第21話
ディアスが記憶喪失になった日には、世界は滅亡してしまう。
想像でしか判断できないし、医学的に得た知識しかなかったから、断言はできなかった。
そもそもリュシオンが記憶喪失になることそのものを、ディアスは未だに納得できない。
彼にとってリュシオンも記憶喪失になど、なるはずのない人材なのだから。
尤も。
その事実はリュースにも教える気はなかったが。
「なにか特別な治療でもして、親父殿を今の状態まで戻したのか?」
「いや。特にはなにもしてないよ。治療と診察はきちんと手配してるし、侍医が責任を持ってくれてるけど、そういう意味ではなにもしてない」
「でも、さっきの親父殿……」
リュースの言いたいことを悟って、ディアスがおかしそうに肩を竦めた。
「あれは俺と会話をしているあいだに戻ったんだよ。反応っていうか、態度がさ」
「詐欺みたいな説明」
さすがに呆れたのか、リュースの口調には刺があった。
「仕方ないだろ。本当なんだから。どういうわけか、接する機会が増える度に、あいつの態度が元に戻ってきたんだよ。再会した直後もかなりらしくなってきてたし」
まるでディアスの存分そのものが、刺激剤になったみたいな説明である。
気味悪そうに見上げられ、ディアスは咳払いでごまかした。
「侍医の推測によると、俺と普段通りの会話を交わすことで、無意識に戻ってるんだろうって」
「習慣ってものかな?」
「記憶がなくても同じ環境に戻れば、人間は慣れた言動を起こすものなんだってさ」
「ふうん」
「記憶を失くしても、思い出を失くしても、身についた習性っていうのは直らないらしいよ」
「なんていうか不毛だな」
ポツリと落ちた呟きに、ディアスがいやそうに顔をしかめた。
「あれだけ毛嫌いしていたディアスの前に出たら、憶えてなくても昔と同じ態度を取るなんてさ。それだけディアスに対して、強い感情を向けてたのかな?」
まるで思い出を忘れても、感情は消えないほど憎まれていたように言われ、さすがのディアスもいやな気分だった。
半分くらい図星だと自分で自覚しているが、なにも面と向かって指摘しなくても……。
どうせディアスはリュシオンの天敵である。
言われなくてもそのくらい知っているのだ。
認めるのはすごく悔しいが。
「どんな感情にしろ、それだけ執着されててよかったじゃないか。執着されてないよりマシだよ」
「おい」
低くもれる恨みの声を無視して、リュースは朗らかに言を継ぐ。
「だってどんな形にしろ、片思いじゃないんだからよかっただろ?」
「どうせ俺はいいだけリュシオンにきらわれてるよっ。完璧な片思いだよっ。悪かったなっ!!」
堂々と言い切るからディアスは怖い。
事情を知らない者が聞いたら、誤解すること間違いなしだ。
「片思いって形容詞はやめた方がいいかな? なんか邪な解釈したくなるよ、これ」
「おまえって奴は……」
呆れ返って物が言えない気分を味わって、ディアスは言い返す気力も失った。
ものすごく天邪鬼だが、リュースなりの慰めなのだ。
どう聞いてもケンカを売られているようにしか思えないのが難点だが。
「でも、そういう経過なら余計な心配はいらないかな?」
「なにが?」
「だから、腫瘍とか脳内出血とか、そういう心配だよ。もし原因がそっちの方にあったら、ディアスと逢っても親父殿は変わらなかったと思うよ」
「まあな。たしかにおまえの言うとおりなんだけど、でも、俺はなんか引っ掛かるな」
「え?」
「あんまりおまえに教えて、いらない心配かけたくないんだけどさ。あいつさ、不定期に原因不明の高熱を出すんだよ」
予想外の科白にリュースは絶句して、そのまま表情をなくした。
強ばって見開かれた蒼い瞳に、ディアスは気まずくなって眼を伏せる。
「あと極端に顔色が悪いことがあるって、侍医から説明を受けてる。容態がすこし変だって侍医も気になってるみたいだよ。環境の激変っていうのもあるだろうけど、ちょっと痩せてきてるし」
「痩せてきてるって……親父殿がっ!?」
いきなり高くなったリュースの声に、ディアスは顔をしかめて頷いた。
不老長寿の皇家では、肉体的にかなり異端の条件をもつ。
特にリュシオンやリュースは完璧な不老不死で、肉体は成長が止まった段階で限界を意味する。
つまりそれ以上痩せることもなければ、太ることもないのだ。
そこが限界なのだから。
身長も体格も。
痩せるはずのないリュシオンが痩せている。
それは異常事態を意味した。
侍医が慌てるのも当然である。
「冗談。それって完璧に肉体的に異常があるんじゃないか。なんで放ってるんだよっ?」
「別に放ってるわけじゃないけど、今の段階では原因を特定できないんだよ」
「なんでっ!?」
心配して詰め寄ってくるリュースに、ディアスは落ち着かせるように肩を叩く。
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