第3話 セイランとケンイチ

「生まれてこなきゃいいんだ」

 その一言がセイランの心を深く傷つけた。セイランはこれまでみんなが望まれて新しい人生を歩み始めるのだと思っていた。望まれない命があるというのが衝撃だった。しかも、それがケンイチの新しい人生だと思うとセイランは自分の魂を引き裂かれた心地だ。

 雄太が走ってどこかに行ってしまい、取り残されたセイランは一人、川沿いの遊歩道をとぼとぼと歩いていた。その足取りは重く、髪が乱れている。

ガァーガァーと鳴きながら前を横切っていく水鳥を影の差した目で追い、セイランはため息を吐いた。そして、以前ケンイチとした会話を思い出した。

 ケンイチは余計な肉のない顔に優しさと憂いを帯びた表情を浮かべて言っていた。

「俺は生きていた頃、妹を亡くしたんだ。俺の目の前で焼夷弾に焼かれてしまった。その時、俺は何もできなかった。だから、この世界でセイランを見つけた時、この子のことは見守ってやろうと思ったんだ」

 前世で辛い思いをして、それでも自分を助けてくれたケンイチが来世でまた辛い思いをするのをセイランはどうしても我慢できなかった。

雄太に怒ったことが間違いだったと今でも思えない。

 ――しかし。

 しかし、セイランの心にはもやもやとしたものがある。何か重大な見落としをしている気がしているという気がしてならない。

「あぁ!」

 セイランは頭を抱えて叫んだ。周りの目も気にせず、地団太を踏んだ。驚いたのか、遠くを歩いていたドラ猫が一瞬セイランの方を向くと急いで逃げて行った。

「こんな時……ケンイチさんだったらどうするのかしら」

 セイランは考えた。そして、ふと昔のことを思い出した。



 それはセイランがとわの国で目を覚まして間もないころのことだった。当時のセイランは他の魂たちと違って生きていた頃の記憶がなかったため、いつも孤独感を感じていた。何もかもどうでもよかった。世話をしてくれていたケンイチのことも自分に浴してくれるのには何か裏があるのではないかと疑い、よく家出をした。

 そしてある日、家から遠く離れた草原を当てもなく歩いていたところ悪鬼と出くわした。いつも通りの穏やかな日だった。

 悪鬼は金髪の美成年であったが、目が黄色く濁り、額から三十センチを超える角が生えていた。口の牙をむき出しにし、長く伸びた鋭い爪をカチカチを鳴らしていた。

 セイランは声も上げられず、その場にへたり込んだ。逃げようとしても足腰に力が入らず、いたぶるように厭らしい笑みを浮かべながら歩み寄ってくる悪鬼に襲われるのを震えながら待つしかなかった。

 ――そんな時。

「セイラン!」

 ケンイチが飛び出してきてケースに入ったギターで悪鬼の頭を殴打した。そして、そのままポケットからナイフを取り出すと、素早い動きで悪鬼の首めがけて投擲した。

 悪鬼はしばらく首からひゅうひゅうと音を立てながらじたばたと動いていたが、静かになったかと思うと霊体が崩れて消えてしまった。

「すまない」

 ケンイチは悲痛な表情を浮かべながら、消えていく悪鬼に謝った。

「どうして謝るの?」

 セイランは聞いた。

「悪鬼はもともと可哀そうな魂なんだ。心が耐え切れなくなってしまっただけ。そんな魂を俺は壊してしまった。もう、生き返ることもとわの国で安らぐこともできない。彼は無になってしまった」

「そう……」

「彼はセイランと……いや、なんでもない」

 ケンイチは言葉を濁した。これ以上踏み入ってはいけないと感じたセイランは質問を変えた。

「どうしてわたしを助けたの? せっかく助けてくれたあなたを信用せず、逃げ出そうとしたわたしを」

 するとケンイチは呆れた顔をして答えた。

「それは俺がセイランのことをまだあまり理解できていないからだろう? セイランもまだ俺のことを理解していない。これから、俺はセイランのことをもっと知りたいと思う。だから、少しずつでいい。セイランも俺のことを知ってくれ」

 セイランは急にこれまでの緊張がほぐれた気がした。そして、たまらず、笑いが漏れた。

「あなたって、変な人」

「ん……」

 ケンイチは恥ずかしそうに頭を搔いた。その顔がおかしくて、セイランはますます笑った。

 それから、セイランとケンイチの距離は少しずつ縮んでいった。



 回想を終えるとセイランはこぶしを握りしめた。

 ――雄太のことを何もわかっていない。

「何やってるんだろ、わたし」

セイランの目が太陽の光を反射して輝いた。セイランは心の中でケンイチにお礼を言うと走り出した。

「ちゃんと雄太君と向き合わなきゃ」

雄太のことをもっと知らなくてはいけない。

ケンイチの新しい人生の家族と向き会わなくてはいけない。

使命感がセイランを突き動かした。

 行先はケンイチの『人生』が教えてくれる。

 セイランは振り返ることなく走る。

 しばらくはしるとセイランの目に雄太の姿が映った。

 


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