第19話 確執と愛情の境目


 ――転生五十七日目、午後五時、王立騎士学園。



 決闘を終えた帰り道。

 校門までローズマリーを伴って歩く。

 桜に似た並木道を、夕暮れが照らす景色は幻想的。


(もう見慣れた光景だけど、この時間はいつみても綺麗だなぁ……)


 あれだけの魔法を使えばやはり疲れる。

 ルーサー卿程では無いが、今直ぐにでもベッドに飛び込みたいくらいだ。


 等と疲れた心を景色でいたわっている間にも、抑えきれない気持ちにはしゃぐローズマリーはボクへの賛辞を述べていた。


「とても素晴らしい魔法でしたっ! キャロル様の魔法はもう芸術の域に達していると言っても過言では無いほどの美しさで――」


 彼女は興奮冷めやらぬと言った様子で言葉をつむぐ。

 騒がれるのは好きでは無いが、今回くらいは大目に見よう……としたのだが。



 ――ボクの視線の先、校門の前に居るのはオリバー卿。



(出来れば明日にしたかったな……)


 当然ながらオリバー卿は今回の結果に不服を感じている事だろう。

 推測するに、苦情の一つでも言いに来たというところか。

 不穏な気配を察知して、ローズマリーは口をつぐんだ。


 行きたくなくとも行かねば話は進まない。

 ストレスの掛かる脳を酷使して、オリバー卿と対峙たいじする。

 彼の後ろには馬車と御者、そして彼の秘書と護衛数人の姿が見えた。


 ――彼から開口一番ののしられると予想して……しかし意外な事に、それはハズレた。


「ご苦労。疲れただろう? よく頑張ったな」


 彼の物腰は柔らかく、ボクを労るその表情はとても柔和にゅうわだった。

 それが逆に、ボクを不安に駆り立てる。


「……来る予定だとは伺っていませんでしたが。観戦されていたのですか?」


「妹の晴れ舞台を兄として見ない訳には行くまいよ。とは言え、お忍びで来た事については詫びよう。お前を無駄に緊張させないよう配慮したつもりだった」


あらかじめ言って頂けた方が緊張せずに済みます」


「分かった。覚えておこう」


 オリバー卿は自ら馬車の扉を開いて、乗車するようにボクを促す。


「さぁ、乗ると良い。今日は特別だ。アルバートに豪華な食事を用意するように指示してある。家に帰れば、美味しい料理が待っている」


「……ありがとうございます」


 今のところ彼が何を考えているのか分からない。

 考えが読めない以上、不用意な行動は避けた方が良いだろう。

 ボク同様、不安そうな表情で控えていたローズマリーに別れを告げる。


「見送りありがとう。気を付けて」


「はい……どうかキャロル様もお気を付けて」


 未だに不穏な気配は拭えないが、彼女を巻き込む訳にも行かない。

 心配そうなローズマリーを安心させるように笑顔を見せて、馬車に近付く。


 ――そしてその途中、馬車の中に人が乗っている事に気が付いた。


 不審に思い、わずかに身体をずらして中の様子をうかがう。

 するとそこに居たのは所在無さげにうつむく一人の少女。


(――! 彼女は、あの時の……)


 一度見かけた事のあるその面影。

 ルーサー卿と連れたって歩いた朝のあの日、物陰から覗いていた少女。


 ボクが困惑していると、オリバー卿は今思い出したように、彼女をボクに紹介してきた。何ともわざとらしい。


「おっと、そうだった。既に先客がいる。出てきなさい。キャロルに紹介しよう」


「は、はい……」


 その少女は心細そうに返事をして、馬車から降りて来た。


 ツーサイドアップの髪形に、亜麻色の髪。

 美少女と言って遜色そんしょくない、綺麗で可愛らしい姿の女の子。

 制服から見て同学年で平民階級。


 オリバー卿は紳士的な仕草で彼女を示す。



「こちらのお嬢さんは、レイナ・・・マスカット・・・・・という。お前が付き人に指名した、セカンドクラスの生徒だよ」



 彼女がレイナ・マスカット……聞き込みをしていた時に、彼女の友人達から聞いた特徴と一致している。恐らく本人で間違い無いだろう。


「は、初めまして……キャロル・L・ヴィター様。私がレイナ・マスカットです。こ、この度は、付き人として指名して下さり……ま、誠にありがたく――」


 明らかに彼女は緊張で恐縮しきってしまっている。

 彼女の緊張の原因はどう見てもボクの所為せいだろう。

 誤解とは言え彼女からすれば、ボクは虐めの主犯格だ。


(なぜオリバー卿が彼女を……? いったい何を企んでいる……)


 レイナさんとは、誤解を解く為に一度話し合う必要がある。

 だがしかし、この状況ではオリバー卿の思惑が気に掛かる。


「……何やら誤解をしているようだが、一応言っておこう。俺が彼女を連れて来たのは単なる善意からだ。形式だけとは言え、お前の付き人になる存在だろう? なら、お互いそれなりに知っておかねばなるまい」


「単なる善意から、レイナさんを我が家に招待するつもりだ、と?」


 彼に猜疑心さいぎしんを向けると、彼はほがらかに笑い飛ばした。


「ハハハッ! 勿論だとも。良い機会じゃないか。親睦を深めるのなら、なるべく早めに行動した方が良いだろう? 善は急げだ」


 やけに上機嫌なオリバー卿。今日の彼はとても饒舌じょうぜつだ。

 キャロルやボクに見せていた辛辣しんらつさは何処どこへ行ったのか。

 対照的にレイナさんはとてもおびえている様子。


 ……何となく、その姿がキャロルの姿に重なって見えてしまった。


(オリバー卿の思惑は気になるけど、まずは彼女を落ち着かせないと)


