第11話
「そのようなお話をお認めになったのですか、お父さま?」
傷ついた声をあげる愛娘を見つめ、リオンクール公は重々しく頷いた。
続いて抗議をあげる気配をみせたエルシードを目線で牽制して言を継ぐ。
「きみたちがなにをやったか。それを考えれば寛大なご処置に感謝するべきではないか?」
「父上」
「しかたがなかったのかもしれない。たしかにきみたちには責任があった。彼に対して。しかしエルシード。きみたちの動機が疚しいものではなかったなら、どうして正直に事情を説明して、陛下にご許可を求めなかった?」
穏やかな問いかけに、エルシードは答える言葉を見つけられなかった。
すこしだけ悔しそうに唇を噛む。
「公爵家を継ぐ者として、そのていどの判断を誤るようでは困る。これが陛下からのお言葉だよ」
「陛下がそのようなことをおっしゃったのですか」
驚いて目を丸くする息子に、公爵は失笑を浮かべ首肯する。
「皇族の方々は代々その慈悲深い気質で知られている。偶然に彼と出逢った陛下が、きちんと治療の手配を整えてくださったようにね」
実際に手配したのが、祖王であることは言えないけれど。
7代神帝陛下のご不在はたとえ家族でも明かせない。
最重要機密なのだから。
「我々は貴族の代表だ。特に公爵家は長老と呼ばれる家柄。このようにささいな不手際が許される立場ではないのだ」
だからこそ、あのとき祖王の蒼い瞳を見られなかった。
許される立場ではないことを知っていたから。
「ささいな判断を誤るようでは、大事な場面で大きな過ちを引き起こす。エルシード。きみはそのことを胆に銘じておきなさい。それが陛下からのお言葉なのだから」
穏やかに締めくくり、公爵は最後にふたりの子供たちにこう言った。
「エルシードには1週間の謹慎を。ラスティアは1週間のあいだに、皇子にお渡しするお見舞いの品を仕上げなさい。それが済むまでは部屋から出ることは禁じる。よいね?」
反論を許さない家長としての命令に、ふたりの子供たちは無言で頷いた。
「ラスはどうしているのですか、お父さま?」
部屋を後にしようとした公爵は、思い詰めたような娘の声に驚いて、ゆっくり振り返った。
瞳に奇妙な輝きを浮かべて、ラスティア嬢は食い入るように父親をみている。
その瞳にひとつの危惧を感じ、公爵が顔をしかめた。
「彼は現在、陛下の庇護の元でライアン殿の治療を受けている」
「ライアン殿? 陛下の主治医の?」
意外な発言にエルシードも目を丸くする。
幼少時リュシオンの養育係も兼ねたライアンは、現在では皇族の専属医となっている。
基本的にリュシオンの主治医であるが、皇族が病知らずなため、必然的に皇族全員の主治医という肩書きも持つ。
医師としては頂点に立っている人物なのだ。
それだけに彼の診察を受けることは、一種の特権を意味する。
「陛下はお心の優しい方だ。彼のことではかなりお心を砕かれている。ふたりが心配することはない。陛下が最善の方法を尽くしておいでだ。安心していなさい」
「ですが」
「ラスティア」
たしなめるような父親の声に、ラスティア嬢が身を硬くする。
「きみは婚約も済ませていないのだから、必要以上に異性に近づくことはやめなさい」
公爵家の令嬢であるなら言われて当然のこと。
「いくらきみの生命の恩人だとはいえ、彼もひとりの異性なのだから」
異性だから惹かれるのだ。
あんなに素敵な人は初めてで。
「過ぎた関心は持たないようにしなさい。公爵家の令嬢としての自覚を忘れないように」
瞳を見据え突きつけられた忠告に、ラスティア嬢は手を握りしめ、震えたまま答えられなかった。
父親にラスへの特別な関心を見破られたことに気づいて。
薄々妹がラスに惹かれていることを知っていたエルシードは、複雑な顔で立ち尽くす妹を見守った。
どんな助言もやれずに。
どうも皇族というのは、気まぐれな種族らしい。
現在ラス=リュシオンは仏頂面で鏡の前に立っていた。
着せ替え人形よろしく、中立地帯のシルフ領の民族衣装だという、派手な衣服を身に付けさせられて。
シルフ領は南国に位置する。
そのせいか衣装もずいぶん王都の周辺とは異なる。
幅の広い白いシャツに、赤い飾り紐のついた黒のボレロ。
光沢のある黒いズボンに、ボレロと同じデザインの、太い帯を腰に巻き付ける。
この帯が膝丈まである長いもので、右側に垂らすのが基本だという。
腰の細さがやたらと強調される衣装なのだが、スタイルの良いリュシオンにはよく映えた。
はっきり言って本人が現実逃避を考えるほどには似合っている。
現在のリュシオンは自慢の(といっても本人が自慢しているわけではないが)象牙の肌を褐色に変えているため、こちらの方が似合うだろうと、強引にディアスが着せたのだ。
記憶がないのを幸いに思い切りリュシオンで遊んでいる。
またこれが彼の思惑通りに似合っているから、リュシオンも現実逃避したくなるのだ。
これほど似合わなくてもいいだろうに。
「へえ。よく似合うじゃないか」
面白半分の声を投げたのは、言わずと知れた祖王、ディーン・ディアスだ。
人の悪いディアスを振り向いて、リュシオンが上目遣いに睨んだ。
「どうでもいいが俺はいやだ。こんなに派手な服は好きじゃない。早く着替えたいぞ」
「似合ってるんだからいいじゃないか。わざわざシルフの親戚に頼んで取り寄せた特注品なのに」
「そんなことで皇族の権力を使うなっ。なにを考えてるんだ?」
「別に使ってないよ。親戚だって言っただろ? シルフ領を統治してるのは、分家筋から枝分かれした家系で、遠くても皇家の縁戚に当たるんだ」
それは知っている。
記憶を失ってから調べたから。
「手紙のやり取りなんかは定期的にしてるから、このくらいは常識だよ。公私混同じゃなくて、完璧に私的なことなんだから」
「屁理屈に聞こえるのは、俺の気のせいか?」
複雑なリュシオンの問いかけに、人を食ったような笑顔を浮かべ、ディアスは「気のせいだよ」とうそぶく。
実際にこんな理屈を使った日には、神帝には公私混同を分けるのが、とても難しくなる。
なにしろリーン王国を除くと、すべての地域や国に、神帝の息がかかっているのだ。
シルフ領のように遠い親戚に代行させている土地もあれば。
ウィンドミル公国のように、過去に神帝から代行を託された大公もいる。
正式な独立国家といえるのは、初代神帝、つまりディアスが独立を許可したリーン王国に限られた。
すべてになんらかの形で、皇家が関わっているのだ。
私的な繋がりだと言い切ってしまえば。
どこまでが公務で、どこからが私的なことか。
判断はとても曖昧になる。
ディアスの言い分は屁理屈以外のなにものでもなかった。
尤も。
現実問題として、シルフ領は縁戚の者が治めているため、彼の言い分も正当なものなのだが。
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