白紙日記
げこげこ天秤
白紙日記
日記が嫌いだ。
特に、小学校の頃に日記。あれは本当になかった。宿題として課すなんて、今から考えても馬鹿げた話だ。冗談じゃない。どうして、個人的な近況報告をいちいち教師にしなければならないのか? 甚だ疑問だった。
別に知りたくもないくせに。
そのくせ、適当に書いたり「楽しかったです」で終わったりすれば、それは「低学年までの常套句」だと批判する。いやいや、日記なんだから、自分の事なんだから好きに書かせろよ。――ああ、お前が見るんだ。好きにかけない。
――今日も、
なんて……ははは。書けない、書けない。恐れ多くて書けたもんじゃない。呼び出されるのは面倒くさい。本音は書けたもんじゃない。本当の事を書けば書くほど面倒ごとになるのは目に見えている。ちょうど、クラスにあった「いじめ」のことを日記に書いた奴がいて、面倒集会が開かれたこともあった。
本当は駄目。かといって嘘もバレる。悪口は御法度。楽しいことがあっても「楽しかったです」を書いていいのは低学年まで。
そんなんだから、私の日記は次第に美化されたものになっていった。嘘とまではいかない。だが、出来事を誇張し、その場で湧くであろう感情や感謝を添える。そうやって、日記で私を着飾ることにした。
人に見せるための日記。
教師にとって、私は優等生だった。
***
大人になって思う。
あの教師は正しかった。
平安貴族たちの「○○日記」は、人に見られることが前提で書かれたものだと知った。日記は、儀式様子や政治情勢といったノウハウを後世に伝え、一族を繁栄させるためのもの道具。女流文学としての日記には、心の内を明かすものもあるが、今風に言えばブログだ。日記とは、やはり人に見せるものだったのだ。
そして今や、日記は紙である必要もなくなった。
Facebook、Twitter、Instagram ……写真はおろか動画まで付けることが出来る。媒体の性質に応じて日記である必要すらなくなった――もはや秒記だ。
小学校の宿題と違うのは、本当のことを言ってもいいこと。嘘を言ってもいい。悪口を書いてもいい。幼稚な文章でもいい。――日記を付けるハードルは随分下がった。
だが、人が見るという前提は変わらない。
時代が変わっても、媒体が変わっても、本質は変わらない。
だから、今日も私は綴る。
日記で私を着飾るために。
***
此処に一冊のノートがある。
自分だけのために用意した日記。
自分と向き合うために用意した日記。
誰も見ないし、誰にも見せない。
それなのに、書くべきことが見当たらない。
未だなお、甚だしくも白いままだ。
白紙日記 げこげこ天秤 @libra496
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