絵日記なんて面倒だけど

もったいないから絶対描かない

 小学生の頃、アサガオ観察絵日記って宿題あったな。


 毎日早起きしてアサガオの様子見て絵に描いて、せっかくの夏休みなのになんで早起きしなきゃいけないの?って結局一回も早起きできなくて、全部夏休み最後の日にまとめて描いてた。


 あのときもお母さんに怒られながら、半べそで描いたっけ。


 今は笑える思い出だよね、なんて普通は思うのかもしれないけど、残念ながら私は全然笑えない。


 だって大学生になった今も、絵日記と格闘しているから。


「あー---もう無理あと1ページなのに」


 時刻は午後11時。夏休み最後の日。


 網戸にしている部屋の窓から生ぬるい風が入ってくる。めんどくさくてしばらく切りに行っていない髪が汗ばんだ顔にひっついてきてうっとおしい。数時間前から同じページを開いているノートは、当たり前だけど真っ白のまま。ああ見たくない見たくない…。


 なんか急に部屋の片づけしたくなってきた。なんでやらなきゃいけないことがあるときって、他のことに気が向くんだろ。


 大体、大学生になってまで絵日記描いてこいなんて先生酷くない?しかも私だけとかさあ。そりゃ課題何個かすっぽかしたけどさ、罰として夏休み中全日絵日記描いてこいとか、小学生じゃないんだから。


 なんかもうどうでも良くなってきたな…。とりあえず最後の1ページ以外は描けたし、もうこれで提出してやろうかな…。


汐里しおり、いる?」


「はいはい~って、ん?…すばるくん?」


 ドアの前から、聞きなれた声がする。


 昴くん…?いや、就職して東京で一人暮らししてるはず。帰ってくるなんてお母さんからも聞いてないし。でも、この声は絶対昴くんだ。間違えるわけない。


「いてっ」


「あ、ごめんそんな近くに立ってるとは」


 勢いよく部屋のドアを開けたら、思いのほか近くに立っていたらしく昴くんに思い切りぶつかってしまった。


 まだぶつかった鼻をさすっているが、間違いなく昴くんだ。


 1年ぶりに会うけど、全然変わってない。私にやにやしちゃってないかな。


「なんでいるの?いつ帰ってきたの?」


「とりあえず部屋入れてくれ」


 背の高い昴くんが、頭をぶつけないように片手でドアの上枠を抑えて部屋に入ってくる。いつも通りだけど久しぶりの光景。


 昴くんがまだ隣に住んでたときは、ほぼ毎日この光景見てたのにな。親同士仲良くて、しょっちゅうお互いの部屋行き来して遊んで。2年の歳の差って大きいな、大学生と社会人って中々会えないもんだ。


「いつこっち帰ってきたの?」


「さっき。一応汐里にも連絡入れたんだけど、見てない?」


「え、うそ」


 あ、そっか。スマホが近くにあると絶対いじっちゃうから、絵日記が終わるまではって机の引き出しにいれたまんまだ。


「急に夏休みもらえることになったから帰ってきた」


「え~~今日から!?私明日から学校なんだけど」


「しかも課題終わってないんだろ?」


「…お母さんか」


 お母さんってば余計なことばっか昴くんに言うんだから…。


「なんの課題?」


「…絶対笑わない?」


「笑わない笑わない」


 …とか言って絶対笑うんだろうな。部屋に入って3秒で寝転んで、勝手に人のお菓子開けて食べ始めてるし。こうやって人の話聞いてるんだか聞いてないんだかわかんないとこも、小学生の頃から全然変わってない。


「絵日記」


「あ?絵日記?」


 どうせ聞いてないでしょ、と思って答えたらちゃんと聞いていたらしくて、寝転んだまま頭だけ振り返って返事をしてきた。


「絵日記だよ…夏休みの絵日記」


 観念してもう一度言ったら、やっぱり笑い出した。さっき背中越しに目が合ってドキっとした私の乙女心を返してほしい。


「お前絵日記って…大学生にもなって」


「いや笑いすぎだから!」


 床を転げまわってまで笑うことなくない!?ほんとデリカシーないこの人!夜中に急に女の子の部屋に来てくつろいで、人が困ってることで大笑いして…。くそ…ちょっと顔が良いからって…こんなデリカシーなし男、顔が良くなきゃ好きになんかならなかったのに!


