第9話

「本当にふしぎなことじゃないんだよ。何故なら俺はあくまでもディアスであって、別人にはなれないからな」


「別人にはなれない?」


 ごく当たり前の事実だと思えた。


 だれだって自分以外の者にはなれない。


 むしろ当然ではないだろうか?


 侍医の疑問を読んで、ディアスはもう一度肩を竦めた。


「俺が言いたいのは、いくら俺でもリュシオンにはなれないってことだよ」


 侍医には当たり前に聞こえるかもしれない。


 だが、ディアスには譲れない大事なことだった。


「この時代で権利を持っているのは俺ではなく、リュシオンだってことだよ」


「たしかに陛下は祖王陛下の再来とまで言われた方ですが」


 覇王の存在する意味なんて、おそらく侍医は考えたこともないのだろう。


「俺が権利を持ち守護する義務の生じているのは過去の世界」


 みんな忘れがちだが、ディアスはこの時代に生きているわけではない。


 ディアスが本来生きるべき時代は創世記と言われた時代だ。


「つまり俺が本来生きるべき時代なんだ。だけど未来には別人の覇王がいる。それがリュシオンだ」


 ディアスはとても大事な説明をしている。


 相手がリュシオンたちなら、絶対にできない説明を。


 見据える瞳から侍医は視線を逸らせない。


 眼差しの真摯さにおされ。


「たしかに俺は創世記の覇王で、世界を守護する力をもつ。世界を維持させる力も。だけど、その力で補うにしても限界はあるんだ」


「限界?」


「どんなに俺がリュシオンに似ていても、俺はリュシオンじゃない。代わりがきかなくなれば、俺にも天変地異を防げなくなる。そういう意味だよ」


 リュシオンとディアスはたしかに酷似した気配を持っている。


 現実にディアスはリュシオン以上の力の所持者だ。


 だが、この時代が必要としているのは、ディアスではなくリュシオンである。


 代理をして世界を抑え込んでいられる時間には限りがある。


 根本的に別人である以上、いつか破綻をきたすだろう。


 譲れない世界の真理。


 それこそがリュシオンが、この時代の精霊に愛される意味。


「俺の時代で代理が成立しないように、リュシオンにも代理は成立しない。俺にもリュシオンの代わりはできない」


 少々の不在が世界に影響しなければ、ここまで焦っていないのだ。


 ディアスにリュシオンの代理ができるなら。


「リュシオンでなければ意味がないんだ。世界が平安と繁栄を保つためには」


 そのときそのときの時代に、覇王が存在する意味とは、そういったものである。


 安全だと偽ることはできない。


 このままではいずれ世界は最悪の事態になる。


 リュシオンの不在という埋められない亀裂から。


「一言で説明するなら、それが世界の理さ。この状態が長引けば、間違いなく最悪の未来を招く。防ぐためにはリュシオンに思い出してもらうしかないんだ」


 難しい顔で説明を締めくくり、ディアスは深いため息をつく。


 口で言うのは簡単だが、実行するのは至難の技。


 わかっているから気が重い。


「どちらにせよ、侍医の協力は欠かせない。リュシオンの記憶を取り戻す手助けをしてやってくれ。頼むよ」


「この生命に換えましても必ずや」


 片足を引き軽くお辞儀する侍医に、ディアスは微苦笑を浮かべ頷いた。





 侍医との詳しい打ち合わせの後で、ディアスが執務に戻ったのは、休憩から一刻ほど後のことだった。


 臣下との衝突の後で、いきなり休憩に入ったディアスが、待っても待っても戻ってこないため、秘書官はヤキモキしていた。


 あれだけ派手にぶつかって、不機嫌そうに姿を消したのだ。


 ずっと不安だったのだが、意外にも戻ってきたディアスは平静だった。


 先ほどの衝突など忘れたようなディアスの態度に、密かに秘書官は安堵する。


 そのディアスから秘書官は奇妙な命を受けた。


 本日付で王宮にあがった貴族の名簿を、その同行者も含めて調べろと。


 そこにどんな意味が込められているにせよ、秘書官は神帝の命令に従うだけ。


 命令の意味するところは理解できなかったが、アリステアはディアスの命令を忠実に実行した。


 物思いに沈むディアスが、その命令になにを秘めたか知らぬままに。




「これが今日、王宮にあがった貴族の名簿か?」


 受け取った書類に目を通し、ディアスはうつむいたまま訊ねる。


 その正面に立ったアリステアは小さく首肯した。


「どの方々も皇子のご帰還を祝い、その回復をお祈りするためにいらしたのです。毎日続々と詰めかけていますから、今日は少ない方でした」


「そうか」


 頬杖をついて書類をめくり、ディアスは上の空といった感じで相槌を打つ。


 細かい情報まで網羅されたそれを、ディアスは無言で読み進めていく。


 その様子は真剣そのもので、遅ればせながらアリステアは気づく。


 思いの外この命令にディアスが深い意味を込めていたことを。


 態度からからかうような余裕が消えている。


 どんなときでも普段なら、遊び半分のような人の悪い態度をとる人だ。


 ディアスが真面目な顔をする場面など、身近にいる者でも、めったに拝めない。


 それはディアスが本気になった証拠だから。


「リオンクール公の?」


 ぼんやりと落ちた呟きに、アリステアは軽く首を捻る。


 疑問はもったが問いかけることはしなかった。


(リオンクール公の子息エルシードと令嬢のラスティア。このふたりの同行者がラス、か。しかも身内扱いになってるな)


 形式上は従兄弟。


 辻褄合わせだ。


 たしかに素性が不明では疑われる元になる。


 だが、これは逆から言えば彼らがこちらを欺いたも同じ。


 正直に事情を話せば、リュシオンなら絶対に無下にしない。


 そのくらいのことは四大貴族ならわかっていなければならない。


 特に公爵家は長老と呼ばれる家柄。


 その公爵家の者が、こんな判断を下すようではダメだ。


 その辺りのことをわかっているんだろうか?


 内心の疑問を押し隠し、ディアスは小さくため息。


 元々、候補が限られていたところへ、限定する材料を合わせれば、呆気なく見つかった。


 ただそれをどう料理するかで、頭を悩ませるところだが。


 胸の内で対策を決めると、おもむろにディアスが顔をあげた。


「リオンクール公を呼んでくれ。今すぐに」


「公爵を?」


 秘書官が顔に浮かべた疑問に気づいたが、ディアスは悪びれない笑顔をみせた。


「そうだよ。早くしてくれ。急いでるんだよ、俺は」


 どうして公爵を呼ぶのか問いかけたい。


 しかし喉まで出かかった言葉を、秘書官は無理に飲み下した。


「かしこまりました。少々お待ちください」


 一礼して踵を返す背中に、心で手を合わせて、ディアスは微苦笑を浮かべた。


 秘書官が苦労知らずになる。


 そんな日は訪れないらしい。


(好きでやってるんだからしかたがないか)


 薄情なことを思って、ディアスは声を殺して笑った。


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