目覚めた現実

 目を開けるとそこは、どこまでも続く草原に立っていた。

 空は雲一つなく青々と広がり、遠方には綺麗な山々がそびえ立ち、澄んだ風が体を抜けていく。自分の記憶や思い出には存在しない、まるで夢の様な場所だった。


「ここは……」


 さっきまで自分がいた場所とは違う事に少年は困惑する。

 突如現れた大人より大きな体躯の怪物。その異型に襲われ、断末魔を上げながら息絶えていく仲間。

 目の前の惨憺たる光景に怒りや殺意を全身に巡らせ、思い任せに握った拳。

 その時、違和感を覚えて手を見ると、いつの間にか剣が握られていた。

 守りたい――。

 憤怒や殺意を超え、勝ったその一つの思いでおざなりに振り上げ、異型に向かって走り出す。そしてそれ以降の記憶が一つも無かった。事態が把握出来ない少年は辺りを見渡す。


「おれ……死んじゃったのかな……?」


 不安混じりに呟くと、不意に後ろから気配を感じる。振り返るとそこには、黒いローブのような布を纏った少女が立っていた。

 だが少年より僅かに背が高く、顔立ちからして歳上なのは伺える。突然現れた少女に、少年は恐る恐る話しかけてみた。


「あの、ここはどこ……?」


 だが少女は答えること無く、口元に笑みを浮かべる。少年がその顔を見上げると突然、視界がぼやけ徐々に白く染まり始めた。

 叫ぼうとするも視界の歪みで上手く声が出ない。やがて体調不良にも似た不快感に陥り、意識が遠のいて行く。

僅かに開けた左目で見た少女は、小さく手を振っていた。


「待って!」


 ようやく出せた声と共に少年は上半身を勢いよく起き上がらせる。しかしそこはさっきまでいた場所とはまた違っていた。

 壁のように仕切られたクリーム色のカーテンに囲まれ、天井には蝋燭の様に淡いライトが灯っている。

 そんな空間で僅かな痛みと違和感を覚えた左腕を見ると、点滴が施されていた。

 何が何なのか理解が追い付かないでいると、突然左側のカーテンが開けられる。驚いた様子の女性が顔を出し、少年と目が合うと少しホッとした表情に変わる。


「急に声が聞こえてびっくりしたよ。でも気が付いたみたいだね」


 赤茶色の髪を後ろで結んでおり、僅かに幼さが残る女性は近くにある椅子に腰掛けながら持っていた何かに書き記していく。


「早速で悪いんだけど、自分の名前はわかるかな?」

「……リュウト」

「リュウトね。歳はわかる?」

「13……」


 女性が淡々と質問を出しては、少年――リュウトがか細い声で答えていく。

 やがて数個の質問を終えると、女性は小さく頷き、書いていた紙をベット脇にある机に置いた。


「ひとまず大きな問題は無さそうだね。自分の事もわかるし大きな怪我も無い。私はリサ。ここは病院……とは違うけど、まぁ似たような所かな」


 リサと名乗った女性は苦笑いを浮かべると、ふぅ……とため息をついてリュウトの顔を真剣に見つめる。幼さがおるものの、その表情は女性特有の優しい凛々しさを持っていた。


「起きてすぐなんだけど出来れば聞かせてほしいんだ。君が居た教会で何があったのか」


 リサの真剣な問いにリュウトは思わず下を向く。

 思い出したくない苦く、激痛にも似た記憶が脳裏を過ぎる。だがリュウトは少しづつ、震えた声で話し始めた。


「あそこに住んでたんだ。神父のおっちゃん達と友達と。でもちょっと前から変な事が起き始めて……誰もいないのに視線を感じたり追いかけられてる様な気分になったり……そしたら ……」


 ゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せていく。

 兄弟同然に育った身寄りのないない子や、親代わりとなってくれた教会の人達。

 だがあの日の夜、それを全て失った。

思い出すだけで、助けてと懇願する悲痛な叫びが洞窟の中で叫んだ様にリュウトの中で響き渡る。


「……ごめんね。もう大丈夫よ」


 居た堪れなくなったのか、リサは僅かに口角を上げながらリュウトの頭を撫でた。その目は僅かに悲しみを浮かべている。

 数秒の沈黙が続く中、それを破ったのはリサの後ろから聞こえる足音だった。


「起きたみたいだな。意識が戻ってくれて良かった」

「ユウキ……うん、身体の状態は大丈夫そう。意識もしっかりしてるし気絶する前の記憶もちゃんとある。……でもそれが今は一番辛いかもしれないけども」

「わかった。看病ありがとな」


 ユウキと呼ばれた黒コートを着た男はリサに微笑むと、そのままリュウトに視線を向ける。やや黒髪に近い焦げ茶色の髪に、踵まで丈のある黒のコートはトレンチコート風になっておりどこか上品さうかがえた。


「歩けるか?ずっと寝っぱなしだったから、少し外でも出てみるか。リサ、大丈夫かな」

「本人が大丈夫なら。とりあえず点滴は抜くね」


 左腕から針が抜かれると、リュウトは体を少し動かしてみる。痛みや異常は特にない。


「行けそうかな。それじゃあちょっと外の空気でも吸いに行こう」


 ユウキは入り口のほうに体を向けると、リュウトが立ち上がる前に歩き出す。

 置いて行かれない様にリュウトは足早に後を追った。

 暗い洞窟のような通路を抜けると、そこは電気も通っていない、建設途中の様な廃墟にも似た建物のとある階に出る。

 ここが改めて自分がいた教会でも、はたまた病院でも無いことをリュウトは確信する。薄暗い階段を数階分登ると、ようやく屋上に到達。建物と同じくらいの高さの森の先にビルや街の明かりが見えた。


「ここはあの街の外れにある廃墟なんだ。まぁ表向きはな」


 ユウキはそう言って落下防止の柵も付いていない屋上の端に座り込む。

 ようやく寒い季節を抜け始めた、少し肌寒い夜風が二人の頬を通り抜けていく。


「名前がまだだったな、おれはユウキ」

「リュウトです……」


 リュウトはよそよそしく会釈すると次にどうしたらいいか分からず下を見る。

 そんな姿を見て、ユウキは思わず微笑を浮かべた。


「そんな固くなくて大丈夫だよ。……いきなりで悪いが教会の事なんだけーー」


 教会の話しを出した瞬間、言葉を遮る勢いで俯いていたリュウトが顔を上げた。その表情は怯えながらも視線は真っ直ぐにユウキを見つめる。

 だがその瞳には濃い恐怖が浮かび上がっていた。


「ねぇ、他の皆はどうなったの!?」


 一番聞きたかった事なのだろう。リュウトは声を荒らげながら問いただすように見つめる。

 だがその勢いとは裏腹に、ユウキは首を横に振るしかない。


「……助けられたのはお前だけだった」


 その言葉を聞いた途端、リュウトは僅かに口を開けるが何も言葉は出て来なかった。自分しかいない時点で何となく察してはいたのだろう、だがユウキの答えが重い烙印を突き付け、死んでも消えない「今」と言う最も熱く痛い現実を味わう事になった。

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