彼女との出会いは僕の涙からだった。

 ボクの体は時々思い出しては目から涙を零す。その日も朝からそうだった。懐かしい光景を夢で見てしまったのだ。そいう日は研究に手がつけられない。思考が散漫になって考えが纏まらないから。あぁ、この体は本当に面倒臭い。ボクは誰にも見られないようにマフラーを深く首に巻き、誰にも会わないように朝早く寮をぬけだした。向かうのは決まって常に人気のない院内の植物園にある噴水の前。熱帯系の大きな植物が生い茂るコーナーに常に人が来ないん噴水がある。そこは泣いている音がボク以外に聞こえないから、こういう場合は好都合な場所だ。


「ここはいつも誰もいないな。大学もなんでこんなところ作ったんだか。…まぁ、ボクが使ってるけど」


 そう独り言をいいながら、噴水の端に腰掛けて持ってきたハンカチで勝手に溢れる涙を拭こうとした時だった。


「大丈夫ですか?」


 その声とともに大型の熱帯植物の葉ががガサガサと動く音がして、その方向に目を向けると白衣を着た女性が心配そうにこちらを見て立っていた。ボクは先客がいたことに驚いていて、とっさに泣き顔を隠すのを忘れてしまった。最高の失態だ。


「大丈夫ですか?具合でも悪いんですか?」


 彼女はもう一度尋ねながら座っているボクに歩み寄ってきて頬を伝う涙をぬぐった。彼女の体温でボクは我に返った。


「あー…大丈夫。なんでもないから」


 彼女の手を軽く振り払いながら、早くここから離れたい気持ちから立ち上がってこの場を後にしようとした時だった――軽く握っていたボクの手の中に何かを無理やり押し込まれた感触がした。


「私は大丈夫だと思えません。これ、私のハンカチなんですけど、よかったら使って下さい。まだ一度も使っていないので綺麗ですから。それからそれは返さなくて良いです。私もう授業で行かなくちゃいけないから」


 そう言いながら彼女はすごいスピードでボクの手の中にハンカチを押し込むと、そのまま大量の資料を抱えて別学科が集まる塔の方に足早に去っていった。


 手の中に突っ込まれたそのハンカチは丁寧に畳まれた真っ白なもので、彼女の名前のイニシャルだろうか、ボクのイニシャルと同じ文字が端のほうに綺麗に刺繍されていた。


(また明日この時間に、この場所に来れば、あの人に会えるだろうか……)


 そんな思いが頭をよぎった。もう何十年もヒトから自分の肌に触れられたことはなかった。


 ボクは純血のプラチナ・ノイズだ。

プラチナ・ノイズはその容姿と頭脳から政府に危険種族とされ虐殺にあった過去を持つ。そのため、ボクのような銀髪に薄紫色の光る瞳を持つ目立つプラチナ・ノイズは最近では非常に稀になった。しかし、体の一部にその気配を残すものはなおもひっそりと存在し続けている。

元に寮のルームメイトのジョナサンは祖父がプラチナ・ノイズであったがヒトと混血したため彼自身は一見プラチナ・ノイズだと分からない。しかし、彼の瞳や口内にその影がしっかりと残っている。


 ボクのようなプラチナ・ノイズは虐殺などの殺人者キラーから身を守るために基本的にはプラチナ・ノイズの祖先を持つ人物が立ち上げた研究所や大学、学園など、限定されたヒトしか出入りできない保護された組織の敷地内に住んでいる。その敷地から外に出る場合は危険回避のため肌の露出を控え、瞳と髪の毛の色をヒトよりの色に変える必要がある。しかし、それにも限界があるため、大抵目立つ容姿を持つものは限られた空間で生涯過ごしている。


 亡くなったボクの両親は純血のプラチナノイズでありながら幸いにもこの大学に買われ教授として過ごしていたことから、ボクは生まれてこのかた、ずっと大学ここに住まわせてもらっている。しかし、やはり学内でもボクのような純潔の容姿のプラチナ・ノイズは珍しいため、先ほど話をしたジョナサンを含め、学内でボクに積極的に接してくる者は数えられるほどしかいない。さらにヒトとなるとほぼ皆無だ。


「彼女は一体……」


 渡されたハンカチに目線を落としながら考えていたら、気がつけば涙が止まっていた。いつも丸一日止まらない涙はパタリとその源を枯らしたかのようにとまっていたのだ。


 不思議な白昼夢を見たかのようなふわふわとした気分で寮の自室に戻るとジョナサンが授業から抜け出し帰って来ていた。


「うっわ!帰ってくるの早っ!」


 彼は女性を部屋に連れ込んでいた。いつものことだ。


「そういうの、なしって決まりだろ」


 ハンカチと不要になったマフラーを机の上に置きながら羽織っていた白衣を脱ぐ。

部屋に居た女性は俺を見るなり驚くと、目をそらしたまま、そそくさと服を持って部屋から出て行った。ヒトは大抵こういう反応をするからもう慣れっこだ。


 ジョナサンはため息をひとつついてから、肌蹴はだけたシャツのボタンを留めながらゆっくり話した。


「今日はあの場所から戻ってくるのが早いな。今朝、早くに急いで出て行ったから、てっきりまた例の涙の滝になってんのかと思ってたよ。それで、調子はどうなんだ?」


ジョナサンは大学入学当初からの研究メイトで、大学に入学した日の夜、たまたまボクが泣いてるのを目撃してから一応彼なりに気を使ってくれている。 女性問題を除いては。


「おおむねお察しの通りなんだけど……今日はすぐに止まったんだ、涙が」

 

そう話すとなぜが頬と耳が熱い。

ふと、ジョナサンを見ると目を見開き、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしてボクを見ていた。


「お前どうした!? 熱でもあんのか!? なんか盛られたか!?」


そう言いながらジョナサンは急いでボクの額に手を当て体温の確認をする。

こんなもので正確な体温が測れないのを彼も知っているはずだ。


「研究以外でお前が面白いとか言うのを俺は聞いたことないし、そんな表情のお前を俺は見たことがない!何があったのか説明してくれ!」


ジョナサンがボクに詰め寄りながら問い質す。彼の好奇心スイッチを押してしまったとボクはすぐに後悔した。

彼のこの行動は研究の時もそうだが、始まると納得するまでとことん続くのでたちが悪い。

渋々ボクはハンカチを見せて今日噴水の前であったことを彼に話して聞かせた。


「その子を見たら涙が止まったと。彼女は東棟の方に行ったんだな? よし、その子探してやる」


ボクの話を聞いている間深く腰掛けていた椅子から彼は満遍の笑みを浮かべて勢いよく立ち上がった。


「はぁ!? お前こそ何言ってるんだ!ここには2万人もヒトが通ってるんだぞ!さらにアルビノイズを入れたら3万人いる!ヒトの女子生徒だけでも二万人はいるんだ!いくら顔が広いお前でも無理だ!」


ボクは少し声を荒げて答えた。

彼はいつも突拍子もないことを言うが、今回はあまりにも無謀な話だ。


「多分。大丈夫だ。大方予想はついているのさ。まぁ、任せときなって」


そういうとジョナサンは自分の服を持って部屋の扉を開ける。


「……どこに行くんだ?」


「さっきの子んとこ。嫌な思いさせちゃったからお詫びに今日はお泊まり♪」


 手をヒラヒラと振りながら鼻歌を歌ってジョナサンは部屋を後にした。


「もし……もし仮に見つかったとして、ボクはどうすれば……」





 大きな期待と少しの不安。

 気がつけば空には星が輝き出して、月が昇り始めていた。





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Pt.N ―プラチナ・ノイズ― シンヤ レイジ @Shinya_Leyzi

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