第10話 侯爵令嬢ニヒリズム


 ――転生三十九日目、午前八時、王立騎士学園。



 新品の制服に身を包み、馬車に揺られる早朝風景。

 割と凝ったデザインをしたこの制服は、貴族専用なのだという。

 平民用の制服はこれと異なり、簡素なデザインなのだとか。


(これも階級制度の影響か。……徹底してるな)


 登校初日。いよいよ本日から騎士見習いとして、学生生活がスタートする。

 登下校には馬車の送迎が付くそうで、付添人はアルバートさんだという。


 彼にエスコートされ、馬車から学園に降り立った。


「いってらっしゃいませ。お嬢様」


「いってきます」


 周囲を見渡せば登校中の学生達。

 その中に見知った顔がいる事に気が付いた。

 その人物はボクを校門で待ち構えていたようで、ボクを見つけて近寄って来る。


 ――彼女はスカートの裾を持ち上げながら腰を落とし、ボクに向けてお辞儀した。


「ごきげんよう! キャロル。お会いできて光栄です……!」


「ごきげんよう。レディ・ローズマリー」


 ボクに挨拶して来たのはシュガー伯爵家の次女、ローズマリー・B・シュガー。


(……何で敬称が"様"なんだ?)


 この国では貴族の令嬢に対する敬称は"レディ"と付けるのがマナーと聞いた。


 様付で呼ぶのは主従関係、あるいは上下関係がある場合の話。学生の時分ではまだ正式な上下関係は無いので、貴族同士なら基本的に女子には"レディ"、男子には"卿"を使って呼ぶのが一般的だったはず。


 しかも挨拶する時スカートの裾を持ち上げて腰を落とす動作は、この国では婦女子が相手に誠意を表す時にするそうで、特別な相手に対してのみ行う所作である。


 つまりローズマリーはそれ程までにキャロルを気に入って慕っているという事。


(そこまでする程なのか……?)


 ――そんな疑問に包まれている間にも、彼女はキャロルへの賛美を奏でていた。


「キャロル様の神々しいお姿には何人たりとも触れてはならない神聖さが――」


「レディ・ローズマリー」


 夢見る少女の賛辞を強制的に引き留める。

 把握できずに不思議そうにしているローズマリー。

 ボクは自分の口元に人差し指を立てて、少しばかりいましめを送った。




「私は静寂を好みます。貴女あなたに理性があるのなら、私と共に静寂を愛しなさい」


「――!?」




 瞳を閉じるボクに、彼女は息を呑んだ様子。

 ゆっくりとまぶたを開ければ、そこには己の胸に両手を重ねる少女の姿。


yesイエス, yourユア highnessハイネス. 全てはキャロル様の御心のままに……」


 距離を離そうと戒めたつもりが、なぜかより一層の忠誠を誓われてしまった。

 しかも本来"イエスユアハイネス"は女系の王族に対して使う忠誠の言葉。

 この世界では王族以外に使用しても問題無いらしいが、何ともむずがゆい。


(好意を無下にする訳にもいかないか……)


 慕ってくれる彼女をとがめるのは良心が痛む。

 という訳で彼女の事は取り合えずスルーし、いつものように歩き出す。

 ローズマリーは静寂を愛し、寡黙にボクの斜め後ろを付いてきた。




 ――相も変わらず、目前に広がるモーゼの海割り風景に馴染んでいると、丁度進路上にが居た。


 その彼は貴族の取り巻き達に囲まれて騒がれている様子。

 取り巻き達はその全てがお嬢様方であった。

 高位な家柄を持つ高身長の美少年が相手とも成ればそれも当然か。


「ルーサー様っ! 今日もお美しい――」


「ルーサー様……! 是非、我が家のパーティーにも――」


「ルーサー様! 次は私と――あっ、キャロル様……」


 彼を取り巻くご令嬢の人だかりはボクの接近に気が付くと、こうべを垂れて粛々と彼から距離を取り始めた。


(早朝から皆元気だな……楽しそうで何よりだけど、騒がしいのは苦手だ)


