第9話 縮まらない距離


 ――転生三十七日目、午後七時、ヴィター公爵邸、リビング。



 窓辺に映る景色が色せる。

 日が落ち欠け、ほの暗さに包まれた世界に視線を送れば、そこは見知らぬ異界の地。

 神の悪戯いたずらか。前世より生まれ落ちたこの場所で、思いを馳せるのは親子の絆。

 

 装飾過多にも思えるリビングルームでディナータイム。

 今日のディナーはとても色彩豊かで華やかだ。

 なぜならスペシャルゲストがようやく我が家に帰って来たから。


 ――パーティーが開けてから二週間。


 今ボクは絵画で見たキャロルの父と、静まり返ったリビングで向かい合っていた。

 彼は元々寡黙かもくなタイプか。食事は黙って行う主義であるようだ。

 帰還時の挨拶を除いて、ボクとの間には未だ親子らしい会話は無い。


(……実際に目にすると、思っていた以上に迫力がある人だな)


 ――正装に身を包んだいかつい武人は、寡黙にディナーを推し進める。


 高身長で、武人らしい短髪の黒髪。

 筋骨隆々りゅうりゅうに渋さを滲ませるナイスミドル。瞳の色はキャロルと同じ。

 ヴィター侯爵家の主であり、"ライトダンジョン"の最高管理責任者でもある。


 この国の首都、その近郊にはとても巨大なダンジョンがあり、そのダンジョンは"ライトダンジョン"と呼ばれている。名称にあるライトとはLightの事。ヴィター家に与えられたミドルネームと同じだ。


 ……というより、ヴィター家のミドルネームであるLはライトダンジョンが由来なのだとか。


 食事を終えたレオナルド卿がようやく、ボクに声を掛けて来た。


「試験の結果は聞いた。総合評価【S】……良くやったな」


「お褒めに預かり光栄です」


 実技はともかく筆記の方は自信が無かったのだが、どうやら忖度そんたくが働いた模様。

 これもオリバー卿の根回しか。……本心ではあまり喜べない。


「ヴィター家の血を受け継ぐ者ならば当然だ。慢心せず、真摯しんしに学び、学生としての務めを果たせ」


 彼の重厚な声色が肌に響く。

 対魔族の前線を支える司令官だけあって、その姿は貫禄に溢れていた。

 それから続けて、彼はボクに問い掛ける。


「だが一つ疑問がある。なぜ魔法が使えるようになった?」


「発想の転換を行いました。それが功を奏した結果です」


 彼の鋭い眼光がボクを射抜く。


「……それは、お前の性格が変わった事と関係があるのか?」


 やはりレオナルド卿からは怪しまれている様子。

 オリバー卿は、有用な存在であると示せば納得してくれた。しかし彼は違う。

 彼に対する説明は慎重にせねばならない。


「発想を転換する上で、今までの過程を見つめ直す必要がありました。その中で、私は必要だと感じた事を実践したまでです。それで性格が変わったというのなら、それは結果を出す上で必要だったという事でしょう」


 隠し事はしているが嘘は吐いていない。

 キャロルが己の才覚に気付く為には、この世界では未知の知識が必要だった。

 それをボクが転生した事でキャロルは手に入れたのだ。

 しかしそれを正直に説明してもレオナルド卿からの理解は得られないだろう。


「そういうところは相変わらずだな。答えになっていない」


ろくに親子の絆もはぐくめませんでしたので。対話が苦手に育ちました」


 いつもの姿勢で彼を見据えるボクに、彼は規律正しい姿勢で溜息一つ。


「……分かった。魔法の事はもう問うまい」


 彼から見えるのは諦観の様子。

 少し言い方が厳しかっただろうか?

