第3話

野中に、風と私の関係を知られたのは、会話を重ねて暫くっ経った頃だった。制服の紺の生地はまだ、冬の重たさに耐えていた。


風が走る。

私の体を揺らす。スカートの裾が捲れ、甘い匂いを、どこからか運んできた風に、大きく息を吸い込む。


午前の授業が半分過ぎたころ、中庭の隅で体を風の好きにさせていた時だった。明るい声が言った。


「それ、どうなってるの」


教室では様々な言葉が放されて遊んでいる。


一階の端の廊下から、彼女は半身を乗り出すようにして、私を見ていた。

きっと、誤魔化そうと思えばできただろう。

それをしなかったのか、したくなかったのか、できなかったのか。

そのまま彼女のそばへ、窓の下へと私は歩いた。風を片側に巻き付けたままで。


「これ?」


「そう。それは何か機械でも使っているの?」 


私は右手を彼女の方へ掲げた。

そこにぐるぐると走り上る風。

制服の皺がよっている。絞り上げたようなそれに、野中はそっと触れた。

風が、その手を流れに受け入れるのが分かった。


「風使いなの?」


「違う。ただ関係を築けるだけ」


「ふうん」


野中は笑った。

体を窓の中に収めて、思案顔のまま唇が明るく輝く。

掴んだ私の手は離さないままだった。


「私の周りを回ってもらえる?」


そしておもむろに口にした。

それはどこかのお姫様のような、願いを口にしたその瞬間には、叶えられることを疑っていない言い方だった。

他人にそんな口をきかれれば、私は無視をきめこんだだろう。

彼女に限って、私はその尊大さが好きだと思った。

だからゆっくりと、彼女の掴んでいる私の腕をほどき、指先を彼女の方へ向けながら、やさしく翻した。


見えない神経を介しているかのように、風は走りだす。

彼女の首を一周小さく回り、柔らかな髪を掻き上げ、そのまま頬へ降りる。胸のタイを巻き上げ、上服の裾を揺らした。

美しくくびれたウエストがあざとく見え、さっき私に纏わりついた様に、彼女のスカートの深い色を波立たせた。

野中の足首を最後にきゅっと締めたあと、風はそっと掻き消えるように、か細くなり私のもとへと戻った。


野中はさっきよりも艶をもって笑った。

授業中だということを慮って、腹に落とし込むような、重りの入った声だった。


「どうしたの」


「それはこっちの台詞よ。あなた、私と知り合ってどれだけ経っていると思うの?」


 野中は笑いながら透明に私を責めた。


「まだ一年経ってない」


「そりゃそうね。でも、私わりとあなたのことは、知ってると思ってたのよ」


「そうだよ。大体ははなした。だからこれが最後のわたし。これで、終わり」


 下した腕を風が回っていた。


「それより、今って授業中だよね」


「あら、私がさぼってると思ってるの?」


「違うの?」


 野中は肩におちる髪を梳きながら


「勿論ちがう。私はね、ちょっと気分が悪くなったから、保健室に行こうとしてたの」


「ふうん」


保健室は反対の棟の一階だ。

階段は棟の両端にあるから、降りればそのまま廊下を真っすぐに進んで行かなければ、保健室のある棟にはたどり着かない。

私の視線を受けて、野中は悪戯っ子のように笑った。それもやはり少し潜めた声で。


「というていで、あなたを探していたの」


「わざわざありがとう」


「そうね、なんだかいい顔をしていたのに、邪魔をしてしまったのは本当に悪かったわ」


私は自分の頬を触ってみた。いつもと変わらない、手のひらを沿わす角度が染みついている。


「何も変わりないと思うけど」


「それは、今は私と話しているから。今のあなたは私のちいかちゃんなのよ」


「さっきまでは?」


そう問う私を、彼女は勿体ぶって手招いた。

白い手に引き寄せられるように、唇からそちらへ顔を寄せる。

野中は笑った口のまま、従う私の耳へ手を添えて口にした。

窓の位置は高く、私は少し踵を持ちあげた。

野中の髪が落ちるほど、体は折り曲げられ、体の半分が窓の外へ乗り出していた。


「まるであなたは、命を差し出しているような恍惚の顔をしていた」


はっきりと、その甘い声音は私の体の中に入ってきた。

細い耳の器官を通り、何も傷付けないよう細心の注意を払って、体中を回るように心臓へ。

何か一つ欠けて、伝わる内容が変化してしまわないように、心砕いて。

そしてその行為はたしかに成功した。

私は、彼女が体をゆっくりともとの位置へかえすのを、見開いた目で見ていた。


彼女は笑っていた。

憐れんでいたら、殴りつけたかもしれない。

あの父のように。

しかし彼女はただ笑った。今囁いた彼女の、私見が正しいことであったとしても、それが私のものであることを尊重している。

それが恐ろしいほど、あっけなく私を解き放ってくれた。


「ありがとう」


だから口から言葉は素直に零れ、それに対して彼女は何も言わなかった。


「授業、次は出る?」


「でるよ」


「じゃぁ、いくわ」


「保健室?」


「馬鹿ね、ただ横になってるなんてまっぴらよ」


 全くだった。


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