 お嬢様方から解放されたのは侯爵家の次男、ルーサー・R・バルトフェルド。

 取り巻きに囲まれてうれい顔で微笑ほほえんでいた美少年は、ボクに気が付き振り返る。


「ごきげんよう。レディ・キャロル。会えて嬉しいよ」


「ごきげんよう。ルーサー卿。……邪魔をしてしまいましたね」


 彼は首を横に振って否定した。


「まさか。むしろ助かったよ」


「それは何より。お嬢様方から恨みを買った甲斐かいがありました」


 冗談めかしてそう伝えると、彼はほがらかに笑って見せた。


「はははっ! 皆そんな風には思っていないよ。それより、僕もファーストクラスに編入されたんだ。教室まで一緒に行こう」


「それは勿論。エスコートしますよ? 王子様」


 お道化どけて彼に向けて片肘を差し出すと、彼も調子を合わせてボクの一歩前に出た。


「それは僕の役目です。プリンセス」


「では、ご厚意に甘えましょう」


 同じようにボクに向けて肘を差し出すルーサー卿。

 彼の片腕に片手を添え、二人揃って歩き出す。

 それに伴いローズマリーも物静かに付いてくる。

 更にその後ろをお嬢様方が付いて来ていた。


(……こんな感じか? 周囲には良好な関係をアピールできたはず)


 破談になる際、なるべく此方こちらの落ち度にならないように配慮する必要がある。

 その為に、それまでは良好な関係を見せ続けなければ成らない。


(心が痛む……でも、これもキャロルの為だ)


 破談を成立させるにはルーサー卿の隠し事にヒントがあると直感している。

 それを見つけ出す事が此方に非を持たせず事を運ぶ鍵だろう。

 ある程度親密な関係になれればその秘密を暴く機会は巡って来る。


 ――ふと、物陰からルーサー卿を見つめていた女子生徒と目が合った。


 視線が交わったのは一瞬。

 彼女はバツが悪そうに直ぐに顔を伏せて逸らした。


(制服からみて平民階級の子か)


 何となくその女子生徒の様子が気になった。

 憧れの対象を見つめていたというよりは、心配していたという方がしっくり来る。

 ルーサー卿の関係者だろうか? 主従という関係なら物陰からうかがう必要は……


 そこまで考えて、一つの仮説に行き当たった。


(ロミオとジュリエット……有り得るか?)


 瞳を閉じて彼女の様子を反芻はんすうすれば、恋人の様子を憂いる少女の面影。

 それは物げにご令嬢と接していたルーサー卿の様子と被って見えた。


(パーティー会場でも一人になりたがっていた。もしその理由が彼の交友関係にあったとしたなら……?)


 誠実な男性なら、交際相手への罪悪感から異性を避ける傾向は十分にあり得る。

 しかもそれが許されない身分差の恋ならば、秘密を守る為には尚の事。

 根拠の無い憶測だが、もしそんな秘密を彼が持っていたなら都合が良い。


(望み薄だけど、一応ルーサー卿の交友関係でも調べて見るか。それで後ろめたい事の一つでも見つかれば、それを婚約破棄の理由にできる)


 とは言え本当に隠れた恋人が居たとしても、その仲を引き裂くつもりは毛頭無い。

 元よりこの身は自由恋愛の価値観に染まっているのだ。


(どうせなら、虚像のロミオとジュリエットを作り上げて、世間の印象操作でもしようか。それで多様性を認めて貰える社会になれば、こっちとしてはやり易くなる)


 等と腹黒く考えてみたものの、現時点では妄想の域を出ない。

 取り合えず、ルーサー卿の身辺調査をしてみない事には話が進まないだろう。

 その結果次第で、どう立ち回るかを判断する。


(身辺調査か……誰かに頼む訳にも行かないし、こればかりは自分で直接確かめるしかないな)


 彼の秘密をどう掴むか。そしてそれに対してボクの秘密をどう使うか。

 そんな思考を巡らせながら、己の所業をかえりみる。


(我ながらあくどいな。……まぁ、今までそんな生き方をしてきたのだから当然か)


 己の都合を優先するあまり、下衆げす勘繰かんぐりで相手を見てしまう事に罪悪感を抱きつつ、登校初日を事も無げにやり過ごすのだった――

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