第6話




 同じ頃、冬の離島から解放された公爵家の子息たちが、王宮に足を踏み入れていた。


 本来なら身元不明なラスは、正式に許可を求めなければ王宮にはあがれないのだが、そこはエルシードがなにか手を打ったらしかった。


 どんな手を打ったのかは知らないが、公爵家の縁戚として、嫡子のエルシードと同格の接待を受けている。


 エルシードの隣に同じ規模の部屋をもらったラスは、そのまま彼らにも内密に散策に出た。


 初めての場所だったから、散策というより探検と言った方が合っているだろうか。


 遠目にも荘厳で壮麗な宮殿を眼にしたとき、わけのわからない焦燥が胸を掻き乱した。


 居ても立ってもいられない苛立ちを覚えて。


 神帝が居を構える王宮なんて、初めて眼にするはずなのに。


 どちらかと言えば優美さを強く感じる長い廊下を歩きつつ天井を見上げる。


 人の身長の10倍はあろうかという高さだ。


 天井にも繊細な細工が施されている。


 瞳を射るような煌めきは、ひょっとすると宝石だろうか。


 この位置からでもみえるなんて、どんな大きさの宝石を装飾に使っているんだろう?


 数えきれないほどの扉。


 どこまで続いているのか悩みたくなるような長さの回廊。


 そうして金額なんて推定不可能だろう宝石の数々。


 まるで異次元にでも迷い込んだような気分だ。


 外からみたときも呆れるほど大きくみえたが、降り立つ頃には化け物のように巨大にみえた。


 世界一の居城だというのだから、当たり前の感想なのかもしれないが。


 すこし歩くと人々が気ぜわしく移動する通りに出た。


 通りという言い方は不適切かもしれないが、ひとつの街とも形容できる宮殿だから、そうとしか言えない。


 きらびやかな衣装に身を包んだ貴族たちの姿が、ちらほらとみえる。


 彼らの世話をするためだろうか?


 侍女や侍従が忙しそうに立ち働いている。


 さっきまでいた居住区とは、また違った雰囲気の一角だった。


 たしか……この辺りは舞踏会などの際に、貴族にあてがわれる休憩のための居室だ。


 近くに居を構える貴族が、王宮にあがった際に決まった部屋を使用するため、侍女や侍従たちもそれぞれ仕える相手が決まっている。


 部屋割りで割り当てられただけだが、彼らが忙しそうなのは、皇子の病気見舞いのために、みなが一斉に訪れたせいなのだろう。


 エルシードたちは北の最果てに住んでいて、めったに王宮にあがることがない。


 それに彼らは長老たる公爵の子供たちだ。


 割り当てられた部屋が違っていたのは、そのせいかもしれない。


 でも、どうしてそんなことを知っているんだろう?


 王宮の事情に精通したものでもないかぎり、知っているはずのない事実なのに。


 奇妙な既視感。


 知らない宮。


 知らない空間。


 なのに何故こんなに肌に馴染んでいる?


 知らないはずの事実を肌で知っている。


 ……そう。


 この廊下をまっすぐに進めば、神帝が主催で行う舞踏会などのための大広間。


 反対側に進めば執務を行うための政治の中枢がある。


 その左側にはたしか7代神帝が生誕の折りに、父親から贈呈された花園があるはず。


 今は立ち入り禁止区域に指定されているはずだ。


 執務室へ向かう途中に、左右に散る形で神帝と世継ぎの君の私室がある。


 王宮にいるあいだは、必ずそこを使用していたはず。


(どうしてわかるんだ?)


 いったいどこで知った?


 王宮の構造を。


 神帝や世継ぎの行動まで知っているということは、エルシードが言うように本当にこちらに住んでいたのか?


 わからない。


 何度考えても思い出せない。





 迷うように王宮内部を歩き回っているラスを、聖宮から出てきたディアスがみつけた。


 おや? と片眉があがる。


 まるでなにかを確かめるように歩いていたラスが、そのまま聖宮に進もうとしているのをみて、慌ててディアスが二の腕を掴んだ。


「ちょっと待てよっ」


「?」


 振り向いた顔はただぼんやりしているようにみえた。


 だが、どこか違和感のある表情に、知らずディアスの眉が寄る。


「そこから先は聖宮だ。無許可で立ち入りはできない」


「……聖宮……」


 意味を確かめるような呟きに、ディアスは怪訝そうな顔になる。


「まさか聖宮を知らないのか?」


 王宮にいて知らないならモグリだと、ディアスの声には含まれていた。


 しかしディアスの当てこすりに近い皮肉にも気づかないラスは、悩んだ表情で唇を噛んだ。


「いや。聞いたことがあるような、気はする」


「はあ?」


 要領を得ない奴だと、あからさまに顔に書いて、ディアスが口を閉じる。


 それでも律儀に付き合っているのだから、彼もお人好しである。


「どこで聞いたのかな?」


 頼りない呟きと焦点の合わない瞳に、異常を悟ったディアスが二の腕を掴む手に力を込めた。


 普通なら耐えきれないほどの痛みを感じるはずだが、ラスは顔をしかめもしなかった。


 腕に食い込むほどの力を入れられて、キョトンと視線を落とす。


「そんなに力を入れなくても、俺は別に逃げないが」


 戸惑ったような口調。


 浮かべる表情や気配は違っても、だれかに似ている。


(どこか変じゃないか?)


「あまり力を込めて握ると血が止まる」


 完璧に論点がズレている。


 これで惚けていないなら、どう考えても正常じゃない。


 ディアスは大きなため息を吐き、どうにも気になる少年の腕を引っ張って歩き出した。


 今しがた出てきたばかりの聖宮に向かって。


「無許可で入れないんじゃ」


「許可なら俺が出す。だから、黙ってついてこいよ」


 意外な発言にラスが眼を丸くした。


「だれなんだ?」


「俺はディアス。ディーン・ディアス。一応皇族だ。だから、安心してろよ。俺が許可を出したなら、だれも文句は言わないから」


「ディアス? ディーン・ディアス?」


 ぼんやり繰り返す口調が、なにかに引っ掛かりを感じているような気がして、ディアスが視線だけを流す。


 腕を引っ張られて歩いているラスは、ふしぎそうに首を傾げてされるがままに歩いている。


 自分の意志が感じられない様子に、ディアスは心の中で舌打ちした。


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