「あとどんくらいなの」


「あと1ページだけど」


「もしかしてお前、また最終日に全頁埋めてんの?」


「…」


 沈黙は肯定、って小学生の頃読んだ漫画に書いてあって、それから2人の間で習慣化した。黙ってしまったら、それはもう肯定だ。


 昴くんもそれを覚えていたらしい。証拠にまた笑い出した。


「はー笑った、でも、あと1ページなんだろ?」


「その1ページが終わらないの!」


「適当に描けば」


「田舎の適当なことなんてもう描きつくしたよ」


「ふーん」


 急に興味なさそうな返事だよこの人は…。と思ったら手を使わずに立ち上がって、伸びをしている。基本的に自由人なんだよね。伸びすると、両手が天井につきそう。ベットから見上げていると、また目があった。


「じゃあちょっと付き合えよ」


 え、とか言う間もなく、昴くん部屋を出て行ったんですけど。ちょ、私めちゃくちゃ部屋着だけどなんか外出する口ぶりだったよね?羽織どこだ!?





「汐里ー大丈夫かー?」


「大丈夫じゃないです助けてください」


 いきなりじいちゃんの軽トラに乗せられたと思ったら、カエルがゲコゲコうるさい田んぼ道を抜けて家から車で10分の河原に連れてこられた。今日は月明りもないから、足元が真っ暗でなにも見えない。


 ごつごつした大きい石のせいで前に全然進めないってのに、昴くんは私を置いてずんずん先へ進んでいく。正直怖い、帰りたいと思っていたら、昴くんの大きい手に引っ張られた。


「もうちょいだから頑張れ」


 ずるい。昴くんにそんな言い方されたら、この先に人食い料理店があったとしてもついていくしかないじゃないか。


「ぶ」


「はい、ついた」


 乙女モード終わるの早。


 急に止まるから、昴くんの背中に思い切りぶつかってしまった。私も鼻をぶつけたから、さっきの仕返しだと思っておこう。


 しかし、ついたってどこに?周りが真っ暗以外何もわからないですが。水が流れる音が聞こえるから、若干さっきより川に近い気はするけど…。


「ほれ、上見てみ」


「上?」


 ちょっと目が慣れてきたらしく、横に立つ昴くんの指がぼんやり見える。指す先には、緑色の小さい光が…すごい数。


「蛍?」


「そう。絵日記にうってつけだろ?」


 今まで歩くのに必死で下ばかり見ていたからわからなかったけど、すっごい数の蛍。


 真っ暗闇の中に小さい光がふわふわ飛んでる。両手で包んだら捕まえられそう。


「すごい…近所なのに全然知らなかった」


「田舎だから水きれいなんだろうな」


 蛍を見ていたら、昔、昴くん一家とうちでやったバーベキューを思い出した。あの時も確かこんな河原でテント広げてお母さん達が肉焼いて、私と昴くんは川に飛び込んだりして遊んだな。暑い夏に、きれいな透き通った川に潜って魚捕まえて、勝手に名前つけては逃がしてまた捕まえたりして。


 そういえば私はあの時も、はしゃぎすぎてテーブルに突っ込んで、お父さんのビールこぼしちゃって怒られて、半べそかいて河原でいじけてて。


 夜までいじけたままの私のところに、昴くんが蛍捕まえて見せにきてくれたっけ。


 ほんと変わってないんだな。私も昴くんも。


「これ、絵日記には描かない」


「え、なんでだよ」


「でもありがとね」


 蛍の淡い光に照らされて、昴くんの不服そうな顔が少しだけ見えた。この顔、あんまりしないけど好きなんだよね。


 絵日記なんて面倒なだけだと思ってたけど、今回だけは課題を出してくれた先生に感謝かもしれない。


 まあ、感謝はするけど、この光景を絵日記なんかにしてやるもんか。


 今日のこの思い出は、ずっと私だけの秘密だ。

 


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絵日記なんて面倒だけど @kura_18

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