第15話 悪役令嬢


 ――転生五十四日目、午後六時、王立騎士学園、裏庭。



 ボクの胸元目掛けて投げ付けられた手袋を、片手で掴む。

 予想していた事だったので掴むのはとても簡単だった。


「そんなっ!? どうしてっ……!?」


 それを見ていたローズマリーから、悲鳴に近い声が上がった。

 これには静寂教の同志達も驚き、ざわめいている。

 そうなる理由は只一つ。


(手袋を相手に投げつける……"決闘"の申し込み、か)


 掴んだ手袋を、このまま相手に投げ返せばそれで決闘受諾の意思表示になる。


 投げ返さなければ決闘は不成立で終われるが、目撃者が多数いる以上それは得策ではない。決闘から逃げたとされれば家名に傷が付いてしまう。そうなればボクはもう貴族社会で生きて行けないだろう。


(……仕方ない。こうなればやるしかない)


 キャロルの為にも逃げられない。

 覚悟を決めるボクに、ルーサー卿は意思を問う。


「素直に非を認め、僕の要求を受け入れてくれるなら撤回しても良い。今ならまだ間に合うぞ?」


 非は認められない。

 何より大事なキャロルに濡れ衣は着せられない。


 ――だから、この状況を利用する事にする。


 侯爵令嬢のキャロルとしてでは無く、悪役・・のボクとして。




「……惚れた相手の為にここまでするのか? 流石さすが、白馬の王子様は勇ましいな」




 睥睨へいげいするようにあごを上げ、彼を見据えて嘲笑ちょうしょうする。

 今までとは打って変わった口調と態度に、ルーサー卿はわずかに困惑の色を見せた。


(本当はもっと穏便な手段で婚約破棄と彼の恋路を成立させるつもりだったけど、それはもう無理だ。……だから、ここからはアドリブでの軌道修正。上手く行かなかったとしても恨まないでほしい)


 思い通りに行かないのが人生というものだ。

 しかしストレスというものは物分かりが悪い。

 ほんの少し悪役を演じただけでも胃が痛む……


「それが君の本性か? 騙されたよ」


「君に秘密があるように、私にもある。仮面を被る事の何が悪い」


「……言い分は分かる。でもそれは誰かをしいたげて良い理由にはならない」


「虐げるつもりは無かった、とだけ言っておこうか」


 ルーサー卿は再び険しい表情に戻り、ボクを非難する。


「こういう言い方はしたく無いが……君に従った者達を裏切るのか? 上に立つ者として、自覚が足りないと言わざるを得ないな」


「私が従えた訳ではないが、そう言われると耳が痛いな。……君の言う通り、己の影響力を過小評価していた事は認めよう。それに対する責任は取るつもりだ」


 ――そう宣言し彼に手袋を投げ返す。


「……決闘は成立だな」


 手袋をキャッチし、つぶやくように彼は言う。

 ボクはルーサー卿に決闘の段取りについて尋ねた。


「場所と日時はもう決まっているのか?」


「まだだ。決まり次第、連絡する」


 そう言い残し、ルーサー卿はきびすを返す。

 決闘が成立した以上、最早ここに用は無いのだろう。


(はぁ……面倒事になったな)


