第13話

「英雄王の威厳という次元の話?」


 ようやく会話がみえてきたのか、ディアスが気力の抜けた顔で訊ね、リュシオンが戸惑いながらも頷いた。


 頷いた瞬間に「なんだ。そんなことか」と吐き捨てられ、ますます驚いた。


 ディアスの思考回路はよくわからない。


 どうしてこんなに淡白なのだろうか。


「そんな肩書にカビが生えたような権威なら、好きな奴にくれてやるよ」


 まっすぐに大した問題じゃないと突きつけてくる蒼い瞳。


 そこに権力に固執する傲慢さはなかった。


「皇族だ、英雄王だっていっても、その辺の奴と変わらないさ。俺だって普通に生きてるんだし。英雄だとか、初代神帝だとか、そういう肩書は付録みたいなものでさ」


(付録?)


 真面目な顔で言われれば言われるほどふしぎだった。


 だれもが憧れる立場をあっさりと捨ててしまえる彼が。


「俺は別に神帝じゃなくて、その辺で普通に生きてる一般人でもよかったんだよ。成り行きで英雄になったけど」


「な、成り行き?」


 呆気に取られるリュシオンに、ディアスは「そう」と笑ってみせた。


 悪びれない笑みにリュシオンは二の句が継げない。


「ちょっとした出来心を起こしたのが、そもそもの間違いなんだな。いくら膠着状態が続いていたからって、俺が行動を起こす必要はなかったのにさ」


 そう言ってディアスは軽く肩を竦める。


「ちょっとした出来心で慈悲を与えたから後に引けなくなったんだ。可哀想だろ?」


 同意を求められても頷けなかった。


 受け取りようによっては、かなり無責任な発言である。


 そんな動機で救済されたなんて、当事者は怒るよりも先に呆れてしまうだろう。


 ディアスにすべての希望をかけた民が聞けば、英雄王に裏切られたと思うのではないだろうか?


「英雄王にすべての希望をかけた民にとって、その発言は裏切りじゃないのか? いくらなんでも無責任だ」


 渋面を浮かべるリュシオンに、ディアスはほんのすこしの胸の痛みを覚えた。


 以前はリュシオンが繰り返した主張なのだ。


 その当人に反対意見を言われるのは悔しかった。


 リュシオンだって同じことを感じていたくせに。


「じゃあ一方的な責任を強いられることが、当人にとって負担じゃないと思うのか?」


 そう言われてしまうと、なにも言えない。


「全世界の責任を自分の肩で背負う。そんな負担を喜ぶ奴がどこにいるんだよ? たしかにあの時代は戦乱の時代で、戦国の覇者になりたがっていた奴なら大勢いたさ。だれもが頂点を目指してた。統治した後の苦労なんて目に入れずにね」


 にわかに変わったディアスの口調。


 戦乱の時代を勝ち抜いた英雄がそこにいる。


 甘さを捨てた蒼い瞳が何故か胸に痛い。


「血で血を洗う戦ばかり繰り返して、民の嘆きが武将たちに届かない。荒廃した世界は、だれかが統治しなくては救えないんだ。それも人々が望む平安を与えなければ意味がない」


 そうして人々に平安を与え、生きる希望となったのがディアスである。


「人間の願いは一度叶えればキリがない。際限なく奇跡を求めてくる。こちらの気持ちなんて無視して、自分たちの都合を押し付けてくるんだ」


 裏切られたような悲痛な声だった。


 瞳に浮かぶ傷ついた光が、ポーズではないとわかるから、言葉が出なかった。


「たしかに俺は神話の時代に、神がかり的な奇跡を起こしたよ。だれもが奇跡だと思う方法で世界を統治したよっ。だからって俺にも心はあるんだ」


「なんのことだ?」


 ディアスがなにを言いたいのか、本当にわからなかった。


 問いかけにディアスが皮肉な笑みを口許に浮かべる。


(ディアスのこんな顔はみたくない)


 ほとんど衝動的にそう思った。


 こんな顔はディアスには似合わないから。


「目の前で奇跡を演出した英雄を、おまえなら同じ人間だって思えるか?」


 祖王の英雄譚が思い出された。


 問いかけに答えは期待していなかったのか。


 ディアスは答えを待たずに言を継いだ。


「だれも俺を同じ人間だとは思わなかったよ。そこにいる生きた心を持った人間だって、だれも思ってくれなかった」


 ディアスの握りしめた拳が震えている。


 リュシオンはそれをただ黙って見守ることしかできなかった。


「奇跡を起こせる英雄だからこそ、一方的に願えるんだ。自分たちが幸せになるためにね。人間の欲の醜さに俺がなにも感じなかったなんて思うなよっ」


 孤独だったのだと、傷ついた蒼い瞳が訴える。


 英雄として生きることを強いられたディアスが味わった孤独。


 何故だろう?


 他人事のように思えない。


 どんなに辛かったのか。


 言葉にならないディアスの胸の痛みが、肌で伝わってくる。


 絶望の色に染められたディアスの孤独、悲哀。


 英雄と褒め称えられていても、彼は幸福ではなかったのかもしれない。


「人々の嘆きがどんなに強く俺の心を打っても、救いの手を差し出さなければよかった。何度もそう思ったよ」


 それだけディアスにとって、現実が辛かったということだ。


「俺は神帝になんてなる気はなかった。ただ戦乱を治めて世界の行く末を定め、人々の嘆きが静まれば、それだけでよかったんだ」


 うつむいたディアスの静かな独白に、答えるべき言葉がない。


「人間たちと触れ合わなければ、その営みを知らなければ、俺が自分の孤独を理解することもなかったのに」


「まるで自分は人間じゃないみたいな口振りだな。人の営みを知らないなんて」


 皮肉の欠片もないさりげない指摘に、ディアスがちょっとだけ「しまった」という顔で唇を噛んだ。

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