第22話

「おまえさあ、いくらあいつがリュシオンでも、いきなり記憶を喪失して、自分がだれかもわからなくなって体調を崩さないと思うか?」


 忘れていたところを突っ込まれて、リュースは言葉を失う。


「精神的なショックが許容量を超えているなら、痩せても変じゃないんだよ。現実に今のあいつは、あまり食欲がないらしくて食事を残してるし」


「あの親父殿が精神的負担なんかで、体調に異常を訴えるかなあ?」


 父親の気性を知り尽くしたリュースは、素朴な疑問に首を傾げた。


 リュシオンはとても意地っ張りで、精神的に疲れていても、なにがなんでも認めない性格をしている。


 時には端からみて明らかなほど、精神的ショックを受けていても、本人が頑として認めないこともあった。


 意地っ張りと強情で性格を形成しているような人物なのである。


 言われてもすぐにはピンとこない。


 柔らかく洗練された外見のわりに、リュシオンは一度いやだと言ったら、この世が終わってもいやだと繰り返す。


 そんな性格の持ち主だった。


「おまえ、曲がりなりにもあいつの息子だろ? 実の父親を鋼の心臓の持ち主みたいに言うんじゃないよ。それじゃあまるでリュシオンが無神経な奴みたいじゃないか」


「いや。別におまえ親父殿が絶対に傷つかない、図太い人だとは言ってないんだよ、俺。単に意地っ張りな人だから、想像がつかないっていうか」


 さすがに言いすぎたと思っているのか、歯切れの悪いリュースに、ディアスがしかたなさそうに笑った。


「たしかにあいつは倒れる寸前でも、意地でも倒れるもんかってしょうもない意地を張るバカだけど」


 ここまで言ってディアスは一度区切った。


「今度ばかりは違うと思うよ。精神的負担になってるとしたら、それは無意識の領域だからさ」


「記憶、か。言い換えたら心の問題だもんな」


「そ。意識的には本人にもどうしようもない次元の話さ」


 ため息が耳許に降る。


 ほんのすこし青ざめたリュシオンの顔を思い出し、リュースも不安そうにため息をもらした。


「ところでさ、俺にも言ってなかったってことは、当然、サラやリアにも言ってないよな?」


「まあね。エディスがいないのに、リュシオンが記憶を喪失しましたなんて、いくら俺でも言えないよ」


 エディスがいたら打ち明けている。


 父親の現状に不安を覚えても、母親を頼ることができたから。


 だが、肝心のエディスがいない。


 それなのにまだ幼いふたりに、これだけ過酷な現状を教える決意は、度胸のあるディアスにもできなかった。


「ディアスが迷う気持ちもわかるけど、俺は打ち明けておくべきだと思うよ」


「セインリュース」


「状況が状況だろ? いつなにが起きてもいいように教えておくべきだと思う。なによりも知る権利があるよ。ふたりにとっても親父殿は、たったひとりの父親なんだから」


「そうだな。折りをみておまえの方から打ち明けてくれないか、リュース?」


「いいけど、どうして?」


「俺はしばらくリュシオンの問題にかかりきりになるから、リュースにふたりの問題を任せたいんだ。それにふたりとも、毎日、おまえのところへやってくるし」


「わかった。引き受けるよ。だから」


 一度区切ってリュースは苦い気分で呟いた。


「親父殿のことを頼むな」


 真摯なその言葉にディアスはしっかりと頷いた。






 リュースの部屋を後にしたディアスは、そのまま執務室に向かった。


 本音としてはリュシオンの元に様子を見に行きたかったのだが、何度となく秘書官に催促されていて、それ以上遅らせることができなかったのだ。


 大幅に遅れて執務室に姿をみせると、文字通り秘書官が泣きついてきた。


「陛下っ」


 まるで半泣き状態で熱烈歓迎されて、さすがのディアスもびっくりしてその場に立ち止まった。


「何度ご連絡してもいらっしゃらない。過去に戻られたのかとひやひやしてしまいましたっ」


「……そんな心配してたんだ?」


 気力の抜けた声で呟いても、そんなことも気づかないのか、アリステアは勢いよく頷いた。


 よほど感激しているらしい。


 アリステアは本気でこんな状態のときに、ディアスが過去に戻ると思ったのだろうか?


 まあ、ふらりと姿を消すのが、ディアス特技だから、秘書官が不安になるのもわからないではないが。


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