小さな決意と和解の夜空


 ルイとルイの父親の戦闘から翌々日。ルイの母親は真っ白なベッドの上で意識を取り戻し、静かにと目を開く。


「あれ……ここは……?」


 まだ稼働しきれない頭を働かせながら周囲を見渡す。だが薄いクリーム色のカーテンに仕切られ、上を見上げても白い天井が視界に入る他なかった。


「ようやく起きたか?」


 突然、母親の左側から聞き覚えのある声が聞こえてくる。自身の兄にして、同じように怪我を負った従姉妹の父親だった。

 母親は微睡みに任せていた意識を一気に稼働させ上半身だけを起こす。


「どうしてあなたが……それにここはどこ!」

「落ち着けよ。 ここは滅殺者スレイヤーも使う病院だ。あいつが逃げた以上、襲われる可能性があるからってルイ君が言ってくれたんだ。それで本部に近いここに連れて来てもらったんだよ」

「そう、だったのね……」


 母親は安心したのか、再びベッドに体を任せると、大きくため息を零す。意識が戻ったせいか、僅かに感じる背中の痛みと共に母親は天井を見つめ始めた。


「そういえば起きたら聞こうと思ってたんだが、何であんな事したんだ?」

「あんな事って?」


 質問の意味がわからない母親は片眉を傾げながら視線を左へ向ける。

 するとバサッと言う布が大きく動く音と共に、僅かに息が荒くなった従姉妹の父親の荒い声が病室に響いた。


「 俺を庇った事だ! 傷が臓器を損傷してなかったうえに、二発目が来る前にルイ君が助けてくれたから良かったものの……下手したら死んでたんだぞ!?」


 従姉妹の父親――兄が何を言いたくて何に怒っていたのか理解した母親は、一呼吸置いて答えにならない言葉を返す。


「そうね……」


 お互いにお互いの深いため息が聞こえ、数秒とも数分とも感じられる静寂が二人を包み込む。

 だがその空間を破ったのは、母親からだった。


「あの日、パーティーが始まる前にあの人と会ったのよ」


 未だに怒りが収まらないのか、従姉妹の父親は母親の言葉には一言も返さない。だが母親はそんな事を気にもせず、ぽろぽろと零すように言葉を紡いでいった。


「私を抱きしめてくれた時、今も大切にしてくれていると、愛してくれていると思ってた……でも違ったのよ」


 母親は乾いた微笑みを浮かべながら、自身の左手の薬指にはめていたシンプルなデザインの指輪をゆっくり外す。それはルイの父親から婚約の時に貰った一番最初の心の込められたプレゼントだった。


「あの人は私を利用して、自分を追い込んだ子に復讐がしたかったの。 まだ年端もいかない候補生の子によ? 何より許せなかったのは、その計画の対象にルイも入っていた事」

「何? じゃあアイツは自分の子を……?」


 母親は静かに頷き、微笑んでいた表情から一変、内に秘めていた感情へと変わる。指輪を強く握る手も力が入り過ぎて震え出していた。


「信じられる? 自分を追い込んだ子を犯人に仕立て上げようとして、抵抗するなら我が子でも襲うって……人のする事じゃないでしょ……」


 感情が頂点に達したのか、怒りと悔しい思いが混ざり合い、瞳に溜まっていた物が溢れ出す。指輪を握る右手の付近に雨粒のような透明なシミが出来上がっていく。


「だから私はルイとお友達と、前に来た滅殺者スレイヤーの言葉を信じたの」

滅殺者スレイヤー?」


 思いもよらなかった単語に従姉妹の父親は背中を向けていた母親の方へ視線だけ向ける。


「……あの人が何をしてたのか明るみになった時、 私は冤罪だと思って色んな人に聞いて回ったのよ。 でもお義父様を師事するどの滅殺者スレイヤーに聞いても『わからない』って答えしか来なかった。 そんな時、一人の滅殺者スレイヤーが家に来たのよ」


 母親はゆっくり立ち上がり仕切りカーテンを開けると、横になっている従姉妹の父親のベッドを横切り、開いていた窓際まで歩み寄る。


「その人も滅殺者スレイヤーの傍ら教師をやっていたみたいで、 当時その場に居たからってちゃんと説明してくれたの。 そしたら最後に何て言って来たと思う?」

「あなたの旦那がした事は許されない、 とかか?」


 従姉妹の父親もベッドから起き上がり、母親の声がする方のカーテンを開ける。そこには寂しそうな顔をしながら夜風に当たる母親の姿があった。


「『同じ教師をやってる身として、旦那さんの事止められなくてすみませんでした』だって」

「そんな事を……」


 僅かに口元を緩ませながら従姉妹の父親の方を見る母親。影のある表情は変わらないものの、その目に宿る芯のようなものは消えてはいなかった。


「今までの状況も状態も、仲間や生徒に何をしてきたのかも全部教えてくれた。 自分だって辛い経験をしていたのに……」

「その言葉を信じて、ルイ君達のペンダントをすり替えて撹乱したのか?」


 従姉妹の父親の言葉に、母親は再び首を縦に振る。


滅殺者スレイヤーじゃない私にはそれくらいしか出来ないけど、 あの人を止めるなら私にも責任がある」


 母親は再び夜空へと視線を移す。 その表情にはもう影りはなく、意思の固まった瞳には光が戻っていた。

 その横顔を見ていた従姉妹の父親も思わず口元に小さく笑みが零れる。だが同時にふと一つの疑問が浮かび上がって来た。


「そもそもの話し、どうしてアイツはあんな事になったんだろうな。婚約の挨拶の時とは大違いだったが」

「それなら予想がついてるのよ」


 知ったように話す母親に、眉を傾げる従姉妹の父親。


「ルイが持ってる魔盾アイギスは、お義父様マスターからあの人に渡された物だったの。 でも結果的に呼応したのはルイだった」

「自分が使うはずだった力が息子に取られたってところか?」


 母親は右手で握っていた婚約指輪を眺めながら頷く。


「それからあの人は、ルイに厳しく当たるようになった。稽古の時も普段の生活でも。 多分、候補生の時にもね」

「まるで見栄を張りたいだけの嫉妬の塊だな」


 的を得ていると母親も思ったのか、小さく鼻で笑い優しく触れていた指輪を従姉妹の父親の近くにあるゴミ箱へ投げ捨てる。

 カラカラと軽い音を立てながら、指輪は紙屑を押し退け一番底へと沈んでいった。


「私にはわからない……でもルイを傷付けるのだけはどうしても許せなかった」

「……少しは俺達夫婦の気持ちがわかったか?」


 皮肉交じりに従姉妹の父親が言うと、母親は視線を逸らし斜め下の床を見つめながら呟くように言葉を返す。


「……ごめんなさい」

「お前が謝る事じゃないさ。 それで、これからどうするんだ?」


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