第5話 セイランと悪鬼

 悪鬼は愛に飢えているだけなのだとケンイチからセイランは教わった。そして、同様に愛に飢える魂に引き寄せられるのだとも。悪鬼の無念があまりに強いと生きた人間を傷つけることもある。

 セイランは走りながら懐から神様からもらった小刀を取り出した。

 しかし――。

「抜けない⁉」

 小刀は鞘から抜けなかった。

 金色の髪の美しい少女の顔立ちをした悪鬼の鋭い爪が雄太に迫る。

「もう、なんで抜けないのよっ! 仕方ないわ……ね!」

 ようやく追いついたセイランは鞘が付いたままの小刀を悪鬼の脇腹に突き立てた。           

 そして、悪鬼が怯んでいる隙に一瞬のすきに雄太の手を引き、間合いを取った。

「あ、あ、あ、ありがとう……ございます。あんた……あ、いや、お姉さん、戦えるの?」

「ケンイチさん……これから生まれるあなたの弟から習ったの。何を言っているかわからないかもしれないけれど」

「うん……」

 セイランはケンイチに背を向け、悪鬼と向き合った。

「ケンイチさんはわたしのことを愛してくれた。だから、ケンイチさんが生まれ変わって幸せになるためにわたしはあなたを守るわ。あなたも生まれてくる弟のこと、守ってくれる? 愛してくれる?」

 雄太の瞳に光が宿った。

「うん!」

「さすがお兄ちゃん」

 セイランは迫りくる悪鬼の鋭い爪を短刀で払い落とすと鞘の先を相手の眉間を突いた。そして、そのまま体当たりをした。

 悪鬼の体が宙を舞った。

 悪鬼は地面にたたきつけられたが、すぐに態勢を立て直した。

 その黄ばんだ目から涙が流れていることにセイランは気が付いた。

「あなた……」

悪鬼がさっきまでよりも素早い動きでセイランに迫り、爪と牙を使って猛攻を仕掛けてきた。セイランは蝶のような体さばきでひらりひらりと攻撃をかわし、みぞおちめがけて短刀を突き立てた。

悪鬼は呻きながら言葉を発した。

「なん、で……? あな、たも……わた、し、と同じ、水子……だっ、たんでしょう?」

「えぇ。わたしは水子だった……」

 セイランは答えた。

 セイランは水子だった。だから、とわの国で記憶も身寄りもいなかった。その悲しみや苦しみはセイランにも痛いほどよくわかった。今でも急に孤独感に襲われ、消えてなくなってしまいたくなることがある。一人ぼっちになってしまう悪夢を見て、涙を流しながら起きてしまうこともある。

 本当だったら、セイラン自身も悪鬼になっているはずだった。

「ひと……り、ぼっち……な、んでしょう? あい、して……もらえ……ないんでしょう?」

「ううん。それは違うわ!」

 セイランは首を振った。

 そして、短刀を捨てた。

「運よくわたしを愛してくれる人がいたの。だから、わたしは愛されていることを知っている! 愛されていたことを知っている!」

 セイランは満面の笑みを浮かべた。

「お姉さん!」

 雄太が叫んだ。

 直後、悪鬼の爪がセイランの腹部を貫通した。患部から鮮やかな赤いとの血が飛び散った。

「な、ん、で……」

 避けることなく真正面から自分の攻撃を受けたセイランに悪鬼は動揺した。

 セイランは悪鬼を抱きしめた。

「だから、今度はわたしがみんなのことを愛す番。あなたのことも、雄太くんのことも、そのお父さんやお母さんも、もちろんケンイチさんも、もっともっとたくさんの魂や人たちも」

「わた、し、も?」

「えぇ」

 その時、小刀がひとりでに抜けた。そして、あたりが強く、しかし、優しい光に包まれた。

 光に包まれたセイランの傷が治っていく。体の傷だけではない。心の傷も治っていくのがセイランにはわかった。

 ――悪鬼も無垢な少女の魂に戻っていく。

「ありがとう」

 少女の魂は穏やかな表情になった。そして、その霊体がふわりと宙を浮いた。だんだん輪郭もぼやけていく。

「ひどいことをして、ごめんなさい。わたしにこんなことを言う資格はないかもしれない。でもね……もし、あなたが許してくれるのなら……いえ、許してくれなくても、いいと言ってくれるなら……とわの国にもどったら、わたしと仲良くしてくれないかな?」

「えぇ、もちろんよ」

 セイランは優しく応えた。

「よかった」

少女の魂は胸をなでおろした。そして、もう一度「ありがとう」と言い残すと、ふわり――とわの国に旅立って行った。

 光が少しずつ弱くなり、あたりがもとの夜に覆われた町に戻った。

「雄太くん、これ、受け取ってくれないかな?」

 少女を見送るとセイランは雄太にケンイチの『人生』を差し出した。

 雄太は力強く頷いた。

「もちろん。弟のことはぼくに任せてよ!」

「うん。お願いね」

 雄太に『人生』を渡すと、セイランの姿も揺らぎ始めた。

「バイバイ、雄太くん。とわの国から、見守っているわ」

「うん。ぼく、ちゃんとお兄ちゃんになるね!」

「えぇ」

 二人は固い握手を交わした。

「お父さんとお母さん、友達も大切にするのよ」

「うん、わかった!」

 雄太の表情を見て、セイランは胸を撫でおろした。雄太であれば、この先は大丈夫だろうと確信した。

「じゃあ、またね」

 そう言い残し、セイランの魂は生きたものたちの世界からふわり……と消えた。

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