おじいさまの記録

ちかえ

祖父の学習日記の中身は

 全然分からない。


 小難しい単語ばかり書いてある魔法書を先ほどから読んでいるが、さっぱり理解出来ない。


 初級から上級と謳っている本なので、最初の方はとても分かりやすかった。でも、第九課あたりから急速にレベルが上がったのだ。


 今は第十課を勉強している。でも、ただ、文字を眺めているだけという気がするのだ。

 一昔前の本だからか、わけの分からない言い回しだらけだ。それとも僕の読解力が低すぎるのだろうか。可能性はなくはない。


 僕の買ったもっと簡単な本が読みたい。この本に入るのはそれらを全部読み解いてからでも遅くないのだ。


 なのに。


「なあ……」

「駄目だ。あんな低俗なの!」

「あ、はいはい」


 何故か僕の騎乗用のユニコーンがそれを許してくれない。


「大体、お前が職場の先輩? に見られて馬鹿にされるのが嫌だというから騎乗の練習を暗くなってからにしてるというのに、お前というヤツは……」

「ああ、はいはい」

「何だ、その態度は! ちゃんと主人を敬え!」


 本来はただの乗り物なはずなのに、僕を馬鹿にして主人面してくるひどいユニコーンを軽くあしらう。


 僕はマナの扱いが下手だ。一度に大量のマナを込めて害獣を一気に倒すような簡単なものなら得意だが、細かいコントロールになるとすぐにポンコツになってしまう。


 ユニコーンの騎乗も細かいマナを操るので、僕は何度も彼に迷惑をかけた。


 その彼の負担を少なくするべく、こうやって仕事が終わるとすぐに家に勉強しに帰っているのだけど。


 はぁ、とため息を吐く。これでは集中出来ない。


 何か、参考書のようなものはないだろうか、と書庫を歩き回る。ここは元々は亡き祖父の書庫だった。今、僕が勉強に使っている本も祖父の蔵書だったものだ。


 本を一冊一冊出してはめくる。でも参考書のようなものはない。


 ふと、一冊の本が目に入る。これだけ他の本よりかなり薄い。おまけに表紙にタイトルも書いていない。


 何だろうと思い、表紙をめくってみる。


「……おじいさま」


 つい、そうつぶやいてしまう。


 それは祖父の日記だった。それも僕が先ほどまで読んでいた本の勉強記録日記である。感想や実践課題をやってみた結果などが祖父らしい達筆で分かりやすく書いてあった。


 日付は五十年ほど前のものだ。あの本はそんなに昔からここにあったらしい。それでも痛んでいないのはこの部屋に満ちるマナに守られていたからだろう。



五の月 一日

本日から「マナのすべて——初級から上級まで——」を一日二ページずつ学ぶ事にする。



 日記は決意から始まっている。一課が六ページだから、三日で一課を学ぶという事か。


これを読めば今までの復習も出来るし、十課から先は解説本になってくれる。


僕は素晴らしいものを手に入れた。


***


 と、思っていた。



五の月 二十八日

難しすぎて理解が出来ない。まだわたしには早すぎたのだろう。今度は別の本で学んでみよう。

記録はここで終わりとする。

もう知らん!



「……おじいさま」


 なんとも情けない記載に唖然とするしかない。


 しかも、なんでよりにもよって第十課で投げ出したんですか、おじいさま!


「あっはっはっはっはっはっは!」

「うるさいよ!」


 僕の隣では、一緒に日記を読んでいたユニコーンが笑い転げている。


 ずるしようとした罰が当たったのかもしれない。


 それでもあの日記自体はよかった。かなり事細かに勉強していたのが分かるし、練習問題の実践をやろうとしたら友達が遊びに来て中断されたという話もとても面白かった。


 おじいさまでもあんなに文句を言う事があるんだな。


 僕の知る祖父は物知りで完璧超人だったのに。記憶の中の祖父とあまりにも違う。


 でもこれは、裏を返せば親しみやすいということだ。


「そういえば」


 ユニコーンが口を開いた。いきなりどうしたんだろう。


「何?」

「今日は五の月の二十八日だな」

「え?」


 まさか、と思ってカレンダーを見る。確かに五の月の二十八日だ。


 どういう偶然なのだろう。


「……お前がおじいさまのフリしてこれを書いたんじゃないよな?」

「そんなわけあるか! お前のじーさんなんか知らん!」


 冗談めかして聞いてみたら機嫌を損ねてしまった。この質問はいけなかった。素直に謝る。


 では、これはやはりただの偶然なのだ。


「お前が続けたらどうだ?」


 ユニコーンの言葉の意味がよく分からない。どうして僕が続けなければいけないのだろう。大体、これは僕のではなく祖父のものだ。


「ちょうど同じ所だし、日付もかぶってるし。大体、頁がもったいない!」


 最後の言葉に『ごもっとも』と心の中で返事をする。薄いとはいえ、二百ページ以上あるノートが半分もいっていない所で止まっているのは本当にもったいない。


「でも、これはおじいさまの大事な日記だし……」

「その『大事な日記』を投げ出したヤツには何を言う資格もないぞ」


 言い過ぎな気がする。本当に口の悪いヤツだ。


 ……ま、いっか。


 そっとペンをとり、おじいさまの最後の記述の後ろに自分のフルネームを記す。これで、このノートは僕のものになった。


 なんか大事なものを汚したような気もするが、書いてしまったものはしかたがない。心の中で祖父に謝っておく。


 それにしてもなんだか悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。祖父でさえ、学ぶのに苦労したのだ。僕が分からないのは当たり前だ。


 急がないでゆっくりやればいい。勉強に近道なんてないのかもしれない。


「なんかお腹すいたね。そろそろ夕食にでもしようか。今日はいい鶏肉を買ったから……」


 マナで粉砕してひき肉料理にでもするか、と考える。細かい作業なので込めるマナには気をつけなければいけない。


「トマト煮にしてくれ!」


 なのに、ユニコーンからリクエストが来た。つい笑いが漏れる。彼は鶏肉のトマト煮込みが大好きなのだ。


「わかった」


 そう言って台所へ向かう。


 でも、もしかしたら僕もいつか投げ出しちゃうかもしれない。そうならないようにゆっくり勉強しよう。


「毎日見張っているからな」


 ユニコーンがそんな事を言って来る。ノートを使いきれ、と言われてるのだ。


 それはとても頼もしい。


 僕は歩きながら小さく笑った。

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おじいさまの記録 ちかえ @ChikaeK

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