 しかしこればかりは引く訳には行かない。


(彼がキャロルに向き合っていれば、彼女はこうはならなかった)


 キャロルが自我を失ってしまった原因は彼等にある。

 父も兄も妹への関心が自分本位で在り過ぎるのだ。


 ――レオナルド卿は両腕を組み、ボクを見据える。


「バルトフェルド侯爵家との縁談話は、オリバーから聞いているか?」


「はい。先日のパーティーでは、ルーサー卿と面会致しました」


「お前から見てどうだ?」


「悪い人では無いかと。ただ、隠し事をしている印象でした」


 そう聞いて、彼の片眉がいぶかし気に歪んだ。


「心当たりはあるか?」


「知り合ったばかりでしたので、何も」


 彼は片手をあごに当てわずかに逡巡しゅんじゅん

 その後、席から立ちあがった。


「分かった。心に留めておこう」


「縁談は予定通りに?」


「当然だ。相手方に失礼のないよう、配慮しなさい」


 諭すように言い残し、レオナルド卿はリビングから退出して行った。


(割と理性的な人だったけど……こちらの言い分を通すのは難しそうだ)


 椅子に深くもたれ掛かり、天井を見上げる。


(親子の絆……そんなものあるのかね?)


 生前は感じられなかったその言葉。

 結局最後までその言葉の意味を実感できなかった。

 今も、レオナルド卿とキャロルの間に絆があるのかさえ判然としていない。


(ストレスが溜まる。威圧感のある人との会話は心に悪いな)


 この身には他者との交流が毒になる。

 何とも難儀な性質を持って生まれたものだ。

 たったこれだけの事で動揺してしまう精神構造が恨めしい。


 こういう時は他に気を逸らして気分を紛らわすに限る。

 取り合えず執事であるアルバートさんにお茶の注文。


「アルバート。ルイボスティーを」


かしこまりました。お嬢様」


 瞳を閉じてカップに注がれる音に耳を澄ませる。

 そばで控えて居てくれた彼は、直ぐにルイボスティーを用意してくれた。

 そう言われると予想して、あらかじめ配膳台に用意していたらしい。


(こっちの世界にもルイボスティーがあって助かったな……)


 HSPの体質はカフェインに弱い。

 生前のボクも遅効性のカフェインアレルギーだった。

 そしてそれはキャロルも同じ。

 なのでアルバートさんはいつもノンカフェインの飲み物を用意してくれる。


 最初は距離を感じていたアルバートさんとも、この数週間で割と分かり合えて来た。今では何となく、丁度良い距離感を保てている。


「ありがとう」


「この身には勿体無いお言葉でございます」


 メイドさんが食器を片付け、整然としたリビングでルイボスティーをたしなむ。


「立派に成られましたね」


 しみじみとそう告げるアルバートさん。

 疑問に思い、彼へたずね返した。


「具体的には?」


「旦那様やオリバー様を相手に引け劣らなく成られました」


「それは錯覚です。私は何も変わっていない。問題となる部分は、何も……」


 人格は入れ替われど心の本質は変わらぬまま。

 しかし彼は首を横に振り、ボクを肯定するように言葉をつむいだ。


「それでも、以前よりは遥かに成長されております」


 その言葉に抱くのは複雑な想い。

 家族には、そして彼等にはボクでは無くキャロルを肯定して欲しい。

 しかしその想いも今はまだ届かないだろう。


(距離を縮め過ぎればキャロルが戻って来た時、害になる。でも距離があると理解者を得られない……難儀だな)


 届かぬ想いに焦がれながら、手探りで光を掴もうと足掻あがいている。


(それでも解決策はあるはずだ。思考放棄しなければ、いずれは答えに辿り着く)


 知性こそ人に与えられた唯一無二の武器ならば。

 人智あればこそ、人は難題を前に心折れずにいられるのだ。


(……あぁ、お茶が美味しい)


 されど今はお茶に舌鼓したつづみ

 疲れた頭では、難題は迷宮に入り込む。

 まずはストレスを癒す為、ささやかな甘さと共に時を過ごすのだった――

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