第五話「がらんどうを恋い慕う」①
愛情深い人がこの世にもあの世にも存在している。
そんな事を思い知らされたからには、きっと私の幻想では無いのだろう。決して向けられる事のなかったものに対して何か思うことがあるのか……と言われても、今の所は思いつかない。
「ちょっと! 最近、私達の扱い雑じゃない? もう少し恩恵があっても良いと思うんだけどー?」
「いやいや、わしも忙しいんだからこんな所まで来ないでよ。ここ、一応裁きを行う場所なんだけど?」
「そんな事知らないよ。ほら、心艮も何か言ってよ!」
「えー……」
一人で感傷に浸っていたのにも関わらず、目の前で行われているのは火糸糸ちゃんと閻魔大王様との話し合い、と言うよりほぼ口喧嘩。ドンっと大きく構えている閻魔大王様に向かってこんな口を利くのは早々いないだろう。まぁその早々いない中に入っているのがツインテールがトレンドマークの彼女なのだが。
今は休憩中のようで裁かれるべき亡者はここにはいない。久しぶりに来たな、と辺りを見渡していると唐突に話を振られたのだ。
「だって君さぁ、自分で『面白そう!』って言って突っ走ったじゃん。わし、何も悪くなくない?」
「えー、そんな事言ったー? 覚えてなーい」
「くっ 何でここまで太々しくなったんだ……」
杓子を持った閻魔様が拳を握り締めている。プイッと外方を向く彼女は隣にいる職員さんが顔を真っ青にしているのが見えないのだろう。心底同情します。心の中で唱えながら手を合わせていると、「あ、ここにいた!」と聞き慣れた声が聞こえた。
「ちょっと! ちゃんとあの部屋にいてくれないと困るじゃない! 勝手に外に出て、しかも裁きの間まで来て!」
「うわー、
「いや、わし悪くないぞ?」
ドスドスと音を立てて近付いて来た彼女は鬼気迫っている顔をしている。私も流石にビクッとしたが、そんな事を全く気にする様子を見せない火糸糸ちゃん。分かってはいるけど彼女の図太い精神には感服するばかりだ。サラッと閻魔大王様に責任を押し付けているが、眉一つ動かさないので閻魔様は既に諦めている様子。しかし、その間に割って入って来た十五夜さんが許す訳もなく目の前まで来て立ち止まった。
「ほら! また依頼が来たんだから早くこっち来て! 戻って話をしますよ!」
「えー、無理だよ。だって今、閻魔様と話しているんだもん」
「だもん、じゃありません! 今回の依頼はすぐに行かないといけないの! て言うか、そう簡単に閻魔大王様と会わないの! 珍しさがなくなるでしょ!」
「いや、気にするのそっち?」
話を聞いていて思わずツッコミを入れてしまったのは仕方ない、と思いたい。閻魔大王様に会えるのが珍しいのは分かるけど、頻繁に会っては駄目な理由があまりにも面白すぎる。あれかな、珍しい物を毎日見ると珍しいと思わなくなるって感じかな。
頭の中で一人妄想していると、「わし……珍獣?」と自分を指差す閻魔様。しかし、彼の言葉は二人の耳に入る訳は無く、その代わりに周囲にいた職員さんが「そんな事ないですよ!」と必死に励ましていた。
「ここ最近、現世の災害のせいで亡者が増えてるの! 一応、閻魔大王様は偉いお方なんだから負担かけないで!」
「仕方ないなぁ。心艮、行こっか」
「あ、うん」
プクゥと頬を膨らませて抵抗をしていた火糸糸ちゃんは私の手を引っ張った。一連のやり取りを見ていた私は完全に置いてけぼり。十五夜さんも必死に説得した後だからなのか、一息ついて「じゃ、こっちに来てね」と私達を手招きする。
そんな中、彼女達の話をきいちた閻魔様は半泣きになりながら「わし、一応偉いの?」と職員に聞いて、聞かれた彼らはオロオロしていた。そんな彼らを横目に私は十五夜さんが案内する場所へと足を動かした。
「今回はかなり急ぎの依頼なの。ほんの一時間前に来たばかりで、今すぐにでも来て欲しいって」
「そんなに急ぎなんですか? いつもなら時間をかけて決めたりとか……」
歩いている最中に話を進めるのはそんなにない。だって、個人情報がもろに書いてある書類や内容を持っているのだ。現世だけでなくあの世でも個人情報の管理は厳しいので、今のように他の人に聞かれる可能性がある中で話すことはない。
率直に思った事を聞くと、少し顔を歪める十五夜さん。複雑な気持ちなのは察することが出来たが、その原因は依頼者のせいなのか依頼内容のせいなのかまでは分からなかった。
「……ちょっとね、訳ありなのよ。でも、依頼主は悪い人ではないわ。安心して」
