第16話
「問題は全然解決してないんだよなあ。ほんとにどうする? この苦い薬を」
まさか本当に捨てるつもりかとギョッとする。
その瞬間、動揺を見抜いたように鋭い誰何の声が飛んだ。
「だれだっ!?」
突然のことに行動を起こせないでいるあいだに、世継ぎの君からは次々と声が飛ぶ。
「そこに隠れてるのはわかってるんだっ。出てこいよっ。立ち聞きなんて卑怯だろっ!?」
ため息をひとつつき、姿をみせたリュシオンに、リュースが怪訝そうに眉を寄せた。
「皇族というのは全員気配に敏感なんだな。ディアスだけかと思ったら、世継ぎの君も同じだとは驚いた」
「だれだよ、おまえ」
口調ににじむ不審に、リュシオンは困ったように立ち止まる。
首をかしげてリュースを覗き込む視線に既視感を覚え、リュースは息を詰めた。
「一応仮の名はラス」
「仮の名?」
「だれだと言われたら答えられない。自分の素性を知りたいのは俺の方なんだ」
「どういう意味だよ?」
問いかける声にコツンと自分の頭を叩いて、リュシオンが柔らかな笑みをみせた。
はっきり重なる面影にリュースが目を見開く。
(どこかで逢った?)
「真っ白なんだ」
「え?」
「ここが真っ白なんだ」
頭に指を当ててリュシオンがそう言った。
答えられずに目を瞠るリュースに困ったように微笑んで。
「個人的な想い出がない。だから、自分の名前もわからない」
「記憶喪失?」
意外だと目を丸くする世継ぎの君に近づいて、リュシオンが笑いながら首肯する。
「なんで記憶喪失者が聖宮に?」
リュースの疑問も尤もである。
仮死状態から戻ったばかりで、まだ歩くこともできないリュースは、故意に教えられていないのだ。
リュシオンの身に起きたことを。
「元々は違う貴族の元に身を寄せていたんだ。それが世継ぎの君の見舞いで、王宮に同行させてもらったときにディアスと知り合って」
「ディアス?」
頷いてリュシオンも困惑顔になる。
ディアスの真意には彼も悩んでいたのだ。
「なし崩しにこうなってるんだ」
「こうなってるって?」
「知り合った直後に聖宮に連れ込まれて、脅されて診察を受けさせられて、そのまま足止めされてる」
あの英雄王がただの酔狂で、そこまでの道楽を起こすはずがない。
リュースにさえ伏せる理由が、どこかにあるはずだ。
「ライアン医師も過保護で困るよ。聖宮の中でも出歩かせてくれないから」
「ライアン? 侍医? 侍医に診てもらってるのか?」
ギョッとしたように目を剥いたリュースに、リュシオンは困ったように一歩下がる。
「それがなにか?」
「なにかって。侍医は元々は親父殿の専属医で、今では皇族全員の専属をやってる。それものすごい例外だよ。どうなってるんだ?」
「どうして名前で呼ばないで侍医って呼ぶんだ?」
「え?」
思考に沈んでいたのか、突然の問いにびっくりしたようにリュースが振り返った。
「俺たちには乳母や爺やがいるからね。侍医は医師だけど爺やも兼ねてるんだ。それで両方の意味で侍医って呼んでるんだよ。侍医にとって親父殿は、自分の子供みたいなもので、俺はさしずめ孫みたいなものかな?」
些細な疑問なのに噛み砕いて説明してくれる。
世継ぎの君と呼ばれている権力者なのに、ディアスに似て律儀だ。
お人好しも皇家の遺伝だろうか?
「病身と聞いたが、どこが悪いんだ、世継ぎの君?」
「リュースでいいけど」
リュースも身分の上下には拘らない方だが、こいつも拘らない方だ。
世継ぎだとわかっていても、態度が変わらないリュシオンをみて、リュースはそんなことを思う。
正体を知っていれば当然なのだが。
「ものすごく簡単に言うと、ついこのあいだまで、俺、半分死んでたから。そのせいで体調が戻ってないんだよ。それだけ」
「それだけって」
半分死んでたなんて、ずいぶんな言い方を、実にあっさり言ってくれるものだ。
これも皇族と一般の考え方や感覚の違いなのだろうか?
「十分大したことじゃないのか? それだけとは思えないが」
困惑顔のリュシオンの科白に耳を傾けていたリュースは、ふと気づいた事実に眉をしかめた。
(あれ?)
こいつの話し方、親父殿に似てる。
心配そうに覗き込む視線。
だれかに似てると思ってた。
そうだ。
親父殿に似てるんだ。
どういうことだろう、これは?
「記憶喪失になったのはいつなんだ? 原因は?」
「三月ほど前かな。雪山で事故にあった少女を助けようとして、事故に巻き込まれたらしいんだ。そのときに相手を庇って、どうやら一方的にケガをしたらしい。そのショックで記憶を喪失したようだ。といっても後になって医師から受けた説明でわかったんだが」
「つまり事故のことも憶えていない?」
「ああ。かなりひどい事故だったらしくて、俺の意識が戻ったのは、1週間近く経ってからなんだ。あのときは事故のことも憶えていなかったから、かなり驚いたな、俺も」
三月前。
雪山の事故。
リュシオンが失踪した頃だ。
三月前というと真冬だけど、事故が頻発しやすいところなのか?
事故の多発しやすい雪山?
リオンクールの大雪山、か?
リオンクール領内で起きた突発事故なら、連絡が取れなくてもふしぎはない。
真冬は陸の孤島になるんだから。
でも、それじゃあ、まさか、こいつは……。
蒼白になったリュースに気づき、リュシオンが心配そうに覗き込む。
その瞳の優しさと気遣うような眼差しの懐かしさに胸が詰まった。
「顔色が悪い。どんなに不味い薬でも、きちんと飲むべきだと思うぞ、俺は」
苦笑まじりのささやき。
懐かしい叱責の声。
髪を撫でる仕種にも、胸が苦しいほどの懐かしさを覚え、リュースは泣き出しそうに顔を歪める。
「どうした? 具合が悪いのか? 人を呼ぼうか?」
なにもわかっていない声が何度も訊ねる。
肩に手を置いて顔を覗き込むリュシオンに、リュースの潤んだ蒼い瞳がみえて驚いたように息を飲んだ。
「すまない。体調が戻っていないのに疲れさせたか?」
かぶりを振って「違う」と訴えようとして、リュースはハッと息を飲んだ。
上体を傾けたリュシオンの首筋から、忘れられないロケットが覗いていた。
一度しか目にしていないが、忘れることのできないロケットだ。
すべての希望を打ち砕いた曰く付きの。
声にならない声が「親父殿」と名を呼んでも、リュシオンは気づかない。
なにも知らない残酷な優しさで、心配そうにリュースの顔を覗き込むだけで。
とても懐かしいのに、手が届かないほど遠い。
不安そうに覗き込む瞳に、リュースは叫び出したい衝動を必死になって堪えた。
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