第10話




「あなたがわたしをお呼びになるとは珍しいことですな、陛下。いえ。ディアス陛下」


 柔らかな笑みを口許に浮かべ、人の良さそうな公爵は、顔に似合わない皮肉な挨拶を投げた。


 軽く肩を竦めて出迎えるディアスに。


 長老と呼ばれる立場にあって、最年長者には違いないが、リオンクール公は中高年と呼ばれる年代だ。


 若い頃はさぞ美形だったと思わせる容貌をしていて、洗練された上品さが魅力だった。


 そのせいか年に似合わず異性にも人気がある。


「なにかご用でしょうか? もしや陛下のお行方が?」


 急に真顔になる公爵に真摯な気遣いが覗く。


 リュシオンは皇子の頃から、周囲に溺愛された少年だった。


 それは帝位を継いだ今も変わらない。


 むしろ過保護な境遇には拍車がかかっていたかもしれない。


「いや。今回は公爵の子供たちについて話があってね」


「わたしの子供たちのことですか」


 杞憂は外れたらしいが、祖王が切り出した内容が、あまりに意外で公爵はますます首を傾げる。


 どこをどうすれば祖王に呼び出されるような事態になるのだろう?


 面識そのものがないはずなのに。


「公爵は今回彼らが同行させた者について、なにか知っていたか?」


「だれかを同行させていたと申されますか」


 まるっきり知らなかったのか、問われた瞬間に公爵の顔色が変わった。


 小さく頷いてディアスは椅子に座りなおす。


 斜め下から強ばった公爵を見上げて、祖王として言を継いだ。


「ラスという名の従兄弟だと報告されているが、公爵、単刀直入に言う。そんな名の身内はいないはずだ」


 ディアスの指摘に公爵はなにも言い返せない。


「黒髪、緑の瞳、褐色の肌。そのラスという少年の外見だよ。どう考えても公爵の身内にはなれない。彼らの従兄弟として同行してきた、その意図を説明できるか?」


「本気に我が息子が同行してきたのですか? その外見の少年を」


 にわかには信じられない事実なのだろう。


 なのに公爵は蒼白な顔色こそ、動揺を感じさせるが、後は動揺らしい動揺も感じさせず、平静を保っていた。


 その自制心の強さには、頭が下がる思いがする。


 ふたりのやり取りを見守っていた秘書官は、そんなことを思い、こっそりため息をもらす。


「俺は別に責めてるんじゃない。それだけは勘違いしないでくれ」


「しかし」


「公爵。俺は彼らが何故そんな手を使ったか、理由を知ってるんだ」


 意外な祖王の切り返しに公爵が絶句する。


 二の句が継げずに見返す瞳に、ディアスはやりきれない笑みを投げた。


「どうやら公爵家の子供たちのどちらか、あるいは両方か。彼らを助けるために、そいつは事故に巻き込まれたらしい」


 今はまだディアスの推測に過ぎないが、おそらく当たっているはずだ。


「とっさに助けたのはいいが、事故のショックで、そいつは記憶を失ったんだ」


 それがディアスが過去にいたときか。


 未来にきてからかはわからないが。


「だから、ラスという名を名付けて面倒をみてきた。そのこと自体は褒めるに値することだ。公爵家なら違う手を打つことも可能だからな」


 わざわざ公爵家がすべての責を背負わなくても、記憶喪失者をどこかに預けて捜索させればいい。


 やろうと思えば公爵家は、使用人や関係者にすべて任せて、厄介事に直接関わらずに済ませることもできる。


 だが、彼らは逃げなかった。


 責任から逃げなかったことだけは評価できる。


 それは話を悟ったときからの、ディアスの感想だった。


「起こした事態の責任をとったことは潔い。そのことは褒めてやってもいいと思ってる。だけど、公爵。それならそれで何故、同行した際に嘘をつく? 俺たちをたばかる?」


 リュシオンの問題とは別に、それだけは言っておかないといけないと思った。


 次第に低くなるディアスの声に、公爵は顔をあげていることもできない。


 深くうつむくだけで。


 もう祖王と目を合わせることもできない。


 そこまで恥知らずにはなれないから。


「俺がリュシオンだったなら、事情を話せば絶対に悪いようにはしない。心優しいあいつなら。それに俺だってしかたのない事情なら、冷たく突き放したりしないさ」


 ディアスはたしかに戦乱の世を勝ち抜いてきた英雄だ。


 そのため情け知らずと思われがちだが、実際にはリュシオンと同じくらいはお人好しだった。


 でなければ皇家の者は慈悲深いとは言われなかっただろう。


 リュシオンは極端にお人好しの傾向があるが、ディアスの場合は相手が限定される。


 そういうことである。


「おまえたち四大貴族は、それを知っていなければならない。俺やリュシオンの気性を熟知していなくて、どうやって貴族たちを纏めていけるんだ? 公爵の跡継ぎが、このていどの判断を誤るようでは困るんだ」


 それを告げるために、ディアスは公爵を呼んだのだ。


 まだ時期じゃないと知りながら。


「このていどの判断を間違うようでは、大事な場面で役に立たない。ひとり先走った決断を下す愚かな臣下になるだろう。公爵の跡継ぎなら、こんなときリュシオンがどうするか。その判断だけは誤ってもらっては困る。そうじゃないか、リオンクール公?」


 一息に叱責されて公爵は深々と頭を下げた。


 全身で非を認める公爵に、ディアスは小さく息をつく。


「ここからは公の仕事だ。息子の判断が間違っていたなら、親として導いてやってくれ。過ちは未熟な若者の特権だからな」


「はい。寛大なご処置をありがとうございます。処罰を受けても当然と覚悟致しておりました。よりによって我が息子が神帝陛下を欺いたのでございますから。本当に申し訳ございません。ディーン・ディアス陛下」


 蒼白な顔色で何度も頭を下げられて、ディアスは却って対処に困った。





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