 慣れない仮面を被ったせいで精神が疲労する。

 お付きを伴い、一度も振り返る事無く裏庭を後にする彼を見送った。


 一息つこうと座り直し、ルイボスティーを好んでたしなむ。


 すると、ボクの元に足早に駆け寄ってくるローズマリーの姿が見えた。

 彼女は憔悴しょうすいした様子でテラスの前で歩みを止める。


「キャロル様……どうしてルーサー卿と決闘何て……」


 素直に疑問を口にした直後、彼女はハッとした様子で口元を手でおおった。


「まさか!? わたくしがキャロル様の時間を奪ってしまったから、ルーサー卿は機嫌を損ねて……!?」


 何やら盛大に勘違いしている様子。

 このまま勘違いさせておくのも可哀そうなので誤解は解いておこう。

 しかしそれと同時にローズマリーには一つ、確認しておかねばならない事がある。


「彼が機嫌を損ねたのは、貴女あなたのせいではありませんよ。……それより、貴女に一つ尋ねたい事があります。レイナ・マスカットという人物に心当たりはありませんか?」


 冷静に彼女を見つめ、事の真偽を確かめる。


 ルーサー卿は確信を持って、レイナさんを虐めた実行犯がボクの関係者だと言っていた。そうなるとボクと仲が良くて人を動かせる立場の人間は一人しかいない。心当たりはローズマリーだけだ。


「レイナ……マスカット? セカンドクラスに在籍する生徒でしょうか? 知り合いにはいない名前ですが……」


 深く考え込む様子で記憶を掘り起こしているローズマリー。

 しばし熟考していたが、諦めたのか彼女は悲しそうに首を横に振った。


「申し訳ありません。セカンドクラスの生徒の事は余り詳しく無いもので……わたくしには心当たりがありません」


 ボクには彼女が嘘を言っているようには思えない。

 まだ付き合いの浅い関係だが、それでもこれだけははっきり分かる。

 ローズマリーはキャロルに対して嘘を付かない人間だ。

 そこだけは、確実に信用できる。


「そうですか。少し安心しました」


「安心、ですか……?」


「ええ。どうやら、レイナ・マスカットという女子生徒が虐めを受けているようで、それに腹を立てたルーサー卿が、虐めは私の指示だと誤解したようですね」


「なっ!? どうしてそんな誤解を……!? いいえ、それよりもなぜルーサー卿は婚約者であるキャロル様より、その女子生徒を優先しているのでしょうか!? 理解できません……!」


 キャロルの為に憤慨してくれるローズマリーを嬉しく思う。

 彼女はどんな時でもキャロルを優先してくれる。

 だからこそ、人の上に立つ者としてボクは責任を果たさなければならない。


「気持ちは良く分かります。しかし誤解であろうとも、決闘を挑まれたからには逃げる訳には行きません。無論、彼の誤解は払拭ふっしょくするつもりです」


yesイエス, yourユア highnessハイネス. ……ルーサー卿には納得いきませんが、キャロル様の為、どのようなご指示であろうとわたくしは全力を尽くします」


「ありがとう。貴女が味方で良かった」


勿体もったいなきお言葉……わたくしの心はいつも、キャロル様と共にあります」


 うやうやしくこうべを垂れるローズマリー。

 忠誠を示す彼女に改めて、ボクから正式な依頼をする。


「シュガー伯爵家令嬢、ローズマリー・B・シュガー。貴女にはレイナ・マスカットを虐げた実行犯、及び主犯格の特定をお願いします。……必ず、私の前に連れてきなさい」


yesイエス, yourユア highnessハイネス !!」


 彼女は騎士のように胸元に手を当てて、凛然と姿勢を正す。

 颯爽と踵を返した彼女の背中は、主から使命を帯びた使徒そのものだった。


(……さて、この後の段取りを考えておかないと)


 お互いの正式な要求は決闘前に話し合いで決まる。

 その時に此方も色々と要求を挟まねばならない。

 何とか両家の関係が決裂しないレベルの内容に収めなければ。


(ルーサー卿は頭に血が上っている様子だったし、その辺はボクの方で調整する必要がありそうだ。……オリバー卿にも今回のくだり、報告しておかないとな)


 貴族の子息と言えどまだ未成年。感情で先走ってしまうのは仕方ない。

 精神的には、年長者であるボクがリードせねばならないだろう。

 おまけに決闘するなら装備を整える必要もある。

 なのでオリバー卿の協力は必要不可欠だ。


(全く……面倒事は嫌いだな。心が休まらない)


 ストレスが溜まり易い己の精神構造にさいなまれながら、オリバー卿への事情説明と決闘への段取りを計算しつつ、ほのかに甘いルイボスティーで喉を潤すのだった――

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