第4話




 謁見終了後そのまま休憩をとって、ディアスは秘書官に事後処理を頼んだ。


 そのまま彼の足は地下深くを目指す。


 皇族だけが知る抜け道を歩きながら、やるせないため息が、途切れることなくこぼれる。


 いい加減、老化してしまいそうだ。


 もちろんディアスが老化することなんて、万にひとつもありえない。


 わかっているが、気分的に一気に老化するような気がする。


 陰々滅々としたこの気分。


 ……どうにかできないものだろうか。


 皇族の霊廟は定められた場所にあるが、この地下にも秘密の霊廟がある。


 幾つかの隠し部屋も。


 訪れる者も限られた霊廟の扉に、ディアスは手をかける。


 だが、結局立ち入ることはやめてしまった。


 優美なこの白い扉の奥に特別に用意した霊廟がある。


 そこに眠る人を思い浮かべて、ディアスが一度眼を閉じた。


「今逢うと愚痴りそうだから、またくるよ。どうか……あいつを護ってやってくれ」


 ささやくようにそれだけを告げて、ディアスは踵を返した。


 未練もなにもかもを振り切るように毅然と前を向いて。






 次の扉を開くと中は物音ひとつしない静かな寝室だった。


 中央の寝台にだれかが横たわっている。


 ため息まじりに近づいて寝台を覗き込めば、ディアスによく似た少年が身を横たえていた。


 死んでいるように土気色の顔をしているが、彼は死んでいない。


 いや。


 正確には仮死状態にある。


 死んでいるわけではないが、生きているわけでもない。


 深い……深すぎる眠りの中をたゆたう少年の睫毛はピクリとも動かない。


 触れた頬にも生きた者のぬくもりはない。


 薄く微笑を浮かべた唇も、血の色が失われて久しい。


「なあ、リュース。おまえ、いつ起きるんだ?」


 ささやいても眠る世継ぎの君に反応はない。


 睫毛が揺れることすらない。


 確かめるだけで虚しさが増す。


 頬に片手を当ててディアスはきつく眼を閉じた。


「俺ひとりじゃ動けない。動けないんだよ、リュース」


 呼びかけることに意味があるのかは、ディアスにもわからない。


 それでも言わずにはいられなかった。


「こんなところでジッとしていられない。リュシーを捜しに行きたいのに、いつ起きるんだよ、おまえは……」


 魂からの叫びのような、痛々しいささやき。


 頬に触れるディアスの掌のぬくもりが、リュースの肌に伝わる。


 鼓動が一度小さく脈打った。


 急激に生命がよみがえる。


 止まっていた鼓動が動き出し、血液が全身を循環する。


 身体が人肌のぬくもりを取り戻し、頬に血の気が戻る。


 明確な変化に気付いて、ディアスが生唾を飲んだ。


 全身が硬直して動けない。


 唇から儚い呼吸がもれて、指先がわずかな反応をみせる。


 やがて睫毛が揺れて、ゆっくりゆっくりリュースが、その瞳を開いた。


「あ、れ? ディアス? 親父殿……は?」


 ぎこちない話し方だったが、懐かしいリュースの声だった。


 泣き笑いのような表情が、自然とディアスの顔に浮かぶ。


「おはよう、セインリュース。身体は大丈夫か?」


 平静を装って強がってみせても、声が震えるのまではごまかせなかった。


 珍しく気丈なディアスが泣き笑いの表情をみせている。


 驚いたリュースは心配をかけまいと、無理に笑ってみせた。


「平気だよ。慣れるまで時間はかかるだろうけど、俺は平気だって」


 皇子の自分を気遣った強がりに気付いて、ディアスは苦笑した。


「無理するなよ。そのくらいの芸当は、おまえにならできるだろうけど」


 そこまで言ってから、ディアスは一度区切る。


「長いあいだ仮死状態だったんだ。今無理をすれば回復が遅くなる」


 言っても無駄かもしれないと思いつつ言ってみる。


「いくらおまえでも、長期間の仮死状態は心身共に負担になってるんだから。な?」


 まだ半覚醒のリュースは、優しい説得にうなずきながら、いやな予感を感じていた。


 ディアスが不気味なくらい優しい。


 それにリュースが目覚めたのに、どうしてリュシオンの姿がない?


