第7話




 カシャン。




 小さくそんな音が響き、ディアスがハッとして振り返った。


 音が響くのとラスに腕を振り切られるのとは、ほぼ同時だった。


 信じられない事態に(皇族が力を入れて掴んでいるときに、同じ皇族以外が振り切ることはできない)ディアスは呆然と立ち尽くす。


 初めて感情らしいものを覗かせたラスが、慌てたようになにかを拾うのがみえた。


「なにか落としたのか?」


 ラスは強く首を振り、立ち上がるときに弾みで落ちたロケットを、もう一度首にかけ服の下に落とした。


(今のロケット……)


 一瞬だけ眼にしたロケットに、たしかに見覚えがあった。


 数回しか眼にしていないが、見慣れたロケットにみえた。


 超常的な視覚をもつディアスが見間違えるはずもない。


「ちょっとそれみせてくれっ」


「え……」


 突然腕を伸ばしてきたディアスに、条件反射的に拒もうとして、ラスが大きく後ろに下がる。


「痛っ……」


 手首を掴まれて知らずうめく。


 信じられない力だった。


 痛みで目の奥に火花が散った。


 この細腕のどこに、これほどの力があるのか。


 あまりの痛みに閉じた瞼も開けられない。




 服の下からディアスが強引に取り出したロケットは、間違いなく見慣れた物だった。


 リュシオンが肌身離さず身に付けていた、曰く付きの。


 この中にはエディスターシャの肖像がある。


 それも幼い頃の。


 裏に彫られた文字も憶えている。


 蓋の裏にはエディスの誕生日と産まれた時刻までが彫られているのだ。


 リュシオンの手作りのロケットだ。


 これが似ているだけの別物のわけがない。


 この世にふたつと同じ物は存在しないのだから。


 そう思って頭からじっくりみてみれば、外見は全く違うが身体付きはすこしも手を加えていなかった。


(何故、俺が気づかなかったんだ?)


「離してくれ。痛い」


 顔をしかめたラス=リュシオンに言われ、ディアスは離すかわりに手首を掴む力をゆるめた。


 離すつもりはないと意思表示されたことに気づき、リュシオンが驚いた顔になる。


 見つめ返す瞳に見慣れた感情はみえなかった。


「名前は? 俺はさっき名乗ったよな? おまえも名乗れよ。それが礼儀だろ?」


 問いかけから答えが返るまでに、かなりの間が空いた。


 言いにくそうに何度も顔を背け視線を逃がして、いい加減ディアスが焦れる頃に、ようやくぽつりと答えた。


「ラス」


「本名か、それ? 答えるまでにずいぶん間が空いたけど」


「そんなことをどうしておまえに答えなくてはいけないんだ? 人には言いたくないことだってあるんだ」


 片意地を張る顔に、ディアスはポリポリとこめかみを掻いた。


「俺、とりあえず神帝なんだけどね」


「まさか。現神帝はディアスなんて名前じゃなかっただろう」


「いや」


 あからさまに「信じない」と顔に書いたリュシオンに、ディアスはいささか複雑な気分だった。


「俺は7代目じゃなくて、初代の神帝なんだ」


 そんな反則技を言われて、いったいどう反応しろというのか。


 一瞬、頭が真っ白になった。


(こいつが伝説の英雄?)


「まあそういう意味なら、リュシオンより俺の方が立場は上だな。で。祖王が訊ねてるんだけど、それでも答えないって?」


「卑怯者」


「なんとでも」


 にっこり微笑むタヌキぶりに、ごまかすのは諦めた。


 絶対に答えるまで食い下がるに違いない。


 相手になるのもバカらしい。


「俺は自分の素性を憶えていない。だから、名前を訊かれても答えられないんだ」


「じゃあさっきの名前は?」


「俺が記憶を失う原因になった相手に名付けてもらった。助けた相手に後で助けられたというか」


「で。その記憶喪失者がなんで王宮にいるんだ?」


「質問の好きな英雄だな」


 辛辣な嫌味にディアスは愛想笑いなど向けてみる。


 疲れた様子でため息など披露するリュシオンに、ディアスは「なんだ。こいつ、変わってないよ、中身は」と、胸を撫で下ろした。


「助けくれたのが身分の高い貴族だったから。これ以上は相手の迷惑になると悪いから、祖王の質問でも答えない」


(身分の高い貴族? それも今までリュシオンを保護しながら、連絡のとれない場所に住む?)


 おまけに素性のわからない奴でも、王宮に同行できるとなると候補は限られてくる。


 後で秘書官あたりにでも調べさせればわかるか。


 欲しい情報はだいたいもらったし。


(それにしてもよりによって記憶喪失とはね。そりゃあ気候が狂うよなあ。今のリュシオンは自分にそういう影響力があることすら忘れてるわけだから)


 見つけた直後のことを思うと、感情もそれほど取り戻せていないのかもしれない。


 ディアスと逢って会話しているあいだに、元に戻ってきた感じがあるから。


 どちらにしても侍医に診せた方がよさそうだ。


 元々わかってなくても診せるつもりだったし。


「とりあえず診察を受けた方がよさそうだな、おまえ」


「診察って」


「どうにも様子が変だから、侍医を呼ぶつもりだったんだ。皇族の専属医だぞ? ありがたいと思って神妙に受けろよ、診察」


「別に俺は」


 面食らって辞退しようとするリュシオンに、ディアスはわざと冷たい一瞥を投げた。


「祖王(俺)が受けろって言ってるんだよ。それでも受けないなんて言うつもりか?」


「その言い方は卑怯……」


「持ってる権力使わずにどうするんだよ。とにかく親切で言ってるんだから診察を受けろよ。腕は確かだから」


 どう言っても譲らない頑固さに、リュシオンは深々とため息。


 肩を落として早くも降参の構えだ。


 記憶がないと意外に素直だと、ディアスは内心で笑う。


 とりあえず見つかってホッとした。


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