 これ以上はレイナさんに悪い。早く切り上げよう。


「確かに、オリバー兄様のおっしゃる通りですね。ご配慮頂き感謝します。……では、早めに我が家に向かうとしましょう。せっかくの料理が冷めてしまいます」


「ああ。そうしよう。分かって貰えたようで何よりだ」


 オリバー卿に招かれて、レイナさんと共に馬車に乗り込む。


(オリバー卿は別の馬車か)


 ボク達が乗車した馬車とは別に、オリバー卿専用の馬車があったようだ。

 秘書と護衛を連れたって、彼は自分の馬車に乗り込んでいた。


 馬車が動き出したタイミングで、窓の外からお辞儀しているローズマリーの姿が見えた。礼儀正しくスカートをつまみ上げ、こうべを垂れる彼女へ向けて軽く手を振ってみた。でもそれは彼女には見えていなかっただろう。




 ――帰路に就く馬車の中、いつもの姿勢でレイナさんと向かい合う。


 彼女はかしこまった座り方で、相変わらず所在無さげに俯いていた。

 まずは緊張をほぐす為、軽く彼女に話しかける。


「付き人のくだり、急に決めてしまい申し訳ありませんでした。驚いたでしょう?」


「い、いえ! めっそうもございません……! 誠心誠意、かんばりますのでっ!」


「そう言って頂けると助かります」



 ――そして会話が途切れ、再び訪れる沈黙空間。



(静かなのは好きだけど、この状況はそれを優先しちゃダメなんだろうな……)


 コミュ障故に、親しくない相手との会話は心に悪い。

 しかし彼女との親交は必要不可欠。

 ないがしろにする訳には行かない以上、生前の経験則をフル活用して頭を捻る。


 いかなる時も、記憶の中に答えは眠っている……知性を信じよう。


(こんな時こそ本の知識。何か役に立ちそうなコミュニケーションの法則は……)


 ふと、生前読んだ心理学の本の中で、ユーモアの黄金比なる記述があった事を思い出した。その内容を詳しく思い出そうと集中して記憶を探り――


「あ、あの……! お聞きしてもよろしいでしょうか……?」


 不意にレイナさんから話しかけられた。

 控えめに、そして畏怖するように彼女は上目遣いでボクを見ている。

 丁度良いので彼女に会話の主導権を握って貰おう。


「勿論。答えられる事なら答えましょう」


「ありがとうございます……」


 律儀にお礼を述べてから、彼女は意を決した様子で言葉を続けた。


「どうして、私を付き人にして下さったのですか? それに、ルーサー卿の所に奉公に行かせて頂ける何て……」


貴女あなたが気に病むような事ではありませんよ。決闘の勝敗に関わらず、両家の関係を良好に保つ為の保身策ですから」


「……本当に、それだけですか? キャロル様は私の事を恨んでいるのではありませんか? 私は貴女から大切な人を――」


 人差し指を自分の口元に当て、彼女の発言をあえて抑え込んだ。


 ボクにだってレイナさんの不安な気持ちは良く分かる。恋愛から距離を置いていたボクですら、痴情のもつれは恐ろしいと理解している。


 自分の立場を理解しているからこそ、彼女は自責の念を抱えている。

 弱い立場にいるという現実が、その恐怖を強く感じさせているのだろう。


(言葉にするのは難しい。だから、行動と態度で示そう)


 ――口元に人差し指を当てたまま、彼女を見つめる。


 小刻みに震える彼女をなだめるように。

 レイナさんから視線を逸らさず、慈愛を持って微笑ほほえみかける。

 ただ優しくおだやかに。そして言葉を紡ぐ。


「私が怒っているように見えますか?」


「それは……いえ、見えません……」


「なら、そういう事です。元より、私とルーサー卿の間に色恋沙汰なんてありませんでしたしね。むしろ望まぬ婚約を回避できて、貴女に感謝しているくらいです」


 冗談めかして肩をすくませると、ようやくレイナさんから震えが消えた。

 笑顔で語り掛けるボクに意表を突かれた様子で、彼女は呆然ぼうぜんと口を開けていた。

 その呆気あっけにとられた表情が何だか可愛らしい。


 ――若干放心していた彼女は我に返り、再び顔を俯かせた。


「で、でもその……私は平民で……それなのに彼と……」


「構いませんよ。私は応援します」


「だから私は……へっ!?」


 レイナさんは信じられない言葉を聞いたとばかりに顔を跳ね上げた。

 そんな彼女に自由と多様性の推進派として言葉を贈る。


「例え婚約が難しくとも、愛し合うのは自由です。立場の違いがあろうとね」


 驚きに言葉が出ないといった様子で、彼女はボクを見つめる。

 見つめ返すボクの瞳に嘘は無い。


 ――その言葉が嘘では無いと知り、彼女の瞳から綺麗な雫が流れ落ちた。


「わ、私……今までずっと、悪い事だって……でも、気持ちを抑えきれなくて……」


 こぼれる雫に再び俯き、身体を震わせる彼女の隣に移動する。

 寄り添って彼女の頭を抱えれば、声を殺して泣く少女の姿。

 謝罪の言葉と共にすがりつく彼女の頭を優しく撫でた。


(むしろ謝罪するのはこっちの方だ……)


 彼女に辛い思いをさせた主犯格が身内である可能性が高い以上、ボクだって無関係とは言えないだろう。


(オリバー卿は善意だけで動くようなタイプじゃない。これも何か思惑があっての行動であるはず。レイナさんのような被害者を出さない為にも、彼の意図は推し量っておかないとな)


 改めてオリバー卿への警戒を誓いつつ、泣き腫らす彼女の懺悔ざんげに許しを与えながら、我が家への帰還を果たしたのだった――

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