第15話
聖宮の広い廊下をアテもなく歩いていると、だんだんどこを歩いているのかわからなくなってきた。
聖宮は広い。
……広すぎる。
どうしてこんなに意味もなく広大なのだろう。
たしかつい最近まで居住権を持っているのは、神帝と世継ぎだけだったらしい。
居住権を持っているのが、代々2名だと思うなら、聖宮の広さは無意味だ。
今ではディアスをはじめ、第二皇子や第一皇女もいるから、まだましだろうが。
しかし5人だと思っても聖宮は無意味に広すぎる。
果たしてこれほど無制限に部屋があって使いきれるものだろうか?
……謎である。
そういえばディアスは半ば強制的に聖宮に滞在させているのに、世継ぎの君や双生児の皇子や皇女と引き合わせようとはしない。
そこにもなにか意図があるのだろうか。
彼は初代神帝として多忙で、また現在では7代神帝の代理もやっている。
その彼が、なんの意味もなく通りすがりの記憶喪失者を、これほどまでに気にかけてくれるものだろうか?
あまりにもよくしてくれるから時々困る。
どんな態度をみせればいいのかわからなくなって。
寝室に戻ろうと背後を振り向いたときには、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。
「どうしよう。全部似たような作りの扉が続いているから、どこが俺の寝室かわからない。大体ここはどこだ?」
非常に不本意な事実だが、これはどう考えても迷子である。
聖宮は廊下の作りや部屋の扉など、似たような間取りが続いている。
覚えれば移動できるのだろうが、出歩いたことのない人間が、ひとりで出歩くには不向きだった。
どこを歩いていても、似たような廊下が続いているから、しまいには自分がどこにいるのかわからなくなる。
気づいたときには迷子の出来上がりだ。
何気なく歩かないで、道順を意識して歩けばよかった。
そんなことを思っても、すでに後の祭なのだが。
帰り道を探して歩いていると、小さく灯りの差している扉をみつけた。
「ディアスの部屋かな?」
首を傾げながら扉に手をかけて、そっと中を覗き込むと、灯りがもれてくるのは、もっと奥の方だと気づいた。
夜でも人の出入りの絶えない部屋なのだろうか。
控え室にも灯りがついていた。
「不味い。ものすごく不味い。これだから親父殿の香草茶がないといやなんだ。なんだよ? この最低の味は?」
ぶつぶつとぼやく声が聞こえてきたが、聞き慣れたディアスの声ではなかった。
よく似ているが、彼の声よりすこし高くて、すこしだけ張りのある声だ。
彼が聞いたら気を悪くするかもしれないが、ディアスよりも若々しい声である。
いや。
ディアス自身も成人とは言いがたい外見だし、声だって青年とは言い切れない。
少年にしてはすこし低く、青年というには高く透明な声質だ。
声を聞いて大人の男だと判断する者はまずいないだろう。
それを考慮するなら、この声は幼いと形容するべきだろうか。
どちらにしても、ディアスより年下の少年らしい。
扉を薄く開いて中を覗き込めば、寝台の上にひとりの少年の姿があった。
手にしたグラスを眺めて、端正なその顔を不機嫌そうに歪めている。
遠目にもわかる黄金色の髪に蒼い瞳。
ディアスによく似た容貌。
どこからみても皇族の少年だ。
ただ7代神帝には思えない。
立ち聞きしてしまった独り言で判断するなら、病身の世継ぎの君だろうか?
つい最近、王宮に帰還したと聞いた。
体調が優れないと知って、確かめたいと思っていたのを不意に思い出す。
そういえば灯りに照らされた顔色はかなり青い。
いったいどこが悪いのだろう?
「捨ててやろうかな、この薬。なんだってこんなに不味い薬を用意するんだよ? 親父殿の香草茶が恋しいなあ」
「そんなことを言ってはダメよ、リュース兄さま」
死角にいたのか不意に声が響いて、ひとりの少女が姿をみせた。
横顔をみせているので瞳の色はわからないが、髪の色は淡い金髪だった。
おそらく第一皇女のリアムローダ姫なのだろう。
それにしても皇族は美形揃いだ。
「リア。俺は平気たからさ。部屋に帰って眠ってくれよ。こう毎日寝ずに看病してもらったら、俺の方が不安になるから」
「だって不安なんだもの」
甘えん坊なのだろうか。
唇を尖らせて拗ねる様子が愛らしい。
「サラ。いるんだろ? リアを連れて戻ってくれよ。これじゃあ安心していられないから」
「よくわかったな、兄上。おれが隠れてるって」
「舐めるなよ」
もうひとり少年が現れた。
彼もリアムローダ皇女と同じ髪の色をしている。
愛称から推察するに、どうやら第二皇子のサラディーンのようだ。
呆れるほどの美形揃い。
「とにかく今日は部屋で眠ってくれ。病人に心配をかけるなんて本末転倒だろ?」
「ほら、リア。兄上もこう言ってるし、今日は部屋に戻ろう。明日だって付き添えるんだし」
「だって昼間は講義があるのに」
「リア」
気遣うようにリュースが名を呼んで、ようやくリアは諦める気になったらしかった。
双生児の兄に手を引かれて、リュシオンが隠れている扉とは、反対側にある扉から出て行った。
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