追想の刻

@Rainpul

追想の刻

 今更ながら、何故こんなことをしているのか自分でも分からなくなってきた。

 久しぶりに入る中学の校舎は特別な空間に思えた。長くなかったはずの廊下は奥が暗闇に包まれ、果てしなく続くように思え、誰もいない静かな教室は微かな音を拾い、吐息や足音さえ小さくどこまでも響き渡る。

 一番近くにある椅子を引き、腰を下ろす。黒板にはクラス目標や今週の予定などが色々書いてあり、一頻り眺めてからフゥと息をつく。高校は黒板ではなく、ホワイトボードを使っていたので、黒板を見るだけでも久々だなと物思いにふけ、机の傷を見ながら、もっと丁寧に使えよと苦言を呈する。

 いや、こんなことをしてる場合ではないのだ。改めて自分の周囲を見渡す。黒板の上の丸い時計が時刻を告げている。短針が天辺を超え、僅かに右に傾く。無断で校舎に入り、気がつけば日を跨いでいた。

 何やってんだ、俺。

 ただの散歩のつもりだった。少し考え事をする時によくする深夜徘徊。悪いことをするつもりなど毛頭ないのだが、人とすれ違う時はドキドキし、警察に見つかると嫌だなとキョロキョロ首を振ったりする。思えばこの不法侵入の始まりは、少し遠回りでもしてみようと思い、いつものルートを外れて、なぜか開いていた校門を見つけてしまったのがきっかけだった。いや、違う。きっかけと言うならば、散歩をする理由の方か。

 喧嘩というにはあまりにも幼稚な言い合いから始まったことは覚えている。内容は覚えていないが、他の人からしたらそんなことで喧嘩するのかと鼻で笑われるようなことではなかっただろうか。しかし、その一件から連絡を互いにしなくなりもうどのくらい経っただろうか。中学、高校とクラスは一緒になったことはないが、ここまで連絡をとらないのは初めてのことだった。

 自分が悪かったとは思えない。どんな喧嘩か思い出せないレベルのものではあるが、引け目や悪気があれば、もう少し覚えててもいいものだと思う。それは逆も言える。あいつが悪かったとも思っていない。あの時はその場の話の流れで一時的に言い合いになったが、今でもあいつが悪いと思っているなら、やはり少しは覚えているものだとも思う。つまりは、些細な言い合いからわだかまりが出来、どうすればいいのかわからなくなっているんだった。そうこう考えている間に、中学を見つけて、物は試しと校舎に入ってしまい、今に至る訳か。

 何やってんだ、俺。

 こんなところを見つかれば、もちろん注意だけで済むわけがない。警察を呼ばれ、両親にも連絡がいくかもしれない。周りにもこんなことをバレたら今まで築いていった関係にも影響しかねない。先月彼女が出来、順風満帆になってきたと思っていたのに、中学の不法侵入で別れるなんて恥ずかしすぎる。

 机に手をつき立ち上がる。うじうじ悩んでいても仕方ない、こういう性分なのは昔から変わらずだが、いつまでも悩むのも自分らしくない。仲直りしたいなら連絡の一つでも取ればいい。その内容はなんでもいいのだろう、思ってもいない前回の謝罪からでも良いし、何事もなかったかのように遊びに誘うのもいい。関係を戻したいと心の奥底では思っている。なのに連絡を未だに躊躇ってしまうのは年齢のせいなのだろうか、変な見栄があるのか謎のプライドが邪魔するのか、スマホの画面は連絡先を開いたまま変わらずにいる。

 教室を出て、来た道とは逆の道から出口に向かう。どうせここまでやってしまっているのだ、せっかくなら最後に少し探検したって罰は当たらないだろうと歩を進める。

 記憶通りというか案の定、先が見えなかった廊下はあっさりと突き当りにぶつかり、階段を下に降り始める。

 昔、学校の怪談なんてものがクラスで流行っていたのを思い出す。トイレに理科室や音楽室、図書室に幽霊がいるなんて囃し立てては、存在するかも分からない物の気たちに小さな子どもたちは恐れていた。

 あの時は聞くのも嫌だった怪談話ではあったが、年齢を重ね、未知の幻影にむしろ会いたいとすら思えるユーモアさを持ち合わせ始めた。どうせ見つかるなら、警備員などより、中学にいる魑魅魍魎たちに見つかりたいものだ。自分が怪談の被害者となり語られるなら、それはそれで愉快な話になるのではないだろうか。そんな妄想にふけながら階段を降りきる。

