第12話

「そうしてみるとおまえって感心するほど腰が細いな」


 ジロジロと眺めるディアスに居心地の悪さを感じ、リュシオンが顔を背ける。


 元々リュシオンは着飾らないタチだったから、スタイルが良いことは知っていても、あまり意識したことがなかった。


 まさかこれほど腰が細いとは。


「男のくせにコルセットもなしでそれだけ細いと、令嬢たちは腹が立つだろうな」


「なんだ、それは」


 コルセットの一言にリュシオンの顔色が一瞬で青ざめた。


 なにが悲しくて男がコルセットなんてしなくてはいけないのか?


 問いかけたくても声にならない。


「令嬢たちは日夜美しくなろうと、涙ぐましい努力をしてるんだよ。肌の手入れもそうだけど、すこしでも自分を美しくみせたいと、腰は思い切り締めてるんだ。あのコルセットで締め付けられてみろ。普通は苦しくて我慢できないはずだよ」


「そんなことをどうして祖王が知ってるんだ?」


「バカ。俺が身に付けたわけじゃないよ。妃から聞いて知ってたんだ。なにが悲しくて、俺がコルセットのお世話にならないといけないんだ? 失礼な想像はやめてくれ」


 ゲンナリとディアスは顔を背ける。


 あまりといえばあまりな反応である。


 思わずリュシオンは言葉にならない理不尽な怒りに、握りしめた拳を震わせた。


 もとはと言えば失礼な科白を最初に投げたのはディアスではなかったか?


「女の子たちはそんな苦しい思いをして、腰を細くしようと努力してるわけ。おまえみたいに自然な装いで、それだけ細かったら、絶対に腹が立つと思うよ」


「俺のせいじゃない」


「まあね。実際にはそんな努力のいらない娘もいるから、一概には言えないよな」


 言いながらリュシオンの反応を確かめるように緑の瞳を覗き込む。


「努力のいらない娘?」


「そう。俺の妃やリュシオンの妃は、そういった努力のいらないタイプだよ」


 名前は出さずに口に出したが、リュシオンが返した反応は、戸惑うように揺れる瞳。


 それだけだった。


 動揺なのか違うのか。その判断ができない。


 前々からリュシオンは、感情を表現することを不得手としていたが、記憶を喪失してからさらに拍車がかかったようだ。


 以前にもまして反応の意味が読みにくい。


「片腕で掴めるほど細い腰をしてるし、腕や脚だって折ってしまいそうなほど細いんだ。彼女たちにはコルセットなんて必要ない。素のままですごくきれいだからさ」


「初代神帝の神妃はよく知られていないが、7代神妃の神妃は絶世の美姫で名を知られていたな」


 なにかを思い出すように、半ば瞳を伏せて口にされた科白に、ディアスが小さな声で笑った。


「当たり前だろ? 俺の妃が知られていたら変じゃないか」


「変だと言うが容姿なんて知られるはずのない祖王が、現実にそこにいるだろうに」


 当てこすりの科白に、ディアスはおかしそうに肩を竦める。


 ディアスの容姿は謎に包まれていた。


 髪や瞳の色だけが有名で、顔立ちなどは後世に伝わらなかったのだ。


 ディアスの容貌がはっきりしたのは、張本人が時代をこえて姿をみせたからだった。


 それがなければ未だに祖王は神秘の英雄扱いだったに違いない。


「7代神帝は祖王に瓜二つだと聞いたが本当か?」


 本人に訊かれると、さすがに変な感じがした。


 そっくりかなんて本人に訊ねられたら、いったいどう答えればいい?


 似ていなければ変装もなしで、身代わりなんてできるはずもないだろうに。


「双生児だと勘違いされるくらいはそっくりだけど。それがどうかしたか?」


「別にどうもしないが、祖王の姿をみても、当代の神帝の姿を見かけないなと思って」


 またまた変な科白である。


 本人には自覚がないのだから、しかたがないのだとわかっていても妙な気分だ。


 見かけないなもなにも、本人がここにいて、別人として見かけることなど不可能だ。


 分身でも造り出せば別だが。


 変なものでも食べたような顔をされ、リュシオンがきょとんと首を傾げる。


「リュシオンをみない、ね。逢いたいのか?」


「いや。別に」


 素っ気ない返答だった。


 肩透かしを感じるほどあっさりとした。


 何気ない素振りの中に、かたくなな反発をみて、ディアスは細い息を吐く。


 元々リュシオンは自己否定の傾向が強かった。


 記憶をすべて失って意識的にわかっていなくても、本能の部分ではきっと自分のことだとわかっているのだ。


 無意識にわかっているからこそ、逢いたくないのかもしれない。


 この場合の「逢いたくない」は、思い出したくないと同意語だ。


 そうだとすれば厄介だ。


 無意識にしろ、思い出したくないと思っていれば、記憶は簡単には戻らないだろう。


 自覚がないのが1番の問題か。


「リュシオンは今ちょっと席を外していて王宮にはいないんだ」


「え?」


 複雑な気分を隠してそう言えば、当事者が他人事の顔をして振り向いた。


 浮かんだ純粋な驚愕に、ディアスは複雑な気分になる。


『そんなに重要な内容を、どこのだれとも知らない者に明かしてもいいのだろうか?』


 リュシオンの顔には、はっきりそう書いていた。


「秘密なんだけどね。神帝陛下は不在なんだ。で、俺はその代行をやってる。だから、リュシオンに逢おうとしても無駄だよ。一部の者を除いて、みんな俺がリュシオンだと思ってるし」


「それ、代行じゃなく身代わりって言わないか?」


 ディアスがあまりにケロリとしているから、リュシオンの方が理解に苦しんだ。


 普通、皇家の始祖として世界を統括した覇王なら、自尊心というものは天井知らずに高いものではないのだろうか?


 子孫の代理をしていると、平気な顔で言えるなんて、理解の範疇外にある。


 顔をみただけでなにを言いたいか悟って、ディアスは心外だという顔をしてみせた。


 怒ったように片眉をあげて。


「身代わりだからなんだっていうんだ。そのくらいで俺が変わるわけないだろう」


 自信家なのか、それとも単に鈍いのか判断しかねて、リュシオンは無言の反応を返した。


 あけっぴろげな楽天家か。


 度胸のある豪胆な人物なのか。


 ディアスは判断に悩む人柄らしい。


「必要だっていうなら、身代わりでもなんでもするよ。それが世界を治める者の義務だからな。大体リュシオンの身代わりなんて、俺以外にできるわけないし」


「祖王の方が立場が上なんだろう? そんなに簡単に割り切れることなのか?」


 祖王の権威というものを、どこに捨ててきたのだろう。


 内心の疑問を口に出すと、ディアスはさも驚いた顔でびっくりしていた。


 予想外のことだと態度で訴えられ、リュシオンの方が戸惑った。


 どうしてこんな顔をするのだろう?


 そんなに奇妙なことを訊ねたのだろうか?


 当たり前の疑問だと思うのだが。


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