【KAC202211】ダイアリーのダイアログ

すきま讚魚

Dear, DIARY. The world is unreasonable.

 ダイアル、ダイアリー、ダイアログ。

 ダイアル、ダイアリー、ダイアログ。


 真っ暗闇のその中で、何かの鼻歌が聴こえてくる。


 ダイアル、ダイアリー、ダイアログ。

 ダイアル、ダイアリー、ダイアログ。


 それは書き物のようにさらさらと、本のページを捲るかのようにペラペラと。まるでもう滑らかに通り抜けるかのようで、しっかりと刻むような歌声。


「いやぁ、精が出るねぇダイアリー」

「そうかい? 単純作業とも言えるけども」

「だけども、たとえ似通ったものがあったとしても、どれひとつとして同じものはないじゃないか」

「そうだよ、だからぼくがここにいるんだろ? いいや、もはやここひと月はかんづめだったといってもいい」


 歌声の主はにっちもさっちもいかないというように、手を止めては語りかけてきた声に振り返った。

 暗闇がまるで嗤うかのように、真っ暗から真っ白へ、そして真っ暗な闇へと切り替わる。


「そんなにおかしかったかい?」

「いいや、そもそもひと月だなんて、キミがそんな数学的な数値を使うとは思わなかったからだよ」


 揶揄からかうような、それでいて抑揚のないその声。男のようで、女のようで、心の底から楽しそうなのに、心の底からつまらなさそうな。


「時間の感覚なんて、ここではないに等しいのに」

「ああ、そうともいうね。だからこそたいへんなんだ」

「灯りは必要?」

「ああ、たのみたいもんだね。キミみたいなやつには必要ないんだろうけどさ。『こうりつ』ってやつが全然違ってくるんだよ」


 暗闇が嗤うように蠢く気配がすると、辺りにたくさんの蝋燭が灯った。


「ほらね、まるでそう、『盤根錯節ばんこんさくせつ色濃く』ってやつさ」

「単純明快、淡色に……とも言えるね」

「ほら、キミはそうやって自分の物差しですぐにとって返すんだから」


 蝋燭に照らされたその高い高いはしごの中腹には、ひとりの少年がいて呆れたように暗闇を振り返っている。


 振り返った闇の先には誰もいない。

 まるで影がそのまま闇にとけ出してしまったような、闇が影に混じったかのような。

 少年は、これ見よがしにと大きなため息をついた。


「で? なんなんだい? 揶揄うおしゃべり相手が欲しかった? それとも何か探し物かい?」

「そうとも言えるし、どちらでもあってどちらでもないと言えるね」

「ぼくはまぁまぁ忙しいんだけどな」


 ふう、と少年はひと息ついて、手にあった分厚い本のようなものをそびえ立つそれはそれは巨大な書架の一角に丁寧に差しいれていく。


「なんでだろうね。とくにここ最近、ほらあの世界だよ。あの世界から落ちてくる物語がすごく多い」

「その棚には?」

「終末と創造……囚われの女王を救う滅亡の怪物。笑うことを強制された国。黄昏世界の金属音。世界の色ぬり……後は、あれさ。あの世界のエネルギーの源を攫った奴がいただろ、キミの遠縁みたいなやつ」


 ふっとその瞬間、世界が翳るような風が靡いた。


「その忙しかったひと月とやらの、オススメを何冊か貸してくれる?」

「おすすめ? 冗談だろ?」


 少年はえいやっとそのはしごから飛び降りると、奥底の見えない暗闇をふわりと滑り落ちて彼の体はある一定の高さで停止した。


「本気さ。無作為無秩序青いフラミンゴ荒唐無稽な純粋無垢ピンク・フラミンゴがご所望なんだよ」

「それこそ冗談だろってぼくは返したい」


 少年はその綺麗な丸い目を伏せて眉間を押さえた。


「知っているだろ。ぼくは記録の管理者ダイアリー、キミと同じようでまるで違う。記録者とは、常に公平で平等で中立でなければならない。わかるかい? こんな場所に居ながら言うのもなんだけど、おすすめなんてできやしないよ」



 蝋燭に照らされるのはどこまでも階下に伸びて、頭上を見上げても見上げても頂上の見えない書架。

 彼——ダイアリーはこの場所唯一の住人であり、記録を並べて保管する者。

 故に、その記録——あらゆる物語もあらゆる日記も彼の頭の中には入っている。だけどもダイアリーは知っているだけでその世界に行くことはない。


「全ての世界に足をかけられるのは、刻ウサギか、キミか、黒い夜くらいだってのに」

「それは間違いさ、僕は、私は、足をかけているのではなく、常に背中合わせなのだから」

「はいはい……」


 ふう、とため息をつきながらダイアリーは足元の薄い冊子を拾った。


「強いて言うなら……まずこれを」

「それは?」

「セミの日記さ」

「ふぅん」


 面白がるように、さして興味もなさそうに、差し出したかさね色の冊子が闇にぽつりと浮いた。


「セミの一生。そりゃあ土の中で耐える季節は長いけれども。最後の七日間を彼らは存分に謳歌する、彼らはそれを受け入れているからさ」

「メメント・モリとも言うね」

「ぼくはカルペ・ディエムだと思うけど」

「ふぅん」


 どこかでフラミンゴの羽ばたく音がした……ような気がする。


「まぁ、読んでみろってあいつらにも言ってよ。結構そのシリーズは予約待ちってくらい皆拝読したがるんだから」



【セミの一生】

 それを読んだ者は必ずこう言うんだとか。


「あのぅ、とりあえず次はセミになってもいいですか」


 そして一生懸命ただただ迷わず夏の日に鳴いて、今度はこう言うんだとか。


「一生って素晴らしかったんですけど、もう少し謳歌してみたいので、次は違う生き物になってみたいです」


 とね。




 仕事が嫌だとか、うまくいかないとか、悲しい寂しいつらいとか。

 反面、楽しい、嬉しい幸せは背中合わせで。


 それは物語、誰もの日々の中にも存在していて。

 その人だけにしか描けない日記。

 他の人は読めるかもしれないし、知らずに終わるかもしれない。


 だけれども、それを描けるのはアナタだけ。


 それを、証としてここにとどめるのがダイアリーぼくの役目だ。



 ヒトは憐れみつつも、余計な悩みもなく全力で駆け抜けてゆくセミの一生を羨み。


 セミは楽しそうだなと「くそったれだ」と彼らが自負するヒトの一生を見ている。



「……まったくもって。世界は荒唐無稽で純真無垢というものだよ」





***




「遅刻しちゃう、遅刻しちゃう!」


 時刻を報せるかのように、聴き慣れたウサギの声が隅の方から聞こえてきた。

 扉が一つ開き、誰かが落ちてくる音がする。すぐにまた、開いていた別の扉にその人影は吸い込まれるように消えていく。

 彼らに自分の姿は見えず、言葉はもちろん視線を交わす事すら無い。


「あいつらが羨ましいよ、実際に体感できるんだからさ」


 ダイアリーは再びどさどさと落ちてきた大量の本に埋もれながら言う。


「いやぁしかし、いかんせんこのひと月、あの世界の人間が描く物語が多すぎる」

「……だけど、どれひとつとして失ってはならない貴重な物語でしょう?」


 まぁ、そうだけど。

 そう不服そうに返せば、暗闇が嗤うように揺れる。


 その愉快そうな蝋燭の灯の明滅を肌に感じたダイアリーは、本に埋もれながらしたり顔でこう言った。



「キミこそ、そろそろ日記でもつけたらどうなんだい?」

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