 当時は無かったのか、それとも忘れてしまったのか、階段を降りきった場所には自販機が置いてあった。低く唸るような機械音が聞こえず、いきなり現れた自販機に少し面喰らった。

 見つけた記念にと財布を取り出し、飲み物を一つ購入する。ガタンッと商品が落ち、買ったブラックコーヒーを手に掴む。中学の自販機にブラックが売っているとはと苦笑する。この味を美味しいと思う中学生がいるとは思えない、もしやこの自販機で初めてコーヒーを買ったのではなかろうか。コーヒーを口に付けながら、またも変なことを考えてしまう。

 そういえば昔、あいつと自販機でもくだらない喧嘩をしたこと思い出す。あれは何だっただろうか、どんなことで喧嘩したのだっただろうか。お釣り…、いや、買い間違い?あっ、思い出した。奢るかどうかで喧嘩になったのだ。どちらかがジュースを奢れと言った。それに対して、前回奢ったのは自分なのだから今回は自分の番だ、みたいな始まりだった気がする。それが始まりとなり、関係ない言い合いに繋がり、口を利かなくなったのだった。高校という小さな世界で今までずっと話していた相手と話さなくなるのは居心地が悪く、あの時期は高校に行くのが億劫だったなあ。あの時も謝るのが、ばつが悪くズルズル時間が過ぎていき、ギスギスした関係が続いた。あれはどうやって仲直りしたのだったか、今とは違い、同じ高校に通っているのだから、どちらかが何となく話し始めたのだったか、それとも、どちらかが謝ったりしたのだったか。

 コーヒーを傾け、中身を飲み切る。何の気なしに入った母校ではあったが、忘れていた思い出をいくつか振り返れたのは、何だかんだ良いものだった。今なら送れずにいた連絡をとることも出来る気がする。

 飲み切った空き缶をゴミ箱に放り投げる。しかし、空き缶はゴミ箱の角に当たり、少し浮いた後、カランッと音を立てて地面に落ちる。不法侵入ということを忘れ、大きな音を立ててしまったことに少し焦る。落ちた空き缶を拾い、耳を澄ます。変わらず自販機の機械音がするのみで足音などが聞こえることはなかった。警備員などもいないのかもしれない。この中学にオッサンが一人いるだけで、勝手に焦っている構図はお化けたちからすれば、とんだピエロに見えているだろう。

 誰もいないと思ったら、急に驕りが生まれ、胸ポケットに入れた煙草に手を伸ばす。咥えた煙草に火をつけ一服する。不法侵入だけではなく、校舎で喫煙を始める。いよいよ見つかれば無罪放免というわけにはいかないだろう。しかし、そんな背徳感がむしろ気分を高揚させていた。

 煙草を咥えながら、一階の廊下を歩き始める。先ほど逆端の入り口から入ったのだから、そこに着けばいよいよこの短い探検の終わりとなる。

 臭いは既に無理だが、流石に煙草の灰が廊下に落ちてしまっては問題となるのではと空き缶を煙草の灰皿にしながら、ゴールに向かって進み続ける。友達と喧嘩をし、悩み、その結果、不法侵入からの喫煙。馬鹿のW役満みたいなことを30過ぎたオッサンがよくもまあするものだ。こんなことをするくらいなら喧嘩した相手に連絡を入れる方が数倍いい。無事に何事もなく校舎を出たらあいつに連絡しよう。こんな恥ずかしいことをしてしまったことは言えないが、過去話をあいつとまたしたくなった。そう決心し、まだ半分も吸っていない煙草を空き缶に押し込み、前に見えた出口に向かう。

 ヴヴヴ…、ポケットに入れていたスマホがバイブする。こんな真夜中に連絡が来るなんてと思い、画面を開く。少しその場で立ち止まり、思い出し笑いをした。


「なあ、ハンバーグを食いに行かね?」

「はぁ?」

「駅前に新しくできた店あるじゃん、あそこ学生証持っていったら、ハンバーグ二倍になるらしいんだよ」

「マジかよ」

「お前ハンバーグ好きだったろ。だから一緒に食いに行きてえなと思ってさ」

「サンキュー、めっちゃ腹減ってきたわ」

「じゃあ部活終わったら校門集合な」

「おっけ」


 来たメールに返信する。ちょうど明日は仕事終わりが暇だったのだ。昔話の一つや二つ話せる程度にネタも出来てしまった。同級生に会いたい気持ちもあったのだから渡りに船なタイミングだ。思わず笑みも零れてしまった。

 再度スマホがバイブし、画面を見る。俺の好きな酒がいくつも置いてある店を予約してくれたのか、値段もリーズナブルだし、悪いところが見つからないな。軽く返信を返し、スマホをしまう。