 この場にいなくても、感じ取ったなら駆けつけてくるはずなのに。


「親父殿になにがあったんだ、ディアス?」


 真摯な眼で問われると、ディアスもごまかせなかった。


 たとえ世継ぎの君が半死半生の重病人であろうと。


 最愛の父親のことなのだから。


 すこし沈み込んだ笑顔になるディアスに、リュースの不安が高まった。


 形容できない、いやな予感に我知らず身震いする。


「あいつ。消息不明なんだよ」


「嘘だろ?」


 衝撃を受けた声に安心させようと微笑んでみせて、ディアスはリュースの髪を撫でる。


 柔らかな黄金色のクセ毛。


 懐かしい手触り。


 できるだけ優しい声で、ディアスは辛い事実を口にした。


「もう2ヶ月も行方が掴めないんだよ。俺が捜しに行けたら見つかったはずなんだ」


 実際にそれは何度も検討したことである。


 それでも実行できなかった理由こそが、リュースの仮死状態にある。


「でも、おまえは仮死状態にあったし、リュシオンも消息不明だとなると、俺が動くわけにはいかなくてさ。今まで手をこまねいていて、こんな事態になってるんだ」


 思いがけない報告にリュースは、上半身を起こし悲痛な声で叫んだ。


「連れ戻してくれよ。今の親父殿はなにをするかわからないっ」


 興奮してますます顔色の悪くなるリュースの痩せた肩を、ディアスはそっと押さえ込んだ。


「わかってる」


 ディアスの優しい蒼い瞳に慈しみの色が深くなる。


「そう興奮するなよ、セインリュース。おまえの容態が安定したら、俺が動くよ。ディーン・ディアスの名にかけて、リュシオンは必ず見つけ出すから」


 満足に動かない身体を持てあまし、リュースは祈るようにささやいた。


「もうすぐ時は終わるから、ヤケを起こさないでくれよ、親父殿。運命は動くんだから……」


 苦しげに肩で息をするリュースの肩を抱いて、ディアスが何度も背中をさする。


 伏せられた瞳の奥に浮かぶ翳りは、彼の胸の痛み。


 忘れることのできない心の傷。


 眼を閉じて荒い呼吸を繰り返すリュースを、ディアスは物悲しげに見つめる。


 こんなになっても約束を果たしたリュースに、1番必要な相手がいない。


 欲しかっただろうに。


 リュシオンからの「よくやった」の一言が。


 どこにいるんだ、リュシオン?


 おまえのために長い眠りについていたリュースは、約束を果たして目覚めたよ。


 どこにいるんだ、おまえは?


 ……戻ってこいよ。


 そうしてこいつに言ってやってくれよ。


 たった一言でいいから、リュースに「よくやったな」って。


 無事でいろよ、リュシー。


 本当におまえは無鉄砲で困るよ。


 心配をかけることばかり得意で悲しくなるじゃないか。


 ほんと。


 バカなんだから。


 悲しい呟きを胸でこぼしてディアスは祈る。


 己が守護する寵児の無事を。





 遠くから声が聞こえた。


 顔をあげて窓から外をみても、なにも聞こえない。


(幻聴だったのだろうか)


 たしかにだれかに呼ばれた気がしたのに。


 ……呼び声。


 呼び声。遠くから胸に響く呼び声。


 それはだれの声だったのだろう?


 切なく胸を打つさざ波のように、途切れない呼び声に切なさが胸を刺す。


 わけのわからない衝動が、この心を掻き乱す。


 呼びたい名前がわからない。


 どうすればいいのかさえわからない。


 この胸の痛みの意味さえも。





「世継ぎの君がご帰還なされた?」


 驚いた声を出し、ラスティア孃は恥じるように片手で口許を覆う。


 それでも水色の瞳は驚きに見開かれたままだった。


 正面に腰かけているエルシードが、妹の言葉に難しい顔のまま首肯した。


「現在、王都では大変な騒ぎらしい。何故か体調が優れないご様子だが、みなご帰還を祝って騒いでいると」


 壁に背中を預けたラスが、小さく首を傾げて、説明を重ねるエルシードを凝縮していた。


 なにかの意志が込められた強い瞳。


 だが、その意味は本人ですらわかっていなかった。


「セインリュース皇子のご帰還を祝い、我々もお祝いとお見舞いに馳せ参じなければならない。皇子の体調はよほど優れないらしく、舞踏会などは開かれないそうだよ」


「やっとお戻りになられたというのに、陛下もご心配でしょうね」


 そう言ってラスティア孃は、小さなため息をもらす。


「そうだね」


 妹に複雑な声で答えてから、エルシードはおもむろに、壁に身を預けて立つラスを振り向いた。


「ラス。かねてからの申し出どおり、きみも同行しないかい?」


 突然の申し出にラスは相変わらず無表情だったが、その瞳にあるかなしかの焦燥が浮かんでいた。


「何度も説明したけれどね。きみは間違いなく王都の人間だ。地方を探すより、王都で手続きをした方が早い。これは良い機会だと思わないか?」


 刺激を与えずに同意させようとする、エルシードの胸中はすべて読める。


 眼を伏せて考えるのは、今聞いたばかりの世継ぎの君の容態のこと。


 何故これほどまでに気にかかるのだろう?


 舞踏会を控えるほど体調が優れないという。


 いったいどんな容態なんだろう。


 王都に行けば、すこしは詳しいことがわかるだろうか。


 迷いに迷いぬいた末に、ラスはポツリと呟いた。


「公爵家の迷惑でなければ」


 まさか彼が同意するとは思わなかったラスティア孃は、驚きで眼を丸くする。


 妹の反応とは対照的に、エルシードは嬉しそうに笑った。


「もちろん嬉しいよ」


 ラスから返ったのは、ぎこちない微笑み。


 意外な彼の姿にラスティア孃は、憂いを浮かべた端正な横顔をみていた。


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