第34話




 秘書官が新しい報告書を持ってきたのは、半日が過ぎ翌日の朝になってからだった。


 北の最果て。リオンクールの情報を集めたと思えば、かなり迅速な行動だと言える。


 それでも待ちわびていたディアスがそれを読んだとき、気丈な彼が顔色を蒼白にし書類を取り落とした。


 長椅子の上で休んでいたリュースが、異常を感じて上半身を起こす。


 それでもディアスは愕然と眼を見開いたまま、しばらく動かなかった。


「ディアス?」


 呼びかける世継ぎの君の声に、ディアスが人形のようなぎこちなさで振り向く。


 だれもが異常を悟り身を強ばらせた。


「なにが書いてあったんだ、ディアス?」


「……事件の張本人、殺してやろうかな」


「はあ?」


 突拍子もない宣言に、さすがにリュースも目を丸くし、疲れた身体を起こした。


 どうやら呑気に寝ていられる状況ではないらしい。


 回復していない身体は、まだ満足に動かないが、ディアスの様子をみれば一目でそうと知れた。


 よほどのことがないかぎり、ディアスはあれほど強い狼狽はみせない。


 立ち上がって歩き出したリュースが、絨毯の上に落ちたままの書類に手を伸ばす。


 一通りざっと目を通して、彼もディアスと同じ反応をみせた。


 硬直して石化したのだ。


 アリステアも侍医も不安に瞳を翳らせる。


 書類を読んでもアリステアにはわからなかったのだ。


 どういうふうに皇族に危険なのかが。


「……なんだよ、これ。輸血、だって……?」


「輸血っ!?」


 絶望的な声をあげる侍医に、アリステアがビクッとして身を震わせた。


「なんだよ、これっ!! 親父殿を殺す気かっ!?」


 手にした書類を握りしめ、リュースの表情が一変する。


 まるでディアスがふたりいるような厳しい表情に、状況が掴めないアリステアは、おろおろとふたりを見比べた。


「おまけに量をみてみろよ、リュース。とんでもないぞ、それ」


 一気に人格が変わったようなドスのきいた声に、リュースが似たような顔で書類に視線を落とす。


 すぐにディアスがなにを言いたいのか、リュースにも理解できた。


「嘘だろう? これだけの量を輸血されて、よくショック症状を起こさなかったな」


「バカ。逆だ」


「え?」


「それだけの量を輸血されたから、リュシオンの意識が1週間も昏睡状態に陥ったんだ。逆に言えば輸血さえなかったら、その日のあいだに目覚めてたんだよ、こいつは」


 そう言われてみればそうだ。


 常識的に判断するなら、この輸血量は致死量に近い。


 これがリュシオンやリュース以外なら、即死している可能性もある。


 人間の血を輸血されたのが、傍流筋の親戚ではなく嫡流筋の皇族なら。


「目が覚めた後によく動けたよな。やっぱり親父殿って普通じゃないよ。心臓にかかる負担だって、想像もできないものだったはずなのに」


 建物全体がいきなり揺れて、全員が犯人のディアスをみる。


 壁に片手を叩きつけたディアスが苛立ったように舌打ちする。


 震源地はディアスの拳だ。


「手加減忘れたな、ディアスの奴。聖宮を破壊する気か?」


 思わずといった風情で呟いたリュースだったが、リュースが五体満足だったら、同じことをやったかもしれない。


 そのくらい我慢できない内容だった。


 皇族に人間の血を輸血するなんて殺人の手段と大差ない。


 混じり合うことを許されない異種の血が、ひとつの身体でせめぎあって、リュシオンはこんな状態なのだ。


 今までに想像もしなかった禁忌の行動であった。


 まさかそんな事態が起こりうるとは……。


「ディアス、なんとかできるか? 今の俺にはできない。できるか?」


 望みはディアスしかなかった。


 皇家の始祖以外に。


「半分できて半分できない」


「嘘……」


 頼みの綱のディアスの一言に、見守っていたサラとリアも一気に血の気が引いた。


 まるで悪夢のようだと思う。


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