 その後こそこそしながら校舎を抜け出し、鍵の掛かっていなかった校門を開き、閉じて中学から出ていく。誰にも話すことが出来ない冒険だった。いい歳した大人が語るにはとても幼稚で恥ずかしい物語。こんな作品は世に出ることなく、人知れず消えていくだろう。

 翌日、考えたら3週間ぶりの旧友と会い、話に花が咲いた。何度したかも分からない家族の話に、中学や高校の時の過去話。仕事の話など年齢にあった話もしながら酒を酌み交わした。そんな中で彼が恥ずかしながら語った話は興味深かった。昨日、なぜか中学や高校の卒業アルバムを開いたらしく、写真などを見ていろいろ思い出していたらしい。そして読んだ中学のアルバムの最後の欄に将来の夢など書いたページがあり、彼の夢は一緒にお酒を飲み合う友達がいて、一生友達であり続けたいと書いてあったそうだ。将来の夢というにはあまりにも変わった夢だなと返すと、俺の将来の夢の欄を撮った写真を見せてくれたが、人のことを言えないことを書いていた。

「何度喧嘩しても仲直りして互いに高め合う存在と友達であり続けたい」

 先生からしたら随分とませた生徒と思われただろう。昔の行いに少し恥ずかしくなる。昨日の行動と相まって、素直さが欠けていったなと実感する。

 酒を呷りながら、目の前のハンバーグに舌鼓をうち会話を続ける。そして目の前の友達から、確か怪談話好きだったよなと前置きしてから、今年から中学生になった娘から聞いたんだけどと話を続けた。

 三分弱くらいに纏めて、彼は娘から聞いた話を面白おかしく話し聞かせてくれた。話を言い終えた彼はどうだ面白くないかと、俺の反応を確認する。そんな彼に対してそうでもないかなと、お酒に少し酔い、頬が紅くなり始めた顔を背けながら返事を返す。

 彼の話を聞いて思い出したが、彼の娘が中学生になったのは知っていたが、どうやらその中学というのが俺らと一緒だったらしい。まぁ地元からどちらも動いていないし、私立などに行かないのであればあり得る話だ。言ってしまえば後輩にあたる彼の娘の中学校には、俺たちの時と同様に怪談話が流行っているらしい。今まで聞いたことある話がある中で、初めて聞いた話が一つあった。

「で、これは今日生まれた怪談話らしいんだけど、あの中学校の一階に笑う火の玉が出たらしい。昨日、夜中に帰っていたサラリーマンが中学校の前を通ったら火の玉が見たらしくて、それが低く笑ってたんだってさ。慌てて帰って、息子に話したら馬鹿にされたらしいんだけど、今日その息子が学校行ったら、廊下からお香を焚いた臭いみたいなのがしたらしくて、あれは誰かを弔う火だったって言われてるらしい」

 今日はまだ一度も吸っていない煙草を胸ポケットから出し、カバンにしまった。この店に来てから数時間は経った。そろそろ二軒目にでもどうだと次の店を促し、店員に声をかける。少々お待ちくださいと返事をし、厨房へと消えていく。

 前回の反省を活かし、割り勘を提案すると相手はそうだなと少し気まずそうに笑った。お互いに馬鹿馬鹿しいことで喧嘩したことを思い出し、そのことに触れないあたり成長なんて中々出来るものではないなと感じ取る。

 会計を終え、店を出る。次の店とは言ったものの予定を決めずに出てしまったため店選びからやり直さないといけない。行きたい店はあるかと聞くと任せるよと一任された。早めから飲み始めてしまったため、時計を見るとまだ八時にすらなっていなかった。しばらく考え、一つ思いついたがあまりの浅はかな考えに少し躊躇してしまう。そんな態度を閃いたと勘違いしたのか、店決まったかと声をかけてくる。迷ったが意を決し、店を提案すると、彼は少し驚き、失敗したかと少し後悔したが、笑みを浮かべてちょうど食べたいと思っていたんだと快諾してくれた。男二人が歩き始め、道中にまた何度したかわからない会話を再び始めながら、街へと消えていった。


「ハンバーグ美味しかったな」

「おう、もう食べきれねえくらい食べた」

「良かった」

「たださ、俺、もう一つ食べたいものあるんだけど」

「何?」

「あのさ…、一緒にケーキでも食べに行かない?」

「えっ」

「…嫌だったか?」

「ううん、行きたい。俺、モンブランが一番好きなんだ」

「だったら俺、いい店知ってるから、連れて行ってやるよ」

「ありがとう」

「うん。じゃあ、行こう」

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