第5話




「だからっ。すぐに戻ってくるって言ってるだろっ!? まだ止めるのかっ!?」


 机に片手を叩きつけ、ディアスが周囲に控える臣下たちを一瞥する。


 冷ややかなその視線に臆した様子もなく、「おそれながら」と一歩進み出たのは、先代秘書官のジェノールだった。


 年若い現秘書官、アリステアの実父である。


「ディアス陛下。我々も最善を尽くしたいだけなのです。


 その必要性を感じなければ、何故お引き止め致しましょう。


 リュシオン陛下は我々の大切な神帝陛下なのです。その捜索に否やを唱えるはずもございません」


「これ以上捜索を引き延ばすのが良策だとは、俺には思えない。


 後半月で3ヶ月だっ。これほど長期間、連絡も入らないとなれば、リュシオンの身に不測の事態が起きたとしか思えない。


 これ以上は危険だ。それでも引き止めるのか、ジェノール?」


 さすがにリュシオンの身が危険だと言われれば、即座に肯定はできなかった。


 ジェノールにとってリュシオンは、実の弟のように見守ってきた少年である。


 それはもう子供の頃から変わらずに。


 だれもがこの状況で平気なはずがないのだ。


「だからこそ、陛下がお戻りになったときのためにも、あなたには王宮にいていただきたいのです。


 陛下の御身に不測の事態が起きているのならなおさら。


 あの方は必ず無事に王宮にお戻りになられます。そのときのために王宮を護ることが、最善の方法ではありませんか? 


 どうかお願い致します。あの方がお戻りになられるまで王宮を……」


 臣下一同に頭を下げられて、ディアスは苦々しい表情で顔を背けた。


 肯定はしないかわりに否定もせずに。


 それは不本意な意見を受け入れる、ディアスの意思表示だった。


「ありがとうございます、祖王さま」


 ホッと安堵したジェノールが深々と頭を垂れる。


 苦々しい気分で眺めていたディアスは、鋭い舌打ちをもらした。


「リュースのところに行く。すこしひとりにしてくれ。だれもついてくるな」


 それだけを言い残して、ディアスは苛立った表情で執務室を後にした。





「ああっ。俺はいつからあのバカの代理になったんだっ!?」


 苛立ったように吐き捨てて、ディアスは大股に廊下を歩いた。


 不機嫌さを隠しもしないディアスに(リュシオンだと誤解している者もいるが)侍女たちが脅えたように一歩下がる。


 聖宮(元々は神帝と世継ぎにしか居住権のない宮であり女人禁制であった)に向かいながら、心の中ではぶつけようのない怒りがくすぶっていた。


 たしかに臣下たちが言うように、リュシオンは絶対に無事だ。


 危険だと言っても、生命にまで及ぶような最悪の事態にはならない。


 今だってどこかで生きているだろう。


 おそらく天候に狂いを生じさせるていどの異変で済んでいるはずた。


 逆に言えば無事に生きていて、大した怪我もしていないくせに連絡が入らないのは……違う意味で危険だ。


 リュシオンは絶対に死なない。


 あいつは正真正銘の不老不死だ。


 死にたかったとしても、皇家の秘薬なしでは自殺はできない。


 しかし死ねないからこそ危険なこともある。


 手遅れになっていなければいいが……。





 すでに通い慣れた皇子の寝室に足を踏み入れて、ディアスが屈託のない笑顔をみせた。


「具合はどうだ、セインリュース? 大人しく寝てたか?」


「子供扱いするなよ、ディアス」


 苦々しい声は寝台の上から返ってきた。


 思ったより元気そうな声でホッとする。


 とはいえ長いあいだ仮死状態だったのだから、リュースの容態は見かけほど回復しているわけではない。


 今の様子は空元気に近いだろうか。


 枕元に立ち顔を覗き込むと照れ隠しに睨まれた。


「うん。今朝より顔色は良くなってるな。昔のおまえらしくなってきたじゃないか」


「元気になってきたら心置きなくイジメてやるなんて思ってないか?」


 疑わしげな問いに「さあ?」と笑顔でとぼける。


 すると「ひどい」と暗い声で抗議があがった。


「イジメたりしないから早く元気になれよ。リュースに元気がないと、なんか俺も気合いが入らないし」


「俺、昔から無意味に元気だったわけじゃないんだけど」


「そんなことだれも言ってないだろ、バカ。なにを拗ねてるんだ?」


 前髪に指を絡ませてじゃれる。


 これはリュシオンが相手のときのディアスの癖だ。


 リュシオンがいなくて寂しいのは、お互いさまなのかもしれない。


 まあリュースも自分からは本音なんて言わないし、ディアスも口が裂けても言わないだろうけど。


「あれ? ディアスもきてたんだ?」


 驚いた声をあげて入ってきたのは第二皇子サラディーンと、第一皇女リアムローダの双生児の兄妹だった。


 第一皇子セインリュースにとっては片親の違う弟皇子と妹姫である。


「父様は見つかった?」


 不安げに問うリアムローダに、ディアスはやりきれない顔でかぶりを振る。


 それをみていたサラディーンが悔しそうな顔になった。


「おれがもっとしっかりしていたら」


 サラがリュースなら神帝代行だってできたはずなのだ。


 力になれないのは、ひとえにサラの力不足だった。


「そんなに気にするなよ、サラディーン。たとえリュースがいても簡単には済まなかったよ。俺とリュシオンがそっくりだから、替え玉が成立してるわけだし。おまえのせいじゃないから落ち込むなよ、サラディーン」


 優しい声に「うん」と頷くサラディーンだった。


 安静にしているしかないリュースは、何故か連絡も入れない父親の身を案じていた。


 過酷な時は終わったから、どうか無事に戻ってきてほしいと祈りつつ。


 あまりに大きな影響力をもつ存在だから、だれもがリュシオンの名を口にできない。


 まるで禁句のように、その名を口にするのを恐れて。


 無事であることを信じ祈りながら、特別な相手だからこそ、胸に忍び寄る不安は打ち消せない。


 苛烈の気性をもつ不敗の英雄も、自らが溺愛する寵児には勝てない。


 寂しくて不安だと口にも出さないディアスの、憂いを浮かべた蒼い瞳を、リュースは同じ色の瞳で見返した。


 同じ想いの丈を込めて……。


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