数秒の沈黙があったのだが、最後はニコリとこちらへ微笑んだ。なるほど、依頼者は悪い人ではないのか。自分の中で納得する。しかし、依頼内容があまり良くないのかなと身構えてしまうのは仕方ない。私の隣で話を聞いていた火糸糸ちゃんも「依頼者は、ねぇ」と意味深な発言をする。
今日はくるくるに巻いてあるツインテールの端を持ち、何処か違う方向を見ている。考え事をしている癖なのかな、と最近気づいたので特に何も言うことなくただひたすら十五夜さんの後ろを付いて行った。
見慣れた景色が見えて来た後、いつもの部屋に入って席に座ることなく書類を手渡される。何気なく手を出して受け取ったのだが、いつもと違うところがあったので固まってしまったのだ。その違いについて私よりも先に彼女が口を開いた。
「ねぇ、いつもよりちょっと、っていうか大分多くない?」
「そうね。今回はいつもより多いわ」
「ふーん。これ、全部目を通した方が良い?」
「……任せるわ。出来たら読みながら向かって欲しいかな。じゃあ、私は他の仕事があるからね!」
手を振って「バイバーイ」と去って行く十五夜さんは無理やり明るく締めたように見えた。いつもならもっと気の強いイメージがあるのだが、今日はそんなに勢いがない気がする。気が弱くなった、のではなく何かに遠慮している。この異様な雰囲気に私は十五夜さんが出て行った出口を見ていると、「うわ……」と彼女らしくない声が聞こえた。
「火糸糸ちゃん? どうしたの、そんな声出して」
「いや……まぁ、いいや。とにかく天界に行こうか」
「え? わ、分かった」
くるくるに巻かれたツインテールを触っていた手が止まっていた。火糸糸ちゃんが見つめる先には渡された分厚めの書類。まだ一ページ目しか読んでいない私は何も分からないまま部屋を出た彼女の後ろに付いて行った。
廊下をスタスタと歩いて行く姿を見ながら依頼者のことを考えた。どんな人なのかも分からないが、とにかく急いでいるらしい。私の中ではそれしか情報がないので頭の中はクエスチョンマークだらけ。エレベーターに乗ってから見ようかな、と考えていると前を向いたままの火糸糸ちゃんが口を開いた。
「あの、さ。この前、質問したじゃん?」
「え? あぁ、自分が現世の誰かに話をするなら誰にするかって話?」
「そう。私だったら、自分の両親かなって思ってさ」
「両親、ね」
言葉は知っているけど、どんなものなのかは分かっていない。他の人もあるのではないだろうか。言葉は知っていて意味もなんとなく分かってはいるけれど、それが一体どんな存在であるのかが分からないこと。私にとって『両親』がそれであり、彼女にとっては当たり前のことなんだろうな、と生前の格差を感じた。
流れる廊下の景色は止まり、目的のエレベーターへ到着した。変わらず長方形の箱の形をしているそれを見てまだ生きているような心地になる。現世にもある物があの世でもあることに違和感を抱くのは仕方ない、はず。私が言葉を詰まらせていると、火糸糸ちゃんはこっちを見ずに聞き返す。
「心艮は?」
「わ、私は……」
チーン、とエレベーターが来たことを知らせる音が響く。タイミングが良いのか悪いのか分からないが、遮られたことに少しホッとした。開いた扉からは誰も出て来ず、空っぽ。この前のようにぶつかってくると危ないよな、と思い出して二人でエレベーターに乗り込んだ。
「そうそう。さっきの書類、今の内に読んだ方が良いよ」
「分かった」
ガタン、と一度大きく揺れると動き始める長方形の箱。そう言えば、かなり老朽化が進んでいるから新しくしようか悩んでいるって十五夜さん言ってたな。予算があるから抑える所は抑えないと、とブツブツ言っていたのを思い出す。彼女達の行動というか、あの世での管理の仕方を見ていると現世と然程変わらないんだなぁと実感する。
私はこの前から持ち歩き始めたカバンの中から書類を取り出した。いつもより分厚い紙束を持って文字を目で追う。
「依頼者は……『
「違うよ。その数ページ先を見て」
声に出して情報を読み上げた後、何気無く写真を見る。写っている女性は穏やかそうな人で、まさに『お母さん』と言う言葉がピッタリだ。一つに髪を結んでおり、白髪混じりなのを見ると歳を重ねていることが窺える。そのページから数枚紙をめくって行くと、長々と書かれた文章。みっちり書かれている文字の羅列に目を動かす。
「何、これ……」
「多分、それが理由だよ。依頼内容が『最近死んだと聞いた旦那様に会いに行く』っての」
「……そう。仕方ない、かもね」
自分の心臓がいつもより速く、そして嫌な跳ね方をする。そこに書かれているのは彼女が生前経験して来た苦行の数々。その中のほとんどが彼女が言う旦那様に関してだった。一ページだけかと思ったのだが、旦那様と言われる人間の悪行はまだまだ数枚に渡って書かれていた。気が重くなる内容と、生きている心地がしなかったであろう彼女の立場を想像したら背筋が凍る。
自分自身も人に恵まれた人生ではなかったけれど、あの世界には私以外にもこうして苦労している人がいるのだと知った。紙をめくるスピードが止まらず、結局私は最後までその内容を読んでしまった。最後のページを読み終わった後、何とも言えない気持ちになり口を閉ざす。
「もうそろそろ着くよ。どんな人かなんて分からないけど、気を引き締めよう」
「……うん」
重苦しい雰囲気の中、火糸糸ちゃんが逞しく見えたのは気のせいじゃない。これから起こることが良いことなのか悪いことなのかも分からないのだ。珍しく不安が顔に出たのか、年上らしい所を見せられたので私はただ頷くだけ。そんな私たちの空気を見兼ねてか、軽い音が鳴った後扉が開いた。
今回はどうやら天界の出入り口近くに出たらしい。頂上が見えない門が目印なので覚えているのだが、何故ここに出されたのか。最近知ったことだが、天界の中でも出入り口の近くに誰かが住んでいることはないらしい。色々事情はあるらしいが、時々何かの拍子で地獄行きになった亡者が逃げ出してくるのだとか。
その為、出入り口付近は危険地区とされている。そんな所に出されたので不思議に思いながらも降りると、門の近くに誰かいるのが見えた。
「あれ、誰かこっちに手を振ってない?」
「あ……この前の、人?」
目を凝らして見てみると、そこに二人立っていた。同じくらいの背丈で一人はこちらに向かって手を振っている。その一人が前回エレベーターでぶつかった女性だった。私よりも小さい彼女を確認してから手を振り返す。彼女達の方へ向かって行けば良いのかな、と考えて火糸糸ちゃんと一緒に足を動かした。すると、私達の行動に気づいたのか隣の女性と何かを話した後こちらに近づいて来た。
「すみません! こっちまで来て貰って!」
「大丈夫ですよ。えーっと……?」
「あ、私、
駆け足で来てくれた彼女はこの前と同じように頭を下げる。肩まで伸びたふわふわの髪の毛が揺れ動き、コミカルに動く彼女を見て小動物を思い出した。吉糸と名乗った彼女は「あ!」と何かを思い出したようで少し後ろにいる女性に振り返る。
「すみません、藤原さん! 今回、お手伝いをしてくれるのは彼女達です!」
「あらあら、忘れられているのかと思いましたよ」
「す、すみませーん!」
ふふ、と微笑んでいるお婆さんは只者で無さそうだ。ペコペコと頭を下げている吉糸さんは何度も謝っている。写真を見てはいたが実際に会うとかなり雰囲気が違う。言葉には出来ないけれど、圧倒されてしまう空気を持ち合わせている。何か話そうにも躊躇ってしまうなぁと思っていると、「改めまして!」と話を再度切り出した吉糸さん。
「今回の依頼はこの方、藤原敦美さんです! すでにこちらの準備は整っているので、早速移動をお願いします!」
「はいはーい。よろしくお願いしまーす」
緩く返事をしたのは火糸糸ちゃん。いや、よく聞いたらいつものようなタメ口の返事ではない。敬語を話している彼女を見たことがないので私は目を開いて隣の彼女を見る。格好は相変わらずだが、いつもならツインテールを弄っているのに手を前に添えていたのだ。やはり自分より先に生まれて数年長く生きていたんだなぁと思い知らされるが、今はそれどころではない。
「よろしくお願い致します」
「あ、こ、こちらこそよろしくお願い致します」
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。あなた達はただ、隣にいてくれるだけでいいの」
「そ、そうですか……?」
私も私で体がガチガチに緊張してしまい、言葉を詰まらせながら頭を下げた。本来なら私が言う台詞を彼女の言わせてしまったし、『隣にいてくれるだけでいい』と言い微笑んだ心の中は読めない。何故か疑問形で聞いてしまった私は言葉に困っていると、「じゃあ、行きましょうか」とエレベーターがある方向へと足を動かした。
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