第27話

「マ……」


 声を出したいのに声にならない。


 それでも透は頑張って声を絞り出した。


「マ、リ、ン。マリンっ!!」


 はっきりと彼の名を呼んだ。


「トール様っ!?」


 突然、マリンの声が響いた。


「ヴァルドっ!!」


 マリンがだれかの名を呼んだ。


 だれの名だったか。


 透の意識が霞む。


「立ち去れ、ヴァルドの影っ!! いくらヴァルドとはいえ、影ごときでぼくをなんとかできると思ってるのっ!?」


 マリンがなにかしているのか、影が苦しみだしたのがわかる。


『邪魔するか、マーリーン。従者ごときがっ!!』


「従者だから主を護る。当然のことでしょっ!? そんなこともわからないのっ!? 正気を取り戻してよ、ヴァルドっ!! あなたがだれを手にかけようとしているか、それを理解してっ!!」


『だれ? わかっているさ。「紅の神子」だ。フィオリナがこの俺を裏切った証っ!!』


「違う、違う!! お願いだから正気を取り戻して、ヴァルド!! これ以上フィオリナ様を悲しませないでっ!!」


『フィオリナが悲しむ? そうだろうな。神子が殺されれば、さすがに感情が動くだろう。俺を裏切っていても』


「そうじゃないっ!! どうしてわからないの、ヴァルド!!」


 このまま言い争っていても埒があかないと思ったのか、マリンが攻撃に出た。


 巨大な炎が影を襲う。


 影はその炎に焼かれながらも、透の首を締める手を緩めない。


 巨大な炎のはずなのに透には無害だった。


 たぶんマリンが影以外には影響が出ないように術を使っているのだろう。


「何事ですかっ!?」


「トールッ!! 無事かっ!?」


 騎士たちを引き連れてランドールが入ってくる。


 その場の状勢を見て目を瞠った。


『ここまでか……』


 忌々しげに呟いて影は消えていった。


 透は起き上がって激しく咳き込んだ。


「トール様っ!!」


「トール!!」


 マリンとランドールが駆けてくる。


 騎士たちは異様な光景に呑まれながらも、侵入者があったことに気付いて慌てて動き出していた。


「惨い。首に手形が」


 ランドールがそっと手を触れようとして躊躇って手を止めた。


 触れたら痛むだろうと思ったのだ。


 そのくらいくっきりとアザになっている。


「じっとしててね。今癒すから」


 マリンがそう言って身長が届かない分、中空に浮かんで透の首筋に手を当てた。


 みるみるうちにアザが消えていく。


 痛みが消えて息ができるようになると、透は何度も深呼吸を繰り返した。


「今のがヴァルドなのか、マリン?」


「正確にはヴァルドの影だよ。さすがにヴァルド本人だったら、ぼくにも太刀打ちできない。あなたが覚醒めてくれないとどうしようもないよ」


「賢者殿っ!! あなたは言っていなかったかっ!? この部屋にはトールを護るために結界を張っているとっ!! これではなんの役にもっ」


 ランドールが感情的に責めると、マリンは困った顔になった。


「ヴァルドには通用しないことは最初からわかってたんだ。でも、ヴァルドが覚醒めるまでの影くらいなら、なんとかなると楽観してた。桁違いだよ、ヴァルドの力。ぼくじゃいつまで対抗できるか」


「マリン」


「賢者殿」


 マリンではヴァルドには太刀打ちできない。


 そう言われてふたりとも言葉が出なかった。


「とにかくすぐに第一王子をはじめとするみんなを王の宮へ集めて。対策を練ったほうがいい」


 ランドールが手配しようとすると透が一言だけ言い添えた。


「暁と隆には言いたくないから、ふたりは呼ばないでほしいんだ」


「トール」


「心配……かけたくないから」


「わかった。そうしよう。もうどこも痛くないんだな?」


 心配そうな問いかけに透は微笑んだ。


「うん。マリンが治してくれたからね」


「そうか」


 それだけを呟いてランドールは行動を起こそうと動き出した。





 透が襲われた。


 その報告を受けて夜中に叩き起こされた面々は、第一王子アスベル、ログレスの王子、エドワードのふたりだった。


 エドワードは本来、省いてもよかったのだが、神子絡みでは当事者ということで呼ばれたのだった。


 その際第二王子ルーイとフィーナには、まだ事態が重すぎるだろうということで外されている。


 ふたりはとるものもとりあえず王の宮へとやってきて王の私室を目指した。


「「トール!!」」


 ふたりが名を呼びながら入ってくる。


 心配したランドールに安静にするよう言われている透は今は彼の寝台に座っている。


 横になれと言われたのだが、もうアザは治っているのだからと言い張って、これで妥協してもらったのだ。


 彼がこんなに心配性だとは思わなかったと透は苦笑している。


「やっほー」


 呑気に手を振る透にふたりは焦って駆け寄る。


「無事かっ!?」


「怪我はっ!?」


「あー。なんかランドールに言わせると酷かったみたいだな。そのせいで心配性のランドールが寝台で寝てろってうるさくて」


「だが、どこにも怪我はないようにみえるが」


 アスベルが首を傾げる。


「ぼくがついていて怪我を負ったままにしておくと思うの?」


 マリンに言われふたりがマリンを振り向いた。


「どういうことだ、マーリーン?」


「あなたは神子を護るための従者なのでしょう? この結果をどう説明するんですか?」


「ぼくの力不足だよ」


 素直に認められてふたりは言葉に詰まる。


 そこへランドールが声を投げた。


「襲ってきたのは邪神と言われているヴァルドの影なのだが、賢者殿の力ではヴァルドには太刀打ちできないらしい」


「「そんなっ」」


「影だけならなんとかなると、そう判断していたようだが、結果はふたりも知っているとおりだ」


「あ。でも、マリンは俺を助けてくれたし、きちんと怪我も治してくれたんだから、もうそれでいいじゃん?」


 呑気に口を挟んでくる透に庇われたマリンは小さく肩を竦め、アスベルとエドは苦い顔を向ける。


「そういうことを言っている場合か?」


「マリンにもどうにもできないのならどうすれば」


「あー。それなんだけどね。イーグルの王子を呼んだのは、その問題を片付けるためなんだよね」


「?」


「どういう意味だ?」


 皆が怪訝そうな顔になるとマリンは意外な説明を始めた。


「簡単に説明するとね、このイーグル城にはトール様の寝室以外にも結界が掛けられた部屋が幾つか存在するんだよね」


「初耳だ……」


「おれもです、父上」


 住人のふたりが驚いた顔を見合わせる。


「ひとつが第二王子の寝室」


「ルーイの?」


「ただこの寝室は候補から外さざるを得ないんだ。第二王子の寝室に張られている結界の強さでは意味がないから」


 なんの意味がないのか、皆はイマイチ理解していない。


 そういえばマリンは肝心な説明を飛ばして話していると皆は気付く。


「次の候補がイーグルの王子の寝室」


「おれの寝室にも結界が?」


「これは第二王子の寝室よりも強固な結界だよ。特別製っていうのかな。とにかく威力は半端じゃない」


「そんなに強い結界が……」


 ふとアスベルは疑問に思った。


 それはだれが張った結界なのだろう? と。


「最後がイーグル王の寝室」


「やはりな。この流れではそれしかないと思っていた」


「これはイーグルの王子と同じくらいの強さの結界だよ。いや。ある意味では1番強い結界と言えるかもしれない」


「そんな強い結界なのか? マリンが俺に対して張っていた結界よりも?」


「うん。第二王子の寝室に張ってある結界くらいなら対抗できるけど、イーグル王や王子の寝室に張られた結界では、ぼくは手出しできない」


 つまりその三種類の結界は、マリンが張ったものではないということだ。


「だれが張ったんだ? その結界?」


 透が首を傾げる。


 マリンはランドールとアスベルを真っ直ぐに見て問いかけた。


「だれが張ったかわからない?」


「「……まさか」」


「わかったみたいだね。そう。フィオリナ様だよ」


「母上が」


「ビクトリアが」


 ふたりは呆然としている。


 エドは叔母がどのくらい家族を大切にしていたか理解して、すこし切ない気分だった。


 そこまで大切なのに一緒に暮らすことは叶わないからだ。


「イーグルの王子の寝室が第二王子の寝室よりも強固な結界に覆われているのは、イーグルの王子が常に暗殺の危険に晒されているから」


「まあ、な」


 認めるアスベルに透の眼が見開かれる。


 それなら母が結界を張るのも理解できる。


「第二王子には直接的な危険が迫る恐れが、ほとんどないからね。だから、そんなに強い結界じゃないんだ。ただ悪意を持った者が近付けないようにしてあるだけで」


「ではわたしは?」


「イーグル王の場合はフィオリナ様の私情入りまくりというか」


「どういう意味だ?」


「つまりイーグル王は確かに王として狙われれこともあるから、ある程度は強固な結界が必要だよ? でも、イーグルの王子ほど常時危険に晒されているわけじゃない。でも、ある意味ではイーグルの王子すら越える結界が張られているのは、フィオリナ様の私情によるもの、ということだよ」


「あ。わかった。つまり母さんがそれだけランドールのことが好きだから、結界を張るときに張り切っちゃったんだ?」


 無邪気な透の指摘にランドールは顔を赤く染める。


 知らない間に護られていたという現実が切なく胸を刺す。


 ビクトリアは何度ランドールの心を奪うのだろう。

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