第四話「蜜月を過ごして」③
『あ、お母さん! お母さんもお婆ちゃんの昔話聞こうよ!』
『えー? それはお婆ちゃんに悪いわよ、ねぇ?』
『それくらい気にしなくていいさ。気分を悪くしないなら、いくらでも話すよ』
『そうですか? それなら、私も聞こうかなぁ』
仲睦まじく話していた孫とお婆ちゃんはすっぽりと体をコタツの中に入れていた。ちょっと離れていた所から話をしていたのか、画面の横から女の子のお母さんらしき人が入って来る。何処にでもいるようなお母さんだった。真っ黒な髪を一つに結び、シンプルな服を着ている。でも少し寒いのか、手を擦りながらコタツの中へと入って来た。
『昔の話さ。
『あ! お婆ちゃんの大好きな人だ!』
『そうさ。その人とどうしても話したくて、お婆ちゃんは毎日その書店に通ったんだ。本なんか読んだことないくせに、毎日一冊だけ買っていたんだ。それが、この本たちだよ』
シワシワになった指で本の表紙を撫でる姿は何とも言えない表情だった。この世にはいない人を思いを馳せているのだろう。八重菊春秋さんと同じように懐かしんでいるお婆ちゃんを見て、咲良さんと呼ばれた女性は質問をした。
『その人って、もしかして……』
『あぁ、咲良さんは聞いたことがあるかもしれないね。あの人のことだよ。ずっとずっと片想いしている。何十年と永遠に届かない遠距離恋愛さ。そんな私が想い続ける人はね、戦争で死んだんだ。そりゃあもう、ポックリとね!』
ケタケタと笑っている七草希叶さん。何十年と永遠に届かない遠距離恋愛をしていると聞いた時、八重菊春秋さんがギュッと拳を握りしめた。これまで見せなかった行動だったのでチラリと見たが、すぐに話始めたので映像に目を向けた。
『……戦争で亡くなるのは何と無く分かっていたさ。赤紙が来た時に思ったんだ。「あぁ、ついにこの日が来たのか」って。当時はお国の命令に逆らうことなんて出来なかったからね。元気よく送り出したもんよ』
笑っていたはずの七草希叶さんの口調が変わった。掠れた声が語尾に近づく度に小さくなる。何かを察したのか、何も言わずにジッと見つめる女の子。子供の方が大人の何倍も空気を読んでいるとは本で読んだことあるけど、本当なんだろうな。真っ直ぐにお婆ちゃんを見つめている女の子は、次の言葉を待っていた。
『彼が、春秋さんが帰ってくるまでの時間は長かったさ。いつも一緒に読んでいた本は面白く無くなったし、一緒に食べていたご飯も味気なかった。それでも帰ってくると信じていたんだよ。……でもね、彼が戦死した知らせを聞いた時は目の前が真っ暗になったんだ。そんな訳ない、きっと何処かで生きているって。本を読んで私を待っていてくれるって。でも、渡された万年筆と少しの骨を見て思ったんだ。「本当に、もう二度と帰ってこないんだ」って』
涙を流すことなく話していく七草希叶さん。あったことだけを淡々と話しているようだが、普通なら思い出すだけでも辛いんじゃないだろうか。だって、真横で聞いている女の子が口に手を当てて涙を流しているのだから。普段なら人に同情しない彼女が感情移入していることに驚きを隠せない私は尋ねた。
「大丈夫?」
「……うん、ごめん。なんか、私達って幸せだったんだなって、思ってさ」
「……まぁ、そう、だね」
私たちが幸せだった、と言うのは当たり前の生活が保証されていることと、戦争で誰かの大切な人が死ぬことはないと言うこと。今の所、日本では大きな戦争を起こしていない。平和ボケしていると揶揄されるのも仕方ないけれど、これが世界のあるべき姿ではないだろうか。涙を流した彼女にハンカチを手渡し、私は七草希叶さんの話に耳を澄ませた。
『彼が死んだと分かってからは、長いようであっという間だった。繰り返し両親には結婚しろだのお見合いしろだの言われたけれど、私はそれを全部断った。だって、私にとっての婚約者は彼、八重菊春秋さんただ一人だったもの』
「希叶、さん……そんな、まさか……」
『お婆ちゃん、ずっと一人で寂しくないの?』
「結婚、されてなかったんですね」
ガクッと膝から崩れ落ちた八重菊春秋さんは、両手を顔に当てていた。現世を映した最初の方では元・婚約者の七草希叶さんは結婚していると思っていたのだ。お婆ちゃん、と子供が呼んでいるのを見て誰もがそう勘違いをした。しかし、それは大きな間違い。彼女は、元・婚約者ではなくずっと彼の婚約者であることを誇りに思っていたのだ。
『寂しくないと言ったら嘘になるね。でも、こうして芽生ちゃんと咲良さんが遊びに来てくれたり、他の人とも元気にお話出来るからそこまで寂しいとは思わないよ』
『へへっ それなら良かった!』
芽生ちゃんと呼ばれた女の子の頭を何度も撫で、目を細くして微笑んでいる彼女は心の底から幸せそうだ。これ以上ない幸せなのか、それとも愛しの婚約者を思い出したからなのか。撫でられて喜んでいる女の子はまだ話を続ける。
『万年筆って、お婆ちゃんがいつも持っているペンのこと?』
『あれ、万年筆だったんですか?』
『そうだよ。あれは、私と春秋さんが初めてでぇとした時に買った物さ。私からの最初で最後の贈り物だったよ』
『そんな大切な物だったとは……』
唖然としている女の子のお母さんはきっと何度か見たことがあるのだろう。目を見開き、心底驚いているようだった。三人の様子を見ていた私も何十年も持っていたのか、と圧巻された。長い長い片想いの中で、その万年筆がどれほど心の支えになっただろうか。戦後で女性一人で生きることは今よりももっと大変で辛かっただろう。それを感じさせない彼女の逞しさに舌を巻くほどだ。
「彼女、本当に逞しいですね」
「……あぁ。昔からこんな女性だったよ。だからかな、僕が彼女に惚れたのは」
ポツリ、ポツリと流している涙は、木の床にシミを作っていた。彼女の勇姿を見ることが出来た喜びと、改めて彼女に惚れ直したのだろう。涙を流したまま、八重菊春秋さんは微笑んでいた。
「もう、大丈夫です。彼女の元気な姿が見れて良かった。僕が何もする必要なんて……」
『でもね、お婆ちゃん、天国に行ったらもう一度あの人に会いに行くのよ。あの人、私のこと忘れてないかしら。忘れていたら、もう一度書店に通わないといけないわね!』
通信を切ろうとした時、最後に彼女の言葉が流れた。生きている時も、死んだ後もずっと一緒にいることを決めていると。もし忘れていても、またあの日のように出会えたら、と。これを一途と呼ばずに何と言うのだろうか。誰かを想い、想われ、愛し、愛され。こうしてきっと人は愛情深くなるのかもしれない。
「あの、あくまでこれは提案なんですけど」
「はい?」
「何か、彼女に伝えたいことはないですか?」
「え?」
「えっと、一応、この鏡は現世に軽くなら介入出来ます。もしかしたら、七草希叶さんに届くかなって思って」
自分らしくない提案にパニックになってしまい、ペラペラと話を進めてしまった。いつもなら火糸糸ちゃんが言うことなのに、私らしくないのに。そんなことが頭の中で過ぎるが、もう引き返せない。あんなに酷いことを言っても優しく包み込んでくれるこの人には後悔して欲しくない、と一つの感情が生まれたのだ。
「あの、無理にとは言わないので……」
「いえ、ぜひお願いします」
「で、でも、伝わるか分かりませんよ?」
「伝わるか、伝わらないかではありませんよ。言うか、言わないかの違いだけです」
言い切ったお爺ちゃんは「よっこいしょ」と立ち上がった。ずっと座ったままだったのだが、何か振り切れた様子。覚悟を決めたようだったので私は「いいですか? 出来ても一回だけです。自分のタイミングで言ってくださいね」と身構える。八重菊春秋さんは頷き、深呼吸をする。
『よーし、春秋さんにお線香上げてから出かけましょうか』
『はーい!』
いそいそと準備を始めた彼女たちはこの後どこかに出かけるようだ。それを逃したらきっと彼女の耳に彼の声が入ることはないだろう。少し離れた所に置いてある古い写真と、小さな箱の前に三人が座った。線香に火をつけて、すぐに消す。煙が上に上がって行くのを見ながら刺し、目を瞑った。
「希叶さん、ありがとう」
彼が呟いた声はたったそれだけだった。聞こえたのだろうか、と三人で映像をじーっと見つめる。すると、数秒後にハッと顔を上げる七草希叶さんは一筋の涙を流した。
『春秋、さん?』
二人に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた後、ふっと口元を緩める。そして、『またね』と彼女は呟いて立ち上がった。シュンっと映像が消える。あの後、彼女がどうしたのかは分からない。しかし、あの様子だと声は届いていたはずだ。呟いた本人はと言うと、ポカンとしていたかと思ったら「は、はは」と笑い始めた。
「彼女らしいや」
ツーっと流れる涙はポタッと木の床に落ち、そのまま座れて跡は残らなかった。これ以上八重菊春秋さんは何も言わず、しばらくその場に立ったままだった。
*
ウィーン、と機械音が響く長方形の箱の中。火糸糸ちゃんと二人で地獄に戻っている最中だ。あの後、八重菊春秋さんに感謝されてその場を去った。その時に彼の机の上を見たのだが、七草希叶さんが持っていた物と同じ物が置いてあったのだが、それ以上何も言わずに戻ることに。終始静かだったツインテールの彼女は、いつもよりどんよりしている。
「まだ、落ち込んでるの?」
「……だって、愛した人が骨になって返ってくるなんて、思わないじゃん」
「そりゃあ、時代が違うからね。仕方ないんじゃない?」
変わらず冷静な私は心が無いかと言われたら、頷いてしまうだろう。だが、今回感情的になったことによって新しい発見を得ることが出来たのだ。閻魔大王様に命令されて行動しているだけなのに、こんなにも私の心を変えて行くとは思ってもみなかった。生前では絶対にありえないことだったのに。
「もしさ? 自分が現世の誰かに話をするなら、誰にする?」
「……さぁ? 誰だろうね」
ふと思いついたであろう疑問をぶつけられた私は、すぐに答えることが出来なかった。私にとって、そこまでの価値がある人間がいるのだろうか。思い出そうとすると吐き気を催すあの世界に。火糸糸ちゃんにいつもなら聞き返すのだろうが、今回はそんな気にはならなかった。
もうすぐ着くであろう『地獄行き』の文字がピカピカ点滅している。これから待っている報告書に対する気持ちなのか、今の質問に答えられなかった自分に対する嫌悪感なのか。ズンッと足が重くなったような気がした。
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