景に慌てた者たちが、皇帝を止めようと後を追って絶句した。
皇帝がカイを連れて向かう先が、聖剣の眠る「聖地」だと知って。
城の中央の地下に「聖地」がある。
聖剣エクスカリバーの眠る「聖地」が。
そこに連れ込まれたカイは、あまりの光景に絶句してしまった。
巨大な岩に半分以上深々と1本の剣が刺さっている。
どうやって刺したのか、そもそも抜けるのか。
そんなこともわからない不思議な光景。
注進のあったアンソニーや皇妃エリザ、皇女カトリーヌも慌てたようにその場にやってきた。
「お父さま?」
「陛下? どういうことですの?」
娘と妃の問いかける声にも皇帝は振り向かない。
ただカイの背中を押すだけで。
「あの?」
振り向いたカイが不安そうな顔をする。
「触ってみなさい。あの剣に」
「わたしが……ですか?」
「そうだ」
どういうことかわからなかったが、皇帝はカイが触るまで納得しそうになかったし、周囲も固唾を飲んで見守っているようだった。
これは触ってみるしかないらしい。
さて。
どうしろというのだろう。
あんな人知を超えた光景の剣を。
とりあえず近づいてみる。
するとどこからかシャラシャラと音が響き出した。
だれもがギョッとしたように周囲を見て確かめている。
その音がどこからするのかを。
皇帝だけはその音の出所を知っていた。
聖剣が鳴らしているのだ。
自分に触れることのできる者が近づくと聖剣は共鳴する。
この光景を皇帝は28年前に見てこの音も聞いていた。
周囲は代替わりした者がほとんどで忘れているのだろうが。
アンソニーのときには起きなかった現象。
やはりそうなのだろうか。
「不思議な音」
カイは夢見るように呟いて、岩に近づくとその剣に手をかけた。
不思議なことに重さを感じない。
しっくりと手に馴染む。
力を込めようとしたが、その必要すらなかった。
剣が自分からグラッと揺れたのだ。
アンソニーもカトリーヌも、皇妃エリザも顔色を変える。
3人の顔色は真っ青だった。
ローズ皇家の世継ぎにしか動かせないはずの聖剣。
その聖剣をどこの生まれとも知れないカイが動かしたという現実に。
周囲もありえない事態に目を見開く。
だが、驚愕の事態はそれだけでは終わらなかった。
カイがなんの抵抗もないように、スルリと巨大な岩石から聖剣を引き抜いたのだ。
フラつくこともなく彼はそれを受け止めた。
歴史で初めて聖剣がその全貌を見せている。
だれもが驚いて声が出ない。
カイは困って皇帝の方を振り向いた。
「あの……これ、抜けたんですけど、本当に岩に刺さっていたんですか? なにか仕掛けがあったんじゃあ」
「なんの仕掛けもない。それは正真正銘その岩に刺さっていたのだ。悠久の時代」
「でも」
戸惑うカイに皇帝がツカツカと近づいていった。
「脱ぎなさい」
「えっ!? あのっ」
逆らう暇もなく前ボタンをすべて外される。
逃げようとしたが手に剣を持っていることを思い出し抵抗をやめる。
そのあいだに上着が脱がされ、上衣も半分脱がされた。
両肩が露出した形になる。
さすがに女性たちの前では恥ずかしくて頬が赤くなる。
すると人々の顔がもっと青ざめた。
どうしてだろう? と首を傾げる。
皇帝は愛おしむようにカイの左肩を撫でた。
ゾクリとして身を引きそうになる。
「あの?」
「ローズ皇家の……紋章」
呟いたのはアンソニーだった。
彼の顔は強張っている。
カイはなにがなにやらわからなかったが、すべての者が自分の左肩を注視しているようだったので、何気なく視線を向けてみた。
そこには見たこともない、これまでなかったはずのアザが浮かんでいる。
「なんだ、これ」
「我がローズ皇家の紋章のアザだ」
そう言われてみれば……とカイの顔色が変わる。
どうしてそんな紋章のアザがカイの左肩に?
「わたしにもある。ほら」
そう言って皇帝は左肩を露出してみせた。
カイに見やすいように見せてくれる。
そこには確かにカイと同じアザがあった。
カイの目が大きく見開かれる。
「我がローズ皇家の直系男子にだけ受け継がれる皇家の紋章のアザだ」
「……直系男子にだけ? まさか。だって」
絶句するカイを皇帝は強く抱き締める。
震えるその腕で。
「そなたは……わたしの子だ」
(俺が皇帝陛下の子? どういうことだ?)
「マリアが、わたしの初恋の女性が産んでくれた第一子。世継ぎの皇子だ」
信じられない。
カイがこのローズ帝国の世継ぎの皇子?
この皇帝陛下の第一子?
「……信じられない」
「疑う余地がどこにある?」
「だってっ!!」
「そなた自身、違うと言い切ることはできないはずだ。さっき聞いたように自分の両親の名すら知らぬのなら」
グッと詰まったカイに皇帝は済まなそうな顔になる。
「左肩にある直系男子しか受け継げないアザが、わたしの血を引く皇子である証。そしてその聖剣エクスカリバーを抜いたことが、正当な世継ぎの皇子である証だ」
「聖剣エクスカリバー!? これがっ!?」
「いや。動かすどころか、歴史上で初めて聖剣を抜いたということは、そなたこそが伝説の騎士王となるべき皇子である証だ」
「騎士王? あの伝説の?」
信じられないと声が掠れる。
話はどこまで大きくなるのだろう?
「待ってください、陛下」
妃の強張った声に皇帝が振り返る。
カイの肩を抱いたまま。
カイは相変わらず現実を受け止めきれず混乱していたが、皇帝はまるでカイを手放したくないとばかりに、抱いた腕を離そうとしなかった。
「陛下のお世継ぎはアンソニーです。カイではありませんわ。そんなどこの生まれの者とも知れぬ出自の者」
「そなたはわたしの皇子を侮辱するのか、エリザ」
「わたくしは認めませんっ!! いきなり出てきて玉座を奪うなんて!! 今まで努力してきたアンソニーはどうなるのですかっ!!」
「ではアンソニーに聖剣を抜けるのか?」
静かな問いかけに皇妃は言葉を詰まらせ、アンソニーは悔しそうにうつむいて唇を噛んだ。
抜けない。
それは現実だったし、聖剣の伝説によれば、一度騎士王と認めた者と出逢えば、聖剣に触れることすらできなくなるという。
騎士王以外もう聖剣には触れられないのだ。
真実カイが騎士王であれば、もうアンソニーには聖剣に触れることもできないのである。
カイはなにがなにやらわからなかったが、どうやら自分がこの剣を抜いたことがいけないらしいということだけは理解した。
慌てて皇帝の腕から逃れて、疑問視を向ける人々に声を投げる。
「要するにこれを元に戻して、アンソニー殿下がそれを抜ければいいんですよね?」
慌てたように戻ろうとするカイの腕を皇帝が掴んだ。
「あの?」
カイが困ったような顔になる。
「残念だが騎士王が聖剣を抜いた場合、聖剣は二度と元の位置には戻らない」
「そんなっ」
なにも知らずに聖剣を抜いたカイは青ざめる。
あのときはこんなことになるなんて思わなかったのだ。
どうしよう。
こんな大事になるなんて。
「それに一度騎士王によって命を与えられた聖剣は、もう騎士王以外が触れることを許さない。そなたになら聖剣は触れられるだろうが、もうアンソニーでは触れることも叶わぬのだ」
絶句してアンソニーを見れば、彼は悔しそうにそのまま顔を背けてしまった。
彼が長い間努力してきたことを、カイが台無しにしてしまったのだ。
恨まれても無理もないなとため息をつく。
これが騎士王伝説の始まり。
すべての者が待ち望んだ騎士王はこうして誕生した。
人知れず。
騎士王の誕生を人々が知るのは、まだまだ